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吸血鬼、訓練する

「「「ヤバス! ヤバス!」」」


「もっとだ! もっと腹から声を出せ!」


「「「ヤバス! ヤバス!」」」


「もっと! もっとだ!」


 魔族の領域からは大分離れた、人の寄りつかない暗い森の奥。そこでは無数のヴァンパイア達が、何故か正拳突きをしながら「ヤバス!」と声を張り上げていた。


「よーし、今日はここまでだ!」


「ありがとうございました!」


 リーダー格と思われるヴァンパイアの言葉を受け、その他のヴァンパイア達が一礼をして体の緊張を解く。すぐに帰宅する者、仲間と談笑する者などその行動は様々だが、そんな中に一人、森に作られた広場の隅でため息をつく若いヴァンパイアの姿があった。


「ん? どうした? そんなしょぼくれた顔をして」


「あ、侍従長様……」


 それを気にしたリーダー格の男が歩み寄ると、若いヴァンパイアは一瞬そちらに顔を向けるも、すぐに下を向いてしまう。


「何だ? 何か悩み事か?」


「悩みというか……私達は本当にこんなことをしていていいんでしょうか?」


 若者の漏らした呟きに、侍従長と呼ばれたヴァンパイアの目が瞬時に血走る。


「ほう? それはヤバスチャン様の方針に異を唱えるということか?」


「ち、違います! 決してそのようなことは! ただ……」


 体からほとばしる暗赤の魔力に殺気すら滲ませる侍従長に対し、青年は大慌てで否定の言葉を口にしつつも己の思いを吐露していく。


「戦闘訓練ならわかります。あるいは情報収集のために下等な人間共に混じるため、奴らの文化や風習、歴史を学ぶというのも理解できます。ですがこの……語尾に『ヤバス』とつける訓練に一体どんな意味があるのか、どうしても自分にはわからないのです」


「ふむ……お前今幾つだ?」


「自分ですか? えーっと、確か七五だったと思いますが」


「若いな」


 冷静さを取り戻した侍従長が、若年のヴァンパイアの言葉に思わず目を細める。激しい怒りはとっくになりを潜め、その内にあるのは幼子に常識を教えるような気持ちだけだ。


「お前、我がギリギリスの一族がどのような家系か、知っているか?」


「え? それはまあ、一応……代々魔王様のお側にお仕えした名誉ある一族なのですよね?」


「それは正しいが、全てでは無い。我等が魔王様のお側と呼べる場所でお仕え出来たのは、三代目様からのなのだ。


 知っての通り、我等ヴァンパイアはそこまで強い種族というわけではない。ヤバスチャン様のような真祖の方々はともかく、たとえばお前くらいまで位が下がれば銀級冒険者辺りに倒されることもあるだろう?」


「それは、まあ……」


 侍従長の言葉に、男は不満げな顔でそう口にする。紛い物レッサー混じり物ハーフとは違う純血とはいえ、生まれて一〇〇年もたたない彼にはそれ程の力は宿っていない。


「そんな我等が脚光を浴びたのは、二代目の魔王様が『魔王軍』を設立したからだ。そこで我の強い強者達と上手く折衝したり内政面での活躍を見せることで、二代目様の時には軍団長に、三代目様の時は参謀に、そして今代、四代目様になって遂に四天王という地位にまで上り詰めた。それが我等ギリギリス家の栄光の軌跡だ。


 だが、だからこそ問題もある。つまり……魔王様が倒され、魔王軍が存在していない時期。我等の存在は不本意ながら非常に地味なのだ」


「じ、地味、ですか?」


「そうだ。実際今代の魔王様があそこで現れなければ、ご当主様は近く隠棲を考えておられた。暴力だけが支配する世界では、我等はどうにも生きづらいのだ。お前だってあんなウガウガ言ってるだけの奴らとは一緒に生活できんだろう?」


「あー、それはまあ。確かに最低限文化的な生活はしたいですね」


 魔族領域においては戦闘力の高い種族ほど発言力が強くなる反面、その文化レベルは下がっていく傾向にある。強者故に奪う事を前提として考えるため、自ら何かを生み出したり維持しようとする意識が薄れるためだ。


 だが、ヴァンパイアとして高い知能と理性を持っているだけに、