父、売りさばく
幸いにして毎年祭りを行っている町だけあり、マールヤッキの宿泊施設には十分な余裕がある。ニックは危なげなくやや高級な宿に部屋を取り、その後は狩ってきた魔物の解体や必要な材料の調達などを行いつつ、過ごすこと三日。その日遂に、ニックは借り受けた屋台を引いて町に乗り出した。
「ここが指定の場所か。なかなかの立地だな」
中央広場から伸びる大通り。四〇もの屋台が連なる場所の一角に屋台を据えると、ニックは満足げな顔で周囲を見回した。
『参加者全員が同時に店を出すのではなく、少しずつ分けた期間で出店させるか。なかなか上手い方法を考えたものだな』
「うむ。完全に平等などあり得んが、これならば十分に勝負になるであろう」
テキパキと屋台の準備をしながらニックとオーゼンが会話を交わす。今回の競技会は一ヶ月という開催期間があり、参加者は全五週のどれか一週にお店を出してそこでの売り上げが決勝進出への判断材料となる。
これは同時出店数を搾ることでどうしても出てくる立地の不公平を最低限にし、かつ懐も腹具合も有限であるお客が一部の有名店ばかりに流れてしまうのを防ぎ、無名の店にも足が向きやすくなるようにとの開催側の配慮であった。
これには当初一部の店が反発したが、優勝の最有力と見なされる料理人が「この程度の条件で勝てぬようならそもそもこの競技会に出る資格が無い」と言い放ったことでそれ以上の反対意見は出なくなり、この形式であればこそニックは最終週の参加締め切りにギリギリ間に合うことができたのだった。
「フンフンフーン♪ フンフフーン♪」
そんなわけで、ニックはご機嫌に鼻歌を歌いながら魔法の鞄から解体したブラッドオックスの肉を取り出し、それを一口大の大きさに切っては木串に刺して順次焼いていく。脂の焼ける香ばしい匂いが辺りに漂い、通りを歩く人の一部が足を止めてニックの屋台をのぞき込み始めた。
「大将、随分いい匂いだけど、こいつは何の肉だい?」
「これか? こいつはブラッドオックスの肉だ」
「ブラッドオックス! そりゃ珍しいな。この町に住んで長いけど、一回も食ったことねぇや」
「はは。まあ値段ほどに飛び抜けて美味いわけではないからな」
話しかけてきた客の男に、ニックは苦笑いを浮かべて答える。金に糸目をつけない美食家ならともかく、庶民はちょっと美味しい代わりに数倍高い肉を食べるようなことはまずしない。実際目の前の客の男の顔にも、若干の落胆が見て取れる。
「じゃあこいつも高いのか。ちなみにいくらだい?」
「そうだな……二本で銅貨一枚でどうだ?」
「安っ!? え、それでいいのか!? そんなの元が取れないだろ!?」
同じくらいの大きさのマッドオックスの肉串は、一般的には三本で銅貨一枚だ。それに対してブラッドオックスの肉串は供給量が少ないこともあり一本で銅貨二枚はする。つまりこれはかなりの破格であり、通常ならば大赤字になる値付けだ。
「そんなことはないぞ。何せ儂が自分で倒した獲物だからな」
だが、ニックは笑って力拳を見せつつ言う。他人に依頼して仕入れれば赤字でも、自分で倒せば支払うのは自分の労力と必要経費のみだ。そしてニックほどの強者であればマッドオックスだろうとブラッドオックスだろうと倒す手間はかからず、殴れば一発で倒せるとなれば経費も何も無い。
勿論使用している塩や胡椒などの費用はあるが、それは使用量や肉の仕入れ値に比べれば微々たる物だ。当然この金額で赤字になどなるはずもない。
「そりゃいい! よし、じゃあ二本くれ!」
「あ、俺も! せっかくだし一度くらいは食べてみたい!」
「じゃあ私も!」
一人が呼び水となれば、次々に他の客からも声があがる。珍しい肉が安く食べられるとなれば、祭りを楽しみに来ている客の財布の紐が緩むのは必然だ。
「喜んで! どんどん焼くからちょっと待ってくれ」
客の求めに応じて、ニックは手際よく肉串を焼いていく。ちなみにだが、この世界におけるまっとうな貨幣の最低は銅貨だ。故にどんな安い物でも基本的には銅貨一枚分にまとめて売るのが基本になっており、定食屋などでも食事に酒をつけるなどして必ず銅貨一枚分の価値になるようにしている。
一応大きく傷ついたり欠けたりした銅貨を「潰貨」と称してそれ一〇〇枚を銅貨一枚分と考える価値観もあるが、潰貨の価値は国の保証の対象外であり、貧民街などの銅貨すら得がたい生活をする人々の間で出回っているのみであり、まともな店ではまず使えない。
これはあまりに少額の貨幣だと貨幣の価値より金属の価値の方が上回ってしまうことや、それが存在する利便性より管理する手間の方が圧倒的に上になってしまうからだ――閑話休題。
「よーし、焼けたぞ! ほれ!」
「ありがと大将! どれ……おお、確かにいつもの肉串よりちょっと美味いな!」
「ホントだ。結構違うな」
「おいしーい! 何倍も出すほどじゃないけど、でも美味しい!」
「ハハハ。そうだろうそうだろう! まあ儂の所では一週間変わらずこの値段で売るから、気に入ったらまた買いに来てくれ」
「おう、そうさせてもらうぜ!」
あっという間に二本の肉串を平らげた客の男が、笑顔でそう言って去って行く。他の客も満足そうに笑い、ニックはそれを笑顔で見送りつつ次々と肉を切り、串に刺し、そして焼いては売っていく。
『何というか、これでいいのか? 今ひとつ微妙な気がするが』
「はいお待ち! (わかっとらんなオーゼン。これでいいのだ。儂は本職の料理人ではないのだから、客が感動してむせび泣くような料理など作れん。だからこそ安く手軽に食えて、思ったよりもちょっと美味いというのは最高の褒め言葉なのだぞ?) よし、次も焼けたぞ! お待ちどお!」
『そんなものか。まあ確かに客の満足度は高そうだな』
大行列が出来たりするわけではないが、ニックの串焼きはそれなりのペースで売れていく。そんななか、一人の客が肉串に齧り付きながらニックに問うた。
「なあオッチャン。この店の名前は何て言うんだ? 今度友達にも紹介しようと思うんだけど」
「名前!? あー、そうだな……」
『考えていなかったのか!? いや、まあ屋台であればそれもやむなし、か?』
予想外の事を問われ、ニックは思わず考え込む。その間も手は動き続け、己の大きな手がクルクルと肉串を回しながら焼いているのを見て……
「よし、決めたぞ! この店の名は『親父の拳骨』に決定だ!」
「おお、何か雰囲気のある名前だね。親父の拳骨か……友達にもそう言っておくよ」
「ありがとう。よろしく頼むぞ! じゃ、そんなお主には一本おまけだ!」
「やった! ありがとうオッチャン! んー、美味い! ブラッドオックスってやっぱり普通のより美味いんだなぁ」
追加の肉串をもらって、客の男が嬉しそうにかぶりつく。その食べっぷりに釣られて足を止めた男から注文が入り、ニックは笑顔で肉を焼く。
『親父の拳骨か。実に貴様らしい名前だな』
「うむ! さぁ、安いぞ美味いぞ! 珍しいブラッドオックスの肉串が、二本で銅貨一枚だ! 肉串屋台『親父の拳骨』、今日から一週間の営業だぞ! いらっしゃいいらっしゃい!」
「『親父の拳骨』? 故郷の父さん元気かな……」
「ブラッドオックスとは珍しい。安いし買ってみようかな?」
「どうせならあのオッサンの拳骨サイズの肉を焼いてくれねーかなぁ」
「馬鹿かお前? そんなの屋台で焼いたら生焼けで食えないだろ」
威勢のいいニックの呼び込みに、道行く人が思い思いに反応する。興味を示す人、通り過ぎる人。買う人、買わない人。疑う人に信じる人。色んな人が行き交う中で、ニックの屋台は順調に売り上げを伸ばしていった。