父、殴り合う
「おい、おいおいおい! 何だよオイ、いるじゃねーか! 俺様好みの強そうな奴がよぉ!」
自分の拳を軽々と受け止めたニックに、マグマッチョは嬉しそうに声を上げる。
「わかる、わかるぜぇ! たとえ鎧を着てようとお前がどれだけの筋肉をまとってるのか、俺様にはわかる! 凄ぇ、凄ぇ筋肉だぜ……」
「ふむん? そう言うお主もなかなかに鍛えているようだな」
「お、わかるか?」
「そりゃあまあ、その格好ならな」
マグマッチョの体はおおよそ人とは思えない真っ赤な肌をしており、更に全身が炎の包まれているが、基本全裸だ。当然その引き締まった肉体は丸見えであり、そこでは見事な筋肉がピクピクと蠢いている。
「ガッハッハ! 何を言うかと思えば、当たり前だろう! この筋肉は俺様の勲章であり、努力の結晶だ! それを人に見せつけたいと思うのは当然だろう?」
「そうか? 気持ちはわからんでもないが……」
「お、おいニック。お前どうして……?」
と、そこで会話をするニックの背後から苦しげなイキリタスの声が聞こえた。それに対してニックは振り返ること無く意識だけをわずかにそちらに向け答える。
「安心しろイキリタス。詳細は後で報告するが、デーレは無事救出した。今は城でツーンと一緒にいる」
「なん、だと……!? ホントか!?」
「今にも負けそうなイキリタス王に、儂が気休めの嘘を言っていると思うか?」
「ハッ! ふざけるな下等種族が! そうか、デーレは無事か……」
イキリタスの体から力が抜ける。だがそれは決して戦意をなくしたわけではない。不安や心配で凝り固まった不必要な力が抜けたことで、彼が本来持つ力と判断力を取り戻しただけだ。
「そういうことなら、追加で褒美をやろう。偉大なるエルフの王であるボクの眼前で敵を屠る権利だ。ほら、欲深な基人族らしくボクにいいところを見せるチャンスだぞ?」
「ははっ! わかった。ならそうさせてもらおう」
余裕の戻ったイキリタスの口調に、ニックは笑って意識をマグマッチョに戻す。
「話している最中に攻撃してくるかと思ったが、意外と律儀なのだな」
「舐めるな。お前俺様から一瞬だって意識をそらさなかったじゃねぇか! それによぉ、せっかくそれだけの筋肉がある相手と戦うんだ。不意を突いてぶん殴るなんてそんな勿体ないことするわけねぇだろ?」
「フッ。ならばその期待に存分に応えてみせるとしよう。イキリタス、荷物を頼む。万が一にもこれを燃やされては困るのでな」
「ああ、わかった」
『この程度の距離なら何の問題も無く声も届く。我のことは気にせず存分に戦うがいい』
「行くぜオラァ!」
ニックが肩掛けの魔法の鞄とオーゼンの入った腰の鞄を外してイキリタスに渡すのを確認すると、ニックとマグマッチョの拳が正面からぶつかり合う。瞬間マグマッチョの拳から炎が吹き出し天を焦がすが、その炎は拳の合わさった地点で世界を分かつかのようにニックの方には一切吹き込んでこない。
「ぐぅぅ……何だと!? 俺様の拳が完全に押し負けた!?」
「何だ、そんなに意外か? 自分より強い者がいるなど当然のことではないか」
「うるせぇ! ならこれでどうだ!」
マグマッチョが両の拳をガチンと打ち合わせると、先ほどよりも更に猛烈な炎の嵐が巻き起こる。それは粘性のある液体のようにマグマッチョの全身を包み込み、その筋肉がどんどん膨らんでいく。
「うぉぉ、筋肉大噴火! 噴き上がれ、俺様の筋肉!」
「むーん? 何とも面妖な技だな」
『魔力を筋肉に変換している? 詳細は不明だが、とてつもない魔力量だ。気をつけよ』
「そこのヒョロガリエルフが使うような身体強化魔法じゃねぇぜ? むしろ逆だ。これは俺様が普段自分の力で押さえ込んでいた筋肉を解放したに過ぎない。負荷をかけた方がより筋肉が育つからな。
