父、要求される
『それで貴様よ。今どの辺りなのだ?』
相変わらず道なき道を行くニックとオーゼン。獣道すらない森の中を歩むニックに、オーゼンが声をかける。
「エルフの国は抜けていると思うが、どの辺と言われると答えに困るな」
『というか、エルフはわかったがドワーフも道を作らんのか?』
「ん? そんなことないぞ。ドワーフ達は普通に馬車も使うし、エルフと違って人間との大規模な取引もやっておるからきちんとした街道が整備されておる」
『そうなのか!? では何故こんな森の中を歩いておるのだ?』
「いや、道があるのはあくまでドワーフと人間の町の間だけで、エルフの国からは繋がっておらんからな。わざわざ来た道を戻って大きな街道に出てからもう一度精人領域に入り直すなど遠回りで面倒ではないか」
『確かにそうだろうが、それでも当てもなく迷うよりは確実なのではないか?』
「はっは。まあ確かに軽く迷ってはいるが、それでもまっすぐ進めばそのうち道なり町なりに出る。旅慣れていない者なら戻った方が確実だが、儂が今更森歩きを苦にするとでも思うのか?」
『それはまあ……うむ、そうか。貴様がいいのなら確かにいいのだろうな』
オーゼンは飢えや渇きとは無縁であり、強いて言うならここに放置されたらちょっと困る、程度のものだ。所有者であるニックが死ねば元の台座に戻るので、仮に意図的にここに捨てられたりしたとしても数十年を無為に過ごす程度ですむし、そんなことをニックがするとは微塵も思っていない。
そしてニックがこれほど恵み豊かな森で行き倒れることなどあり得ず、この周囲にニックを害することの出来る魔物など生息しているはずもない。ならばこれもまた探索という名の余興であり、それを楽しむのもありかとオーゼンは改めて周囲に意識を向ける。
『ふむ。改めて意識してみると、この辺の木は幾分か変わっているな。エルフ国内の木々は強い魔力を宿しておったが、この辺の木は逆に魔力を拒絶するような――』
「む? オーゼン、少し黙れ」
スッと目を細めたニックの言葉に、オーゼンも沈黙して周囲へ向けている意識の種類を切り替える。するとやや離れた位置に大勢の人の反応を感知した。
『人か? 多いな。二〇人ほどいるようだ』
「それに加えてこの闘志……戦闘でも起きているのか? 気配を消しつつ急ぐぞオーゼン」
『うむ。慎重にな』
ぬるりぬるりと滑るようにニックの巨体が森を進んでいく。そのまましばし前進すると、程なくして件の集団のいる場所へとたどり着いた。
『……なんだこの地獄絵図は』
そこで繰り広げられていた光景に、オーゼンは思わず絶句する。まず目につくのは中央にいる人物。顔に深いしわを刻む初老の男が真っ平らに切り出された石の上に胡座で座り、意識を集中させるかのように目を閉じてじっとしている。
無論それだけならば不思議ではあっても奇異ではない。問題はその男の周囲を円を描いて取り囲むその他の男達。その全員が股間に布を紐状にして巻き付けただけの姿であり、フンハーと雄叫びを上げながら両の拳を腰の辺りで打ち付け、次いで力こぶを作るように腕を掲げる動作を繰り返しているのだ。
「フン! ハー! フン! ハー!」
「フン! ハー! フン! ハー!」
「おお、これはなかなかに勇壮な景色だな」
『勇壮!? いやまあ、そう言う見解もあり、か? そう言われるとそうかも……これは何かの儀式であろうか?』
人間の子供ほどの身長ながらもそれとは似ても似つかぬ鍛え上げた肉体を持ち、夏も終わりに近づいてきた森の中で全身の筋肉から湯気を立てて踊り狂う集団。そのあまりの異様さに混乱してしまったオーゼンだったが、確かに何らかの神事などを裸やそれに近い姿で行うのは珍しいことではなく、そうして改めて見直せば、真剣にポーズを決める行為はある種の祈りのように見えなくもない。
「わからんが……これはどうしたものかな? 特に問題が起きているわけではないようだが、このまま出て行ったら邪魔をしてしまうのではなかろうか?」
