父、間に合う
「ふむ、まあこんなところか」
パンパンと手を叩くニックの前には、地面の上に首から上だけを出したネコソギ達が埋まっていた。監視の無い状態で全員を拘束する適当な手段がなかったための、いわば緊急措置だ。
ちなみに、当然だが既に服は着ている。答えをごまかし続けるうちに「そう言えば何でニックは裸なの?」とデーレに言われ、慌てて着替えたのだ。
『哀れなものだな。しかしこれでいいのか? 魔物か何かが襲ってきたらそのまま食われてしまいそうだが……』
「その時は天命と思って諦めるしかなかろう。イキリタスとて何も言うまいしな」
そもそもデーレ姫を助けに来たニックには、彼らを生かす理由は何も無い。一応首謀者くらいはイキリタス王が直接裁いた方がいいだろうという考えはあるが、せっかく助けたデーレ姫を悪党と一緒に運んでこれ以上怯えさせるつもりは毛頭無く、それ故の折衷案がこのどう考えても脱出不可能な拘束方法であった。
「まあ場所さえわかっていればこの森はエルフ達の庭だ。すぐに駆けつけて……掘り起こすのは少々大変かも知れんが、そこは精霊魔法で頑張ってもらうとしよう。死ねば死んだで確実に証拠が残るから後腐れも無いしな」
『そうか。我としてもこんな外道共に思うところなど何も無い。貴様がそれでいいと判断するならよかろう。「王の鍵束」が使えれば話は簡単だったのだが』
「壊されていたものは仕方あるまい」
木こり小屋には簡易的な鍵がかかるようになっていたが、それはネコソギ達によって壊されていた。いかに金の鍵とて刺す鍵穴がなければどうしようもない。
「ニックー? 準備終わったのー?」
「おお、すまんすまん。終わったから今行くぞ!」
と、そこで建物の陰からひょこっとデーレ姫が顔を出す。すぐに振り返って笑顔で返事をすると、ニックは足早にデーレ姫の方へと近寄っていった。
「よし、帰るか! では姫様、失礼します」
「うん!」
やや大げさに臣下の礼をとって見せたニックに、デーレは嬉しそうに飛びついていく。そのまま両手でデーレを抱え胸に抱くと、優しく微笑みながら胸元のデーレに声をかける。
「では、少し急ぐからしっかり掴まっているのだぞ?」
「わかった!」
デーレがギュッとニックの鎧の継ぎ目を掴んだのを確認すると、ニックは最初はゆっくりと、だが少しずつ速度を上げて走り始めた。その幼さ故に馬にすら乗ったことのないデーレは、流れていく景色の速さに思わず声をあげる。
「速い! 凄い! ニック凄いの!」
「ハッハッハ。もうちょっとだけ速くなるから、動いては駄目だぞ?」
「もっと速く!? うん、ちゃんと掴まってるの!」
腕の中に可愛らしい重みと命の温もりを感じながら、ニックは風のように木々の隙間を駆け抜ける。一人の時ほどの速度はデーレが耐えられないため当然出せないが、それでも警戒は元より周囲を探索していた時の速度と比べてすら雲泥の差だ。
その後はデーレの「もっと早くなの!」というおねだりに機嫌をよくしたニックが更に加速し、あっという間に町まで到着。せっかくだからということで町中さえも駆け抜けたニックが城門にたどり着くと、いきなり現れた筋肉親父に門番が驚きの声をあげた。
「お、お前はさっきの!? え、どうしたんだ!?」
「フフフ。デーレ姫をお連れしたぞ」
「は!?」
まさかこんなに早く姫を連れ帰ってくるとは思わず、門番のエルフは長い耳をピクピクさせる。だがニックの胸に抱かれたデーレ姫の存在を確認すると慌てて城の中へと駆け込んでいき、ニックはすぐに謁見の間へと通された。
「デーレ!」
「お姉ちゃん!」
走り寄ってきた姉の姿に、デーレもまたニックの胸から飛び降りて走って行く。そのまま二人で抱き合うと、涙を流して喜び合う。
「デーレ! よかった、よかったよぉ……」
「お姉ちゃん! お姉ちゃん! おねえちゃぁぁん!」
「うんうん、よかったなぁ」
『うむ。実にいい光景だ』
「感謝しますぞニック殿。まさかこれほど素早く姫を助け出してくれるとは」
「何、このくらい……あー、いや、違うな。便利な魔法道具や持てる能力の全てを駆使し、一刻も早く姫を助けたいという思いから必死で頑張った結果だ。儂の本気は受け取ってもらえただろうか?」
「ええ、ええ、勿論です! この度の働きにきっと陛下もお喜びになられることでしょう! 本当によくやってくれました!」
「満足してもらえたなら何よりだ……ん? そういえばイキリタスはどうしたのだ? てっきり真っ先に飛んでくるかと思ったが」
「それが、陛下は――」
「チッ、なかなかやるじゃないか魔族の将よ」
