父、先客と話す
「では、ここでしばし待つがよい」
「ありがとう」
城から戻ってきた門番に案内され、ニックは場内の待合室へと通された。そこもやはり白を基調とした高貴な部屋で、部屋の壁には精緻な木工細工がいくつも飾り付けられている。
「ふーむ。相変わらず眩しいほどに白い部屋だな。そしてこの細工の見事さよ」
「ははは。それは精霊魔法によって作られているらしいですよ?」
壁の飾りに感心しているニックに、不意に背後から声がかけられた。振り向けばそこには商人風の男が……当然さっきの商人とは別人……愛想の良い笑顔を浮かべて立っている。
「おっと、先客がいたのか。これは失礼」
「いえいえ、お気になさらず。私は最近この国で商売をさせていただいております、マッカ商会のモーカリと申します」
「これはご丁寧に。儂はニック、旅の銅級冒険者だ」
ニックの自己紹介に、モーカリは一瞬「銅級?」と首を傾げる。エルフの森周辺の魔物は決して弱くなく、国内こそエルフの戦士によって魔物が掃討されているが、人の町から道の果てを抜けそこに至るまでは決して優しい道程ではない。少なくとも銅級冒険者が単独で移動できるような場所ではないからだ。
とは言え冒険者の事情などそれこそ千差万別。そもそも王への謁見を申し出るような冒険者がただの銅級冒険者のはずもないと、モーカリは頭に浮かんだ疑問と好奇心を即座に塗りつぶした。重要な商談を控えている今、つついたら何が出てくるかわからない藪に踏み込むのは得策では無いと考えたためだ。
「なるほど、級に見合わぬ素晴らしい腕をお持ちの方なのですね。もし近隣の町にお立ち寄りのことがありましたら、是非ともマッカ商会をよろしくお願いいたします」
「ああ、覚えておこう。にしてもエルフの国に行商とは、お主こそなかなかやり手の商人なのではないか?」
「ははは。いえいえ、実はエルフの方達は非常に商売のしやすい相手なのです」
「ほぅ? そうなのか?」
モーカリの意外な言葉に、ニックは思わず聞き返す。声こそあげなかったが、オーゼンもまた興味津々だ。
「はい。エルフの方々は何というか、そう! 非常に誇り高いですから、一度交わした約束を絶対に破らないのです。人間の大貴族ですと後々になって自分たちに都合のいい条件に変更を求められたり、権力をたてに支払いを渋ったりするような方もいらっしゃるんですが、エルフに関してはそういうことが一切ありません。
むしろ見栄……ではなく、えーっと、その、あれです。私達人間のことを慮った結果として少々無理をして約束をしてくれたりしますので、その辺に関してはむしろこちらから譲歩を申し出ることすらあります。片方が無理をしてしまうと良い取引が続かなくなってしまいますからな」
『うむうむ。流石に王に謁見が許されるだけのことはあるな。これぞ商人であろう』
先ほど酷い前例を見ただけに、オーゼンがしきりにモーカリの言葉に頷く。
「なるほど。長い目で見るなら誠実こそが最良であるということか」
「ですな。それにもうひとつ、国王陛下のような方にお会いするのも他種族の国に比べれば極めて簡単です。獣人の国ですとやたらと強さを求められますので、私のような商人ではよほど優れた冒険者でも護衛に雇えなければ獣王様とはお会いできませんし、ましてや人の国の王となれば、どれほどの根回しや賄賂が必要になるか……エルフの方はそういうものを一切受け取らないので、その点でも商人としては非常にやりやすいですね」
『ふーむ。こう聞くと確かにエルフという種は実に良い風に思えるな』
「ほっほぅ! 儂は商人ではないからそんな観点からエルフを見たことは無かったが……あー、そうか。だからああいう輩も相対的に多くなるということか」
「ああいう輩ですか?」
首を傾げるモーカリに、ニックは先ほど町で見た光景の話をする。するとモーカリは一瞬露骨に顔をしかめ、すぐに申し訳なさそうな表情になった。
「なるほど、そんなことが……確かに私達のようなまともな商人が成功しているのを見ると、楽な相手に見えるのかも知れませんね。実際よほど相場を読み違えたりしなければ、誠実な取引をする限りエルフとの商談で損をすることはまずありません。
それに加えてエルフの職人が作る木工細工などは希少性とできの良さからかなりの高値がつきますからな。簡単に大金が儲けられると考える愚かな商人もいるのでしょう。いやはやお恥ずかしい」
「別にお主が恥を感じることはあるまい。剣を振るうからといって冒険者と盗賊が同じではないように、金を扱うからといってまっとうな商人と詐欺師まがいの者を同じに考えたりはせんよ」
「ありがとうございます。どうやらニックさんはこの城に呼ばれるだけの器の大きさをお持ちのようだ。であれば是非とも近隣の人の町に立ち寄りましたら、私どもマッカ商会をよろしくご贔屓にお願い致します」
「うむ、覚えておこう。なーに、エルフ式の礼節は弁えておるから、何ならお主の店でも披露するぞ?」
「はっはっは。それはご勘弁ください。お客様にペコペコされたりしたら困ってしまいますよ」
ニヤリと笑って冗談を言うニックに、モーカリもまた笑って返す。その後はとりとめの無い雑談を交わしていると、程なくして先にモーカリの名が呼ばれた。「では、お先に失礼致します」と一礼をして、モーカリが待合室から出て行く。
「ふむ、なかなか面白い男であった」
『真に有能な商人というのは、ああいう男のことを言うのであろうな。雑談の後半ではさりげなくこちらのことを探っているような意図が感じられたが、それを悟らせてなお不快にさせない範囲をきちんと弁えておった。いや、むしろ気づかせることで我らに興味を持っていると知ってもらうのが狙いか?』
「ふむん? オーゼンがそう感じたのなら、そういうのもあるのかもな。しばらくこの国に滞在した後は、マッカ商会とやらを訪ねてみるのも面白いかも知れん」
『フフ、我も少し興味が出た。まだ先の話ではあるが、少し検討しておくことにしよう。
まあそれはそれとして、まずはこの国だ。先ほどは聞きそびれたが、貴様の知り合いはこの城に住んでいるということだが、それはひょっとして……?』
「ああ、そうだぞ。この国の王、イキリタスだ」
『やはりそうか! まあ貴様の立場であれば王と知り合いというのも特に意外ではないが』
「儂は普通の村人だが、娘が勇者だからな。以前にここに来たのも勇者パーティの一員としてだが、その時に王とは個人的に色々あってな。その縁という奴だ。
……まあ、あまりいい縁とは言えぬかも知れんが」
『む、そうなのか? 貴様一体何をやらかしたのだ?』
「それは――」
「ニック! 基人族のニックはいるか!」
ニックが言いよどんだところで不意に待合室の扉が開け放たれ、そこから姿を現した兵士がニックの名を呼ぶ。既に待合室にはニック以外の人影は無いのだが、こういうのは様式美というか、そうする決まりなのだろう。
「ああ、儂だ」
「む、お前か。順番だ。陛下がお待ちなので、私に着いてくるように」
「わかった」
帯同を促され、ニックは城の廊下を歩いて行く。長い廊下のあちこちに配置されている芸術品などを眺めつつ進めば、すぐに大きな両開きの扉の前までたどり着いた。
「謁見を求める基人族の男、ニックを連れて参りました!」
「入れ」
兵士の呼びかけに、扉の奥から声がする。すると音も無く眼前の扉が開かれ、その向こうに見えてきたのは――
「やぁ! よく来たねぇニック! 歓迎するよぉ?」
引きつるような笑顔を見せる、エルフの王の姿であった。