父、回避する
「ふむ。これは何のつもりだ? まさかそこに転がっている輩と同じ事をするつもりではあるまい?」
「いや、それは……」
前に回った二人の戦士に無造作に背を向け問うニックに、馬車の側にいた戦士の方は戸惑いの声をあげる。彼からすると本当に感謝の言葉を伝え謝礼を渡したかっただけなのに、まさかいきなり断られるとは思わなかったために思わず二人に足止めを指示してしまっただけなのだ。
「突然の無礼をお許しいただきたい。自分は――」
「あー、だから名乗るな! いいからもう放っておいてくれ」
「しかし――」
「お待ちなさい」
不毛な問答を続けるニックと戦士の言い争いに、不意に馬車の中から若い女性と思われる声が割って入ってくる。
「ひ――」
「お黙りなさい! いいですか? 私が許可を出すまで口を開くことを禁じます。そちらの二人もです。異論はありますか?」
『……………………』
女性の言葉に、戦士達は全員沈黙を持って応える。つまり忠実に女性の言葉に従っているということだ。
「旅のお方。せっかく気を遣っていただいたのに、私の連れが至らず申し訳ありませんでした」
「ん? 何の話だ?」
「フフ。私達といらぬ関わりを持たぬよう、あえて巻き込まれることで助けてくださったのでしょう? 名を聞かぬのも礼を受け取らぬのもその一環。違いますか?」
『何と。貴様そんな事を考えていたのか? ……本当にか?』
「むぅ……」
二人の言葉に、ニックは何も答えない。万が一盗賊達が予想外の手練れで護衛が苦戦するようなら助けようとは思っていたが、基本的には本気で面倒だったからまっすぐ歩いていただけだと正直に答えない程度にはニックは空気の読める男だった。
もっとも、その後の礼を拒否したのは厄介ごとに巻き込まれたくないという意識からなので、完全に違うというわけでもないのだが。
「私もまた、貴方の心遣いを無下にするつもりはありません。私との縁を望む者は限りなくおりますが、望まぬ者がいることもまた必定。故に私は名乗りませんし、貴方のお名前も尋ねません。
ですがせめて謝礼くらいは受け取っていただけませんか? 誰ともわからぬ者からもらったお金であれば、そこから何かが起こることなどないでしょう?」
「確かにそうだが……そうだな、そこまで言うなら受け取っておこう」
「ありがとうございます。では……貴方、あちらの旅のお方に適切な謝礼をお渡ししてください」
態度を軟化させたニックに、馬車の女性は嬉しそうにそう言うと側にいた護衛の戦士に指示を出した。一瞬言葉に詰まったのは、おそらく名前を呼びそうになったからだろう。
「……………………」
「……う、うむ。すまんな」
女性に指示され、戦士が無言のまま鞄から革袋を取り出しニックに差し出してくる。その様子に何となく居心地の悪いものを感じながら受け取ったニックだったが、渡された袋の軽さにほんの少し表情を動かす。
「では、縁がありましたらまたお会いしましょう。行きますよ」
「……………………」
女性の指示に、護衛の戦士達は最後まで無言で馬車を走らせ始めた。幸いにして彼らの行き先は反対方向だったらしく、ニックもまた背を向け歩き始める。
ちなみに、地面に転がされていた盗賊達はニックの前に回り込んでいた二人の戦士によってあっさりとその命を絶たれ、森の中に転がされていた。完全武装の護衛をつけた馬車を襲うなど意味のある襲撃犯かも知れないとニックは気を回したが、どうやらただの馬鹿だったらしい。
『さっきまで礼などいらぬと言っていたのに、どういう風の吹き回しだ?』
馬車の姿が消えたところで、オーゼンがニックに問う。
「ん? ああ。獣人の領域の側であれば、近くにあるのは小さな村だと思ったのだが、あのような馬車が走っているならそれなりの規模の町があるのではないかと思ってな」
『それに何の問題があるというのだ?』
「娘と旅をしていたころなら関係なかったが、今の儂はただのニックだからな。身分を証明できるものが何も無い以上町に入るには入町税がいる。だが今の儂には手持ちがない……ということを思い出したのだ」
『何だそれは……では礼を受け取らねば町にすら入れなかったというのか?』
「まあその時は適当な魔物でも狩って魔石辺りで現物払いをすればどうとでもなったが、あれだけ言われて固辞するのも、何というか大人げないであろう?」
『それもそうだな。事実上貴様が盗賊を一掃したのだから、それに見合う報酬を受け取ることは別に悪くあるまい。で、礼はどの程度だったのだ?』
オーゼンに促され、ニックは袋の中身を手のひらに開ける。チャリンと音を立ててこぼれ落ちたのは、僅か三枚の貨幣。だが問題は枚数では無く、その材質だ。
「まさか金貨とはな……」
『ふむ。価値がありそうだと言うことは予想が付くが、具体的な価値を知りたい』
「そうだな。一般的な農民や職人なら、金貨など一生縁が無い。中規模以上の商いをする商人か貴族、あるいは一流と言われる冒険者のみが手にする貨幣……と言えばわかるか?」
『なるほど。つまりそれはあの程度の盗賊を片付けて手に入るような額ではないということだな?』
「そうだ。こんなものを気安く渡すとは、何処の貴族か王族か……まあ今の儂には関係の無いことだがな」
一般人ならそれこそ手が震えるであろう大金を、ニックは無造作に背嚢にしまい込む。勇者パーティとして活動していたころは消耗品の回復薬すら金貨数十枚という生活をしていたので、この程度の額でニックが動じることは無い。
『……待て。そんな高額の貨幣で入町税とやらを払うのか?』
「む?」
と、そこでオーゼンから入ったツッコミに、ニックは思わず足を止める。入町税は精々銅貨数枚であり、金貨などで払ったら釣りが大変なことになる。というかそもそも町の門にそんな枚数の銀貨や銅貨は備蓄されていないだろう。
「ま、まああれだ。当初の予定通り適当な魔物でも狩れば良いではないか! うむ、臨時収入など当てにせず、コツコツ堅実にいくのが成功への近道だぞ」
『面倒だからと諍いの場に突っ込む奴が、どの口でコツコツ堅実などとほざくか!』
「堅実ではないか! それともお主、道に小さな石ころが落ちているからといってわざわざ大きく迂回するのか?」
『……ああ、そうだな。これは我が悪かった。貴様にとってあの程度の相手など避けるにすら値しないのだな』
戦場の惨状を思い出し、オーゼンは素直にニックに謝罪した。真正面から斬りつけられてかすり傷すら負わないのなら、確かにそんなもの避ける方が無駄であろう。
「さあ、では魔物を探しつつ、町へと邁進しようではないか! 何か適当な……ブラッディオーガとかジェノサイドキングイールとか、エルダーリッチロード辺りでもいいのだが……」
『我はこの時代の魔物の名を知らぬが、それは絶対適当ではないのではないか?』
「そうか? もっと強い奴の方が無難であろうか?」
『……貴様、それらの魔物を倒して金銭にしていたのであろう? その呼び名で銅貨数枚程度の魔物ということはあるまい?』
「まあ確かにどいつも金貨数百から数千枚程度だが、魔石なら釣りなどもらわずとも適当に処理してしまえるではないか。どうせ一発殴れば終わるのだから、儂の方も大した損ではないしな」
『貴様という奴は……いや、こういう奴だから王の器たり得たのか? まさかそんなことないはずだ。我は王選のメダリオン。我の選定基準がこんな大雑把な感じになっているはずが……』
「さあ、サクサク行くぞオーゼンよ! 魔物共よ、かかってくるがいい!」
真剣に悩み始めるオーゼンを余所に、ニックは意気揚々と道を歩く。そんなニックがホブゴブリンの魔石を手に、ちょっとションボリしながら町へと入ったのはその日の夕方のことであった。