「ガハハハハ! 当たり前だ! この俺様を誰だと思ってやがる!? 火の四天王マグマッチョ様だぞ?」
灼熱を帯びた巨大な拳がイキリタスの顔面目掛けて振り下ろされる。だがイキリタスはそれをすんでの所でかわし、お返しとばかりに渦巻く風の拳をマグマッチョの腹に叩き込む。
「おおぅ、いいぞいいぞ! なかなかの攻撃だ」
「なんで効かねーんだよ!? 詠唱破棄で威力が落ちてるとはいえ、元は城門破りに使うような魔法だぞ?」
「そんなの決まってるだろ! 俺様の鍛え上げた筋肉が城門よりよっぽど強いってだけのことだ!」
「ぐうっ!?」
鎧どころか服すら着ていない、燃える筋肉男ことマグマッチョ。素の腹筋で今の攻撃を受け止められたことで、イキリタスはまたひとつ追い詰められることになった。マグマッチョの攻撃を受け止めてくれる前衛がいれば打開策はあるが、それが出来そうなエルフの戦士達は今別の仕事で大忙しだ。
「火を消せ! 早く!」
「やってるだろ! おい、こっちも手を貸してくれ!」
「無理! こっちも手一杯だって!」
「おうおう、情けねぇなぁ。これっぽっちの火でオタオタしやがって。これだから筋肉の無い種族は駄目だぜ」
「勝手なこと言ってるんじゃねー!」
「おっと! そうそう、もっと本気で攻めてこなきゃ、俺様があっという間に焼き尽くしちまうぜぇ?」
イキリタスの周囲では、エルフの戦士達が必死に燃える木々の火を消すために奔走していた。いくら燃えづらいとは言っても木は木。一旦燃え始めてしまえば火の勢いはどんどん増していき、徐々にエルフ達の手には負えない規模へと育っていく。
だからこそ、イキリタスは得意の風の精霊魔法をほとんど使えない。こんなところで風を起こせばあっという間に火が燃え広がってしまい、それこそ自らの手でエルフの国にとどめを刺すことになってしまうからだ。
かといって、他の魔法ではあまり役に立たない。火は無効化どころか吸収されてしまったので論外、ならば弱点は水かと精霊魔法を発動させてみたが、生半可な魔力では瞬時に蒸発させられてしまって何の効果も発揮されなかった。長時間の詠唱で莫大な魔力を込められれば一撃必殺が狙えそうだが、そんな余裕があるはずもない。
であれば頼れるのはやはり地道に鍛え上げてきた得意の魔法であり、相性の悪い風の魔法、しかも苦手な近接戦闘に付き合う以外の方法がなかった。
「やはり魔族は卑怯者の集まりだな! 人質をとったり木々を燃やしてみたり、こんなことまでして攻めてくるとは、よほど我らエルフが怖いと見える。何ともみっともない悪あがきだね」
「人質? 何のことかわからねぇな!」
「戯れ言を!」
渦巻く風と雷の力を付与したイキリタスの右の抜き手がマグマッチョの胸を突く。だがその燃える胸板にはかすり傷ひとつつかず、逆にイキリタスの手の方がマグマッチョの体から放たれる高熱でやけどをしたように真っ赤になった。
「つぅぅ……全く、どうしてこう筋肉野郎ってのはメチャクチャな奴ばっかりなんだ」
思わず悪態をつくイキリタス。その脳内では娘を助けに行った方の筋肉親父がニヤニヤと笑っており、萎えそうになる闘争心を一気に奮い立たせてくれる。
「そうだ、こんなところで負けてられるか! ボクはエルフの王イキリタス! 世界で一番イケてる男! さあ見ているがいい、ここから華麗な逆転劇を――」
「ねぇよ!」
「ぐはっ!?」
マグマッチョの放った横薙ぎの手刀に、イキリタスの体が数メートルほど吹き飛ばされる。そのまま木に背中を打ち付け崩れ落ちるイキリタスに、マグマッチョがゆっくりと歩み寄っていく。
「なあ、エルフの王様よぉ。逆転とかそういうのはねぇんだよ。強さってのは日々の鍛錬の積み重ねだ。毎日のたゆまぬ努力こそが筋肉を育てるし、育った筋肉は決して裏切らねぇ。都合良く未知の能力に覚醒して強くなるとか、そんなことはねぇんだよ」
「ボク……を……見下すな……ボクを誰だと……」
「エルフだろ? しょぼくれた筋肉しかもってねぇ、ヒョロっちい種族だ。そんな筋肉で俺様と遊べたことは評価してやるが、底も見えたしもういいだろ。はぁ、所詮は口だけの種族か」
「ふざ……けるな……我ら……エルフは……」
「あー、はいはい。もういいって。じゃ、大人しく……死んどけや」
まるで虫を潰すような顔で、マグマッチョの燃える剛拳がイキリタスの頭に振り下ろされる。轟音と共に盛大な火柱があがり、世界の全てが一瞬白い光に包まれ……そして。
「ふむ、間に合ったようだな」
「何だてめぇ?」
そこには不敵な笑みを浮かべて拳を受け止める、もう一人の筋肉親父の姿があった。