『大丈夫ではないか? 特に隠れている様子でもなし、声をかけても無視される可能性はあるが、いきなり襲われたりはせんだろう』
「そうだな。ではとりあえず普通に出て行ってみるか」
そのままニックは木の陰から姿を現したが、特に何かをされたり言われたりすることはなかった。
ならばこのまま立ち去ろうかとも考えたが、単純な好奇心からしばしその儀式を見続ける。すると程なくして周囲を囲む男達の動きが止まり、中央の男がカッと目を見開くと大きな声を張り上げた。
「おーし、このくらいで十分だ。お前ら体は温まったな?」
「「「ヘイ!」」」
「じゃあ作業開始だ! 今日中に一〇本は切るぞ!」
「「「オー!」」」
かけ声と共に、脱いでいた服を着てから男達が森に散っていく。するとそれまで完全に無視されていたニックに残った中央の男が声をかけてきた。
「おうアンちゃん。俺達に何か用か?」
「あー、いや。用というわけではない。何をやっておるのかと不思議でな。邪魔をしたのなら謝ろう。申し訳ない」
「カッカッ! 邪魔ってこたぁねぇさ。こいつぁ俺達ドワーフ特製の木炭を作るための儀式さ」
「木炭?」
「ああそうだ。この辺の木が他とちょっと違うのはわかるだろ?」
「うむ。そのようだな。魔力を弾く? そんな感じなのだろう?」
オーゼンがさっき言っていたことをそのまま口にすると、ドワーフの男は嬉しそうに頷く。ちなみにニック自身には木の種類が違うことくらいはわかるが、魔力云々は全くわからない。
「そうとも! 何だお前、見た目によらずわかる奴なのか? とにかくこの辺の木は魔力を弾きやがる。おかげでそいつを使った木炭で金属を精錬すると、完全に魔力を抜いたインゴットを作れるんだよ」
「ほぅ。それは凄い……のか?」
「あたぼうよ! 普通に精錬した金属じゃどうしたって九割くらいしか入らない付与魔法が、この方法で鍛えた金属なら完全に入る。それがどれだけ凄ぇかは腕利きの冒険者なら誰だってわかるぜ!」
『なるほど。アトラガルドでは大がかりな魔導具を使って行っていたことを、ここでは技術と知識で補っているわけか。それは本当に凄いな。
なあ貴様よ。我はその方法に非常に興味があるのだが、見学などをすることはできるだろうか?』
得意げに語るドワーフの男の言葉に、オーゼンがやや興奮気味に言う。そんなオーゼンにニックはそっと鞄を撫でると、改めてドワーフの男に向かって口を開いた。
「なあ、えー……そう言えばお主、名は何というのだろうか? 儂はニックという旅の銅級冒険者なのだが」
「おお、そういや名乗ってなかったな。俺はメーショウ。ちったぁ名の通った鍛冶屋なんだぜ?」
「そうなのか。で、突然かつ不躾な頼みなのは承知なのだが、その木炭を作るところやそれを使った鍛冶などを見学させてはもらえんだろうか? 無論門外不出の技術と言うことであれば無理にとは言わんが……」
「ほぅ。何だアンちゃん、興味があんのか?」
「うむ。どうだ?」
ニックの問いに、メーショウは長いアゴ髭をゴシゴシとこすりながら考えるそぶりを見せる。その間にもメーショウの視線はニックの体を舐めるように上から下まで見つめており、やがてその口元がニヤリと笑う。
「おし、いいぜ。流石に全部ってわけにゃいかねぇし、払うもんは払って貰うがな」
「本当か!? それで十分だ。謝礼の方はどのくらい払えばいい?」
「あー待て待て! 俺が欲しいのはそんなもんじゃねぇよ」
ニックが腰の鞄から金貨の詰まった袋を取り出そうとしたところで、メーショウが手を突き出して止める。そのまま突き出した手をニックの胸に当てると、豊満な大胸筋をモミモミと揉みしだいた。
「やっぱりな。服越しでもわかるこの筋肉……なあアンちゃん、謝礼はこの体で払ってくれねぇか?」
メーショウの瞳が、まるで獲物を見つけた肉食獣のように怪しく輝いた。