父、登録する
『何というか、そんなに落ち込まなくても良いのではないか?』
無事に入れた町の中。微妙に肩を落とすニックにオーゼンが何とはなしに声をかける。町はなかなかに賑やかで人通りも多く、ここでならニックと話していても誰も気にしないだろうと判断したからだ。
『ホブゴブリン? の魔石を渡された門番も驚いていたではないか。一体何が不満だと言うのだ?』
「んー? いや、ミミルの村に立ち寄ったのは偶然であり、こここそが儂の意思で来た初めての町なのだ。だからこうぱーっと景気づけをしたかったというか、もうちょっと手応えのある相手と戦いたかったというか……」
『貴様が手応えを感じるような魔物がこの近辺にいたら、町など跡形も無く消し飛んでいると思うが……まあいい。それにしてもこれが今の時代の人の町か……こうして見る限りではそこまでは変わらぬな』
「そうなのか?」
オーゼンの言葉に、ニックは意外そうな声をあげる。相当に進んだ文明の様に語られていただけに、今と変わらないという感想はなかなかに予想外だった。
『無論、細かい所は違うであろう。というか、むしろそういう所にこそ技術の差が如実に表れるのだ。とは言え材質こそ違うであろうが、家の形や町の構造はこのくらいまで来ればそう大きくは変わらないものだ』
「言われてみれば、そうか」
獣人のように身体構造が違えばそれに合った変化もあるだろうが、オーゼンはニックを人間と認識した。つまり古代のアトラガルド人は今のニック達と変わらない姿形だったわけで、そうなれば家の形が今と同じというのも納得がいく。
「ならばひとまず安心といったところか? お主が驚く様を見られなかったのは少々残念ではあるが」
『言っておれ。それで、これからどうするのだ? 金は随分あるのだろうから、とりあえず宿か?』
冗談めかして言うニックにオーゼンが問う。
「そうだな。それも悪くは無いが、やはり最初は冒険者ギルドへ出向くとしよう」
『ふむ。その冒険者という単語は何度か聞いたが、結局冒険者とは何なのだ? 職業のひとつなのはわかるが、具体的に何をしているのかがわからぬ』
「そうなのか? アトラガルドには……ああ、いや、単に呼び方が違うだけという可能性もあるのか。儂が説明してもいいが、どうせギルドの受付で説明されるのだ。それを一緒に聞けば良かろう。っと、ここだな」
ニックが足を止めた先には、石造りの大きく立派な建物がある。自由を表す二枚の羽と力の象徴たる剣の紋章を掲げた旗がたなびくのは、世界共通でそこが冒険者ギルドである証だ。
「邪魔するぞ」
「いらっしゃいませ。冒険者ギルドへようこそ」
ニックが建物の中に踏み込むと、冒険者ギルド特有のむわっとした空気がその巨体を包み込む。いざという時に人々が避難する堅牢な砦としての意味も持つ建物は些か通気性に欠け、男性比率が高いこともあり独特の匂いが辺りに漂っている。
そんな空気を気にすること無く、ニックは受付の列に並んだ。幸いにして朝の一番忙しい時間帯は外れていたため、ほとんど待つこと無くニックの順番がやってくる。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」
「うむ。冒険者として新規登録したい」
「登録ですね。わかり……登録!?」
流れるような動作で書類を取り出そうとした受付嬢が、思わずニックを二度見する。
「えっと……新規登録、ですか? 本拠地の移転手続きとかではなく?」
基本的に冒険者は自由な存在だが、一定以上の実力を持つ冒険者は本拠地の申告が推奨されている。これは何か緊急事態が起きたときにスムーズに戦力を集めるためで、数日の滞在ならともかく月単位で腰を据える場合は大抵の冒険者は行っている。
受付嬢がこれを聞き返したのは、明らかにニックが強そうだったからだ。その見立ては正解ではあるが、しかし、そして当然ニックは首を横に振る。
「違う。新規登録だ」
「わ、わかりました。では少々お待ちください……」
再度の確認を経て、いぶかしげな表情をしつつも受付嬢が机の引き出しから必要な書類を取り出すと、改めてニックに向き直る。
「では、まずこちらに記入をお願い致します。代筆は必要ですか?」
「いや、大丈夫だ」
軽く手を振って断ると、ニックは黙々と書類に必要事項を記載していく。ちなみに代読が必要かと聞かれないのは、流石に依頼書が読めない人物を冒険者として登録するわけにはいかないからだ。文字を書けない者は間々いるが、まるきり読めないという者はほとんどいない。
『代筆を申し出られるということは、識字率はあまり高くないのか? 何と嘆かわしい。教育は文明の礎なるぞ? アトラガルドであれば幼子であっても自分の名前くらいは書けるものを……』
「よし。これでいいか?」
オーゼンの嘆きはそのままに、ニックは書き終わった書類を受付嬢に渡す。
「確認致します。登録者はニックさん、四〇歳。武器は素手で戦い方は格闘……間違いないですか?」
「うむ。相違ない」
「……あの、本当に素手なんですか? 武器とか……せめて籠手とかを利用されたりは?」
この世界にも己の肉体のみで戦い抜く戦士はいるが、本当に何も身につけないというわけではない。拳の硬さを補うために金属や魔物の骨を加工した籠手を身につけたり、要所要所を守る部分鎧を身につけたりするのは当然だ。
だからこそ受付嬢は聞き返した。人の良さそうな目の前の人物……ニックが無知故に命を落とすのは可哀想だと思ったからだ。いくら見た目が強そうでも、素手で人間が魔物に勝てるはずが無い……常識の範囲であれば。
「籠手か。籠手に限らず一通りの武器は使ったことがあるのだが、どうも儂が使うとすぐに壊れてしまってな。結局素手に落ち着いたのだ」
「そ、そうなんですか。それは仕方ないですね?」
すぐに壊れるとはどういうことだろうと疑問に思うも、試してみたということは考えなしではないのだろう。受付嬢は小首を傾げる程度で納得しておくことにして説明を続ける。
「では、新規登録ということで説明させていただきます。冒険者ギルドに登録された方は、最初の依頼をこなすことで正式に冒険者として登録します。その際にギルドガードをお渡ししますが、これは身分証を兼ねますので大切に保管してください。再発行には少額ですが費用をいただきます。
また、冒険者はその実力や依頼の達成率に応じて階級分けがなされておりまして、最初は銅から始まり、鉄、銀、金、白金の五段階になります。後は有名人になると二つ名が付いたりしますが、それはまた先の話ですね。階級によって受けられる依頼が変わりますのでご注意ください。
何か質問はありますか?」
「いや、無い。大丈夫だ」
よどみの無い受付嬢の長い説明に、ニックは問題無いと頷く。そもそもニックが冒険者として登録していなかったのは勇者パーティという完全上位互換の場所に身を置いていたからで、冒険者ギルドには何度も足を運んでいるし、依頼を解決したことも数え切れないほどある。それでもわざわざ説明を聞いたのは、オーゼンに聞かせるためだったからでしかない。
『なるほど。とりあえず冒険者の概要はわかった。ただ具体的な仕事内容や存在意義などは別だな。そこは後で道々語って聞かせるが良い』
「うむ。で、最初の依頼というのはどんなものなのだ?」
さりげなくオーゼンに返事をしつつ問うたニックに課せられた、記念すべき初めての仕事は――
「それは勿論、冒険者といえばこれ! と言うことで……薬草採取です!」
薬草採取の仕事だった。





