父、約束する
『それで、これからどうするのだ?』
急ぎ城を出たニックに、オーゼンが話しかける。友のために走るニックの決意に欠片の異論もありはしないが、かといって闇雲に走れば解決するという問題でもない。
『この地に長年住まうエルフ達が必死に探したとて見つからなかったのだ。土地勘の無い貴様がどうやって姫を探す? まさか考えなしで走り出したとは言うまい?』
「はは。それこそまさかだ。そしてその手段をお主が問うのか?」
『……やはり使うのか』
ニヤリと笑って答えるニックに、オーゼンはそう言葉を返す。
『だがいいのか? もう他の「百練の迷宮」の位置はわからぬ。場合によっては全てが機能停止しており、これ以上「王能百式」を発現させることはかなわぬかも知れんのだぞ?』
「その仮定に何の意味がある? 儂はいざというときのためにひとつ枠をとっておいた。そして今以上にこの力が必要なことなどない! いずれ別の力が必要になることがあったとしても、今使うことを後悔することなど未来永劫無いと断言できる!」
『そうか。ならば我が言うことはもはや何も無い……どうすればいいかはもうわかっているな?』
冷静な、だがどこか嬉しげなオーゼンの言葉に、ニックは足を止め人気の無い路地の裏に入ると、鞄からオーゼンを取り出しその場で意識を集中する。
求めるのは情報。望むモノへと確実に至る、ただ一本の道しるべ。何処かにいるであろうデーレ姫の姿を想い、そこへと続く輝く道をその脳内にはっきりと思い描く。
『よし、届いたぞ……意思を描いて言霊を呼べ、されば望む力が与えられん! 唱えよ、「王能百式 王の羅針」!』
「わかった! 『王能百式 王の羅針』!」
堂々たる呼び声に、かつて発条の力を発現した時のように今度もオーゼンが光に包まれる。丸い光はそのままわずかに大きくなってから消え、そこにあったのはちょうどニックの手のひらに収まる大きさの透明な球体と、その内部の収まる赤い羅針であった。
「これか! 実にわかりやすいな」
『うむ。見たとおり、これは貴様が指定した対象を指し示す羅針盤……いや、羅針球とでも言うべきか? そういうものだ。探す対象を思い浮かべてこの球体に魔力を注げば、それが在る場所を指し示すだろう』
「ま、魔力を注がねばならんのか?」
『フッ、安心せよ。事前に発条を巻いておけばその過程は我が代行しよう。ただしその分探す対象を明確に思い浮かべねばならんから、探せるのはあくまでお主が直接見たことのあるモノだけだ。
どれほど有名であってもお主が見ていなければ探せぬし、指し示すのはあくまで対象の方向のみ。その途中に海があろうが山があろうがそれを考慮はせぬ。だが――』
「ああ。我が道を阻むものは、万象一切この拳にて殴り飛ばしてやろう!」
グッと拳を握りしめ、凶悪にすら見える笑みを浮かべるニック。天の果てでも地の底でも、その先に目指すものが在るとわかっている以上、ニックを阻むものなどこの世にたったひとつしか無い……そう、娘に「そこは駄目!」と怒られる以外は。
『では、早速発動させてみるがいい。一応確認だが、今回探すデーレ姫とやらには直接会ったことがあるのだな?』
「無論だ。前回の滞在中は幾度も会ったし、遊んでやったぞ。まあそのたびにイキリタスがものすごい形相で儂を睨んできたりしたが」
『あー、うむ。仲が良さそうで何よりだ……であれば何の問題もあるまい。この羅針球を軽く握り、探す対象を思い浮かべるのだ』
オーゼンの言葉に従い、ニックは軽く指に力を入れて羅針球を握るとデーレ姫のことを思い浮かべる。するとすぐに球体の中央に浮かぶ羅針に反応があり、くるりと回ったその先端が町の外を指し示した。
『うむ、正常に動作したようだな。ほぼ水平……やや下を指し示しているから、おそらくは何処かの地下にいるのであろうな』
「これだけわかれば十分だ。行くぞオーゼン!」
試しに軽く羅針球を動かしてみたが、羅針は常に同じ方向を指し示している。であれば迷う余地は無いとニックは再び町を駆け……
「ニックー!」
「うおっ!? 何だ!?」
突然大声で呼び止められ、ニックは思わずつんのめりそうになりながらも立ち止まる。すぐに声の方を振り返ると、そこには大勢の護衛を背後に引き連れ全力疾走してくるツーン姫の姿があった。
「ツーン!? どうしたのだ、このような場所に?」
「はーっ、はーっ、はーっ……パパが……パパが話してるのを聞いたの。ニックがデーレを探しに行くって……」
「うむ? そうだが……何だ、まさか一緒に来るなどと言うつもりか?」
ニックだけならたとえ戦場の直中だろうと問題ないが、幼いエルフの姫を連れては出来ることも出来なくなる。一瞬困った表情を浮かべるニックだったが、ツーンはブンブンと勢いよく顔を横に振った。
「違うわ! そんなコドモみたいなこと言わないわよ! ワタシは立派な淑女なんだから!」
「ハッハッハ。そうかそうか、それはすまなかったな。では何だ? わざわざ儂を見送りに来てくれたのか?」
「…………」
「ツーン?」
その場にそっとしゃがみ込み目線の高さを合わせるニックに、だがツーンはフイッと顔を背けてしまう。そのまま口を開けようとしては閉じ、それを三回ほど繰り返したところでやっとその小さな口から言葉が漏れた。
「あの、あのね。エルフは他種族に頼み事をしちゃいけないの。エルフはみんなの『もはん』だから、頼まれることはあっても頼んじゃ駄目なんだってパパが言ってた。
だから、だからね。何かをさせたい時は、ちゃんとごほうびをあげないと駄目なの。だからワタシは、ニックにごほうびをあげに来たの!」
「ご褒美? いや、しかし儂は――」
「ニック!」
顔を真っ赤にして、翡翠のような大きな目に涙をいっぱいに溜めて。必死の願いを抱いた幼い姫のまっすぐな視線を、ニックは正面から受け止める。
「ニックがデーレを助けてくれたら、ワタシが結婚してあげる!」
「むぅ!?」
「ひ、姫様!? 何を突然――」
「いいのっ! ワタシは姫だけど、なんにももってないの。りょうちとかお金とか、ニックの欲しがりそうなものは何にも無い! だからこれがワタシの持ってる一番のごほうびなの! それをあげるから、ワタシがニックのお嫁さんになるから……
……だからお願い、妹を助けてあげて」
幼い姫の懇願に、取り巻きの護衛達は何も言うことが出来ない。デーレがいなくなりどうしようも無く落ち込んだ王のため、毎夜枕を濡らしながらも人前では無理に元気に振る舞って見せていた健気な姫の想いを知らぬ者など、あの城には一人もいないのだ。
そして、その想いはニックにも伝わる。自分の体にすがりつきその身を震わせ涙を流す幼い少女に、ニックのなかに溢れていたやる気が更に限界を突破した。体から立ち上る可視化するほどの闘気に、歴戦の勇士である護衛の兵達すらも思わず一歩後ずさる。
「安心しろツーン。約束しよう。儂が必ずデーレを連れ戻す」
「本当? エルフにとって約束は絶対なのよ?」
ツーンの小さな頭を、ニックの大きな手が優しく撫でる。己を見上げる無垢なる瞳に、ニックは満面の笑みで頷きを返す。
「ああ、絶対だ! この儂が、ニック・ジュバンが! 娘と妻の名にかけて誓おう!」
それはニックの拳でも砕けぬ、絶対無敵の約束の形。どんな手段を用いても絶対に叶えると決めた、ニックに宿る最強の拳。
「待っていろ、すぐに戻ってくるからな!」
最後にニッと笑って見せると、ニックは即座に駆けだした。背後から聞こえる声援に押され、ニックの体は風よりも早く木々の間を駆け抜ける。
『おい貴様。張り切るのはいいが気負いすぎるなよ? やり過ぎて救助対象まで吹き飛ばしたなど、目も当てられんからな』
「何を言っておるかオーゼン。娘に頼られて張り切らぬ父などおるわけが無いし、娘を傷つける父などこの世に存在するはずがないではないか! 確かにツーンもデーレも儂の娘ではないが、そんなものは些細なことだ。儂の拳が娘を傷つけるなどあり得ぬわ!」
『そんなことが……いや、貴様なら出来そうなのが逆に怖いな』
ニックの拳が豪快に山を消し飛ばし、然りとて何故かその中央で無傷の少女がキョトンとした顔で座り込んでいる様がありありと思い浮かんでしまい、荒唐無稽な己の想像にオーゼンは思わず苦笑いをする。
(それを真実にしてしまいそうなこの男の非常識さよ……フフ)
いつもなら恐怖を感じるほどの高速移動を続けるニック。だがオーゼンはそんななか、何故か不思議と笑みをその身に宿していた。