つまりこれが俺様の本来の筋肉。日々の鍛錬の成果だ!」
「おお、そうなのか! それはそれは……楽しみだ」
ニヤリと笑うニックに、マグマッチョもまた笑い返す。
「楽しいぜ、ゾクゾクしちまう。こんなに真っ正面から俺様の筋肉を受け止める野郎が現れるとは! 簡単に死ぬんじゃねぇぞ? オリャァァァァァァァ!!!」
殴る、殴る。触れるどころか近づくだけで消し炭にされそうなマグマの高温を宿す拳が、嵐のようにニックの体に降り注ぐ。
だが、その全てをニックが殴り返す。よけることも逸らすこともせず、目にもとまらぬ猛攻の全てを己の拳で殴りつける。
「グォォォォォォォォ!!!」
「ハッハッハ! どうしたどうした?」
攻撃をしているのはマグマッチョで、受けているのはニック。だが叫んでいるのはマグマッチョであり、笑っているのはニックだ。およそ一分、六〇〇発の拳でのやりとりの結果は……ニックの完勝であった。
「はぁ、はぁ、はぁ……マジか。俺様の拳を全部殴って止める? そんな馬鹿なことできる奴がいるとはな……」
「もう息があがったのか? まだまだ鍛え方が足りんな」
「クッ、ハッハッハ! まさかただの人間に俺様がそんなことを言われる日が来るとはな! 面白ぇ面白ぇよ! これだから筋肉は最高なんだ! 鍛えりゃ鍛えるだけ強くなれる、その結果が既にここにある! やりがいがあるってもんだぜ」
「ほぅ、ではどうするのだ? 引くというなら追わんが?」
『何!? それでいいのか!?』
驚きの声をあげるオーゼンに、ニックは無言で小さく頷く。以前のニックならば問答無用で倒してしまっていたであろうが、今は違う。魔王軍の四天王は娘が、勇者が倒すべき敵だ。それを自分が奪ってしまうのはよくないと、ニックはきっちり学習していた。
もっとも、ここで倒すとまた娘に怒られそうだという予感が一番の理由ではあったが。
「ハッ、かなわない相手がいたから尻尾を巻いて引き上げるか……そんなことをこの俺様がすると思うか?」
「ならばどうする? 玉砕覚悟で向かってくるというなら、それはそれで構わんぞ」
「自分の勝利を疑わねぇってか。チッ、本当に面白ぇぜ……だからこそ勿体ねぇ。こんな形で終わらせなけりゃならねぇとはな」
自嘲気味に笑うマグマッチョの目がギラリと光り、瞬間その肉体が内側から爆ぜる。
「いかんっ!」
地上に生まれた太陽の如き光。その灼熱は木々も大地も空気すら焼き付くし、その場に巨大なクレーターを作り上げた。咄嗟にイキリタスを抱えて逃げたニックだったが、伝説の魔物で作り上げた鎧の背中部分は見るも無惨に焼け焦げている。
「大丈夫かイキリタス!」
「あ、ああ。大丈夫だ。今のはまさか、自爆か?」
「さあな。そんなことをする輩には見えなかったが……」
「ああ、勿論自爆なんかじゃねぇぜ」
背後からの声に、イキリタスを地面に下ろして振り返るニック。すると開けた空間の中心に小さな炎が生まれ、それが徐々に大きく人型を創っていく。
「まさか切り札を使わされるとはなぁ。今ので死なないだけでも大概だが、流石にこれでお前の勝ち目はもうねぇぜ?」
「お主、その姿は……?」
そこにいたのは確かにマグマッチョ。だがそれまで炎を纏う人だったのに対し、今は人型の炎とでも言うべき姿に変わっている。
「精霊……!?」
「ほぅ、流石はエルフ。わかってるじゃねぇか。そうよ! 俺様はマグマッチョ! 獄炎の火山から生まれた炎の精霊、噴炎爆筋・マグマッチョ様だ!」
今までとは比較にならない密度の深紅の炎をその身としたマグマッチョが、天を焦がすほどの気炎をあげて堂々と名乗りをあげる。ただそれだけで大気が揺らめき、焼け付く熱気が呼吸するだけで内腑を焼いていく。
「さあ、決着をつけようぜ、筋肉親父」
不敵に笑うマグマッチョに、ニックは改めて拳を固めて構えをとった。