料理人弟、力を得る
「ムボシ? お前一体何を――」
「こんな優勝、絶対認められねぇ!」
突然現れた弟に戸惑いつつも声をかけるミツボシ。だがそんな兄の姿を一顧だにせず、ムボシは真っ直ぐにニックを見つめてそう言い放つ。
「希少な肉を手に入れたから優勝!? ふざけんな! そんなの料理競技会でも何でもないじゃねーか! いい肉を手に入れたら子供でも勝てるなんて、そんなの絶対間違ってるだろ!」
「ムボシ! 俺や親父の話を聞いてなかったのか!? これはあくまで俺の料理の腕に対し、ニックの貴重な素材を手に入れられる冒険者としての技量が上回った結果で――」
「うるせぇうるせぇうるせぇ! 認めねぇ! こんなの絶対……」
大声でわめき散らしながらムボシは懐に手を突っ込み、数日前に手に入れた暗紫色の小さな種を取り出し、思い返す………………
「チッ。おかしいだろこんなの! 何であんな奴が勝ち残って、俺が負けるんだ! どう考えたって俺の方が料理の腕は上だろうに……」
それは三日前の夜。予選に落ちたことでやけ酒を飲んだムボシは、悪態をつきながらフラフラと夜の町を彷徨っていた。汚い言葉を吐き続ける自分に周囲の視線が突き刺さる気がして、ムボシは知らず知らずに人気の無い方へと歩いて行く。
「糞っ! 力だ。力があれば俺だって――」
「力が欲しいか?」
「っ!? だ、誰だアンタ!?」
不意に声をかけられ、ムボシは俯きがちだった顔をあげる。すると目の前にいたのは、随分と高級そうな衣服に身を包んだ痩せぎすの男だった。
「私が誰かなどどうでもいいことだ。それよりお前、力が欲しいのか?」
「あ、ああ。欲しい。力があれば、あんな奴の好きになんてさせない……」
普通に考えれば、初対面の相手とこんな会話などするはずもない。だが男の妙に赤い目を見て、ムボシはまるで夢を見ているかのように己の心情を吐露していく。
「そうか。それならこれをやろう」
そう言って男が差し出したのは、暗紫色の小さな種。料理人として様々な食材を扱ってきたムボシだが、こんな色の種など見たことが無かった。
「これは我等が主が作り上げた、偉大な力を宿す種。お前が世の理不尽を感じた時、これを飲み込み力を求めよ。その思いが本物ならば、その時力が目覚めるだろう。偉大なるヤ……力……宿……」
そこでムボシの意識は途切れ、翌朝目覚めた時には自宅のベッドだった。最初は酔っ払って夢でも見たのかと思っていたムボシだったが、その懐には確かに暗紫色の種が入っていたのだった。
「おい、どうしたムボシ? 一体何を持っている?」
呼びかけるミツボシの声が、ムボシの意識を現実に引き戻す。開いた掌にはあの日手に入れた種があり、その表面が誘うように怪しく光っている。
「そうだ。お前が、お前が悪いんだ。お前が分不相応に優勝なんてしやがるから……」
種を渡された当初、ムボシはこんなものを使うつもりはなかった。何となく捨てる気にはなれず持ち歩いてはいたが、あくまでもそれだけのつもりだった。
だが今、あろうことか兄が負けた。遠く離れた場所から見ているだけでもとてつもない技量を発揮していた兄の料理が、ただ珍しい肉を焼いただけの男に負けた。
許せない。そんな理不尽はあってはならない。湧き上がる怒りが、やり場の無い想いがムボシの胸中を渦巻き、そして遂に……ムボシはそれを口にする。
「俺が! 俺が兄貴の敵を取ってやる! うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
「何だ!?」
その瞬間、ムボシの体から種と同じく暗紫色のオーラが立ち上った。その体が倍以上に膨れ上がり、はち切れんばかりに膨張した筋肉に全身の服がちぎれ飛ぶ。
「おぉぉ……凄ぇ、凄ぇ力だ。これだけの力があれば……」
「ムボシ!? そんな、何だこりゃ……」
『まさか、闇に落ちたのか!?』
突然の変化に周囲の観客から悲鳴があがり、ミツボシはその場に崩れ落ちるように膝を突く。オーゼンは焦った声をだし、そしてニックは……
「むーん?」
『おい、どうしたのだ貴様!? いや、確かに逆恨みとはいえ貴様が原因で人が闇に落ちたことに心を痛めるのはわかるが、今はそんな場合では――』
「いや、そうではなくてな。何というか……あれは本当に闇の力か? 魔族の力を取り込んで強くなろうと考える輩は割といてな。以前に戦ったこともあるのだが、それとはどうも違うような……」
『そう、なのか? いや、しかしあの急激な変化は……』
「ハハハハハ! 漲る! 力が漲るぞ! これなら勝てる! これならこんな奴相手にならない! さあ勝負だ筋肉親父! この俺がお前をぶちのめしてやる!」
「む? やるというなら相手になるが、そんな紛い物の力で儂の相手になると本気で思っておるのか?」
「当然だ!」
力強く断言するムボシの体は、パンパンに筋肉を膨れ上がらせた身長三メートルを超える巨人。ニックをすら小柄に見せるその体躯は確かに強そうではあるが、その戦闘力までがニックを超えていることなどあり得ない。
「さあ、行くぞ筋肉親父! いざ尋常に――」
「やめるんだムボシ! 俺はそんなこと望んで――」
「料理で勝負だ!」
「お……うむ?」
「いない……あん?」
ビシッと指を突きつけたムボシの言葉に、周囲の人々の動きがとまる。例外は挑戦されたニックだけが、その顔にも困惑が浮かんでいる。
「料理? 儂と料理で勝負をするのか?」
「そうだ! お前が勝ったのは希少素材を無料で手に入れたからだろう。だがこれだけの力があれば、俺だって自力でブラッドオックスくらい狩れる! 森の奥の香草や砂漠の香辛料だって調達できそうだし、頑張ればルベライトオックスだって……」
「いや、ルベライトは無理だと思うぞ? そもそも滅多に見つからんし、流石にちょっと強くなったくらいで変異前のヘルホーンオックスの単独討伐は無理であろう」
「そうなのか? いや、しかしそこは気合いで……」
「いや、待て! 待ってくれ! ムボシ、お前ニックを力ずくでどうにかするつもりじゃないのか?」
「は? 何言ってるんだ兄貴。俺は料理人だぞ? 勝負って言ったら料理勝負に決まってるじゃねーか!」
「そ、そうか。まあそうだが……おー、あー、うぉぉ!?!?」
いきなり巨大化した挙げ句全身から暗紫色のオーラ……何だか凄くヤバそうなオーラを立ち上らせてはいるものの、ごく普通に理性的な会話をするムボシに対し、むしろミツボシの方が混乱して何を言っていいのかわからなくなる。だが、それはミツボシだけではなく他の人物にしても同じだ。
「おいムボシ。お前その体、大丈夫なのか?」
「親父? ああ、別に平気だけど?」
「平気ってお前……」
「あー、ムボシと言ったか? お主自分の体がいきなりでかくなったことや、変な煙のようなものが全身から立ち上っていることには気づいておるか?」
「は? 何を馬鹿なこと……いやでも、確かに妙に視線が高いような……うぉぉぉぉ!?」
「お、気づいたか?」
「何で俺全裸になってるんだ!? ち、ちがっ!? 俺は露出趣味なんてないぞ!?」
「「「そこじゃねーよ!!!」」」
周囲から降り注ぐツッコミの嵐。だが当のムボシは巨体を丸め、恥ずかしそうにその場にうずくまってしまう。
「糞、糞、糞っ! なんでこんなことに!? そりゃ確かにそう言われたけど、こんな状況になるなんて……」
「言われた? ムボシ、お前一体誰に何をされたんだ?」
「そんなの俺もよくわかんねーよ! ただ夜に酔っ払って歩いてたら、何か力が欲しいかって言われて、欲しいって言ったらくれるって……その、や……」
「や? 闇の力か!?」
「違ぇよ! そうじゃなくて、その……や……ヤバスの力を……」
「…………ヤバス?」
偉大なる『ヤバス』の力を手に入れたムボシ。その状況は文字通りとてもヤバい感じになっていた。