父、疑惑を向けられる
「いらっしゃいいらっしゃい!はいお待ち!」
路上で営業を始めて三日目。ニックの店は安くて美味いうえに珍しいブラッドオックスの肉を出すということもあって、かなりの人気店になっていた。他にも通りには大量の屋台が並んでいるため、長蛇の大行列などということにはなっていないが、それでもニックは汗だくになって肉串を作り、一心不乱に焼き続けている。
「はいお兄ちゃん、お待ち! っと、申し訳ない! 仕込んだ肉が切れるから、今の注文が焼き終わったら半鐘ほど休憩を取らせてもらう! すまんな!」
「えー、まあ仕方ないかぁ」
「また後で来ましょ」
「またなおじさん!」
頭を下げるニックに、ちょうど買おうとしていた客が幾人かそう言って屋台を離れていく。そのまま既に受けている注文分を焼き終えると、ニックはやっと屋台の端に置いた木箱に腰掛け一息ついた。
「ふーっ、なかなかに忙しいな」
『まさかこれほど繁盛するとはな。出来れば人を雇いたいところではあるが……』
「厳しいだろうなぁ」
オーゼンの呟きに、ニックは魔法の鞄から果実水を取り出しガブガブと飲み干す。特に冷えていたりはしないが、それでも甘味を伴う水分が夏の日差しと肉を焼く熱によってカラカラに乾いた体に染み渡っていく。
「くぅー、美味い! 人を雇うような伝手もないが、そもそも人など雇ったら儲けが全く無くなってしまう。競技会で勝つことだけを考えるならそれも手なのだろうが、薄利多売ならまだしも完全な赤字というのはどうにも気に入らんのだ」
マインが行商人の娘だったこともあり、ニックには商売に関するそんなこだわりがあった。と言っても商売などする機会はなかったので、ニック自身にしても今初めて気づいたようなものなのだが。
「ほぅ?」
そして、そんなニックの呟きを聞き、何故か屋台の外から関心の声があがる。ニックがそちらに顔を向けてみれば、そこには白い服に身を包むやや小太りの中年男性の姿があった。
「ん? お客か? すまぬ、今はまだ休憩中なのだが……」
「いや、俺は客じゃない。アンタと同じ競技会の参加者だ。アンタがこの屋台……親父の拳骨だったか? の店主で間違いないか?」
「ああ、そうだ。で、お主は? 儂に何か用があるのか?」
「俺を知らないのか!? これだから半端者は……俺はミツボシ。この町で一番の高級食堂を経営している料理人だ。で、俺がここに来たのは、どうもこの名誉ある競技会で不正を働いている輩がいると耳にしたからだ」
「ふむ。ミツボシ殿か。しかし不正? 思い当たることが無いが、ひょっとして儂の商売のやり方に何か問題があったのか?」
ミツボシの言葉に、ニックは難しい顔をして考え込む。競技会の規程はきちんと読んだつもりだったが、商人でも料理人でもないニックとしては、知らぬ間にやってはいけないことをしていた可能性は否定できなかったからだ。
「今の問いかけで怒らないのか。やはり聞いた話と違う気がするが……俺が聞いたのは、アンタがブラッドオックスの肉と偽って別の肉を売ってるって話だ。
知っての通り、ブラッドオックスってのは味の割に仕入れ値が高いせいでこの町の人間には馴染みが無い。だから初日のほんの少しだけ本物のブラッドオックスの肉を使って、その後は安い別の肉をブラッドオックスだと偽って売ってるんじゃないかって話があってな」
「そうなのか!? いや、間違いなく全てブラッドオックスの肉だぞ?」
初めて聞いたその事実に、ニックは思わず驚愕の声をあげる。
「なら、どうやってそれを仕入れてる? なかなかに繁盛しているようだし、そんな量のブラッドオックスがこの町に運び込まれてればすぐに話題になる。だが依頼を受けた冒険者はいないし、そもそもその値段で売り続けてたら今頃大赤字だ。
だからこそ金で名誉を買うような屑料理人かと思ったんだが……さっきの呟きを聞いてしまうとな」
そう言いながら、ミツボシの顔が微妙に歪んだ。疑うにも信じるにも決め手が無いという態度を示すミツボシに、ニックはおもむろに木箱から立ち上がると、手早く肉の塊を一口大に切り落とし始める。
「何をするつもりだ?」
「まあ待て。すぐに焼き上がる」
塩コショウのみで味付けされた肉串が、火事対策のため直接の火ではなく熱を発する魔法道具によって香ばしく焼き上げられていく。そうして出来上がったものを、ニックはミツボシに差し出した。
「食ってみろ。お主ならそれでわかるのであろう?」
「ああ…………うん、なるほど。確かにこいつはブラッドオックスの肉だ」
差し出された肉串を食べ、ミツボシが納得する……が、それでもミツボシの顔から疑惑は晴れない。
「なら、どうやってこの肉を仕入れてる? そもそも本当にブラッドオックスの肉だというなら、それこそこの値段で採算が取れるはずがない」
「仕入れはしておらん。これは全て儂が競技会開始前に自力で倒したブラッドオックスの肉だ。だからこそこの値段で売れるし、ちゃんと儲けも出ておる。まあ察しの通り大した額ではないがな」
「自力で!? いや、しかし朝からずっと営業しているだろう? いつ魔物を倒しに行っているんだ? まさか寝ずに狩りをしているなんてわけじゃないんだろう?」
「儂にはこれがあるからな」
ポンと肩掛け鞄を叩くニック。それをじっと見つめたミツボシが、今日一番の驚愕の声をあげた。
「まさか、魔法の鞄!?」
「そういうことだ。これに入れておけば生肉でも腐ったりせんからな」
魔法の鞄に入れた物は、入れた時の状態が長期間維持されるようになっている。と言ってもそれは勿論内部の時間が止まっているなどというトンデモ魔法ではなく、魔法の鞄に入れることによって物品が転送される先、即ち中央集積倉庫には「入ってきた物体の状態を保持する」という魔法がかかっているからだ。
ただし、その魔法がかかっているが故にそれが効果を示さない生物は中央集積倉庫への転送が為されず、魔法の鞄には入らない。鞄に手を突っ込んで中身を取り出すという行為も、手の部分だけが中央集積倉庫へ繋がるのではなく、鞄に突っ込んだ手の中に望んだ物品が転送されてくるのが事実なのだが、ほとんどの使用者はそんなことを意識することはない。
「まさか、そんな高価な物を持っていたとは……だが、それなら確かに頷ける。どうやらアンタの言い分は正しいようだ。疑って悪かったな」
「いや、わかってくれればいいのだ。気にするな」
素直に頭を下げたミツボシに、ニックもまた笑顔で返す。疑われたこと自体は決して気分のいいことではないが、きちんと話を聞いてくれ、かつ謝罪までする相手に対して理不尽に怒りをぶつけるほどニックは器の小さい男ではなかった。
「しかし、ブラッドオックスを苦も無く倒す実力に、高価な魔法の鞄を保有する料理人……というか、冒険者だよな? 俺を知らないようだったし、さっきの串焼きも……」
口ごもるミツボシに、ニックは軽く笑って答える。
「はは。まあ家庭料理であるから、お主のような本職の料理人からすれば児戯のように思われても仕方あるまい。確かに儂は冒険者だ。だが、それがどうかしたか?」
侮蔑とすら取られかねない己の意思をニックが笑って流したことで、ミツボシの目に力が宿る。そのまま真っ直ぐにニックを見据えると、ゆっくりとその口を開いた。
「アンタが料理人じゃなく冒険者だって言うなら……どうだ、俺と組まないか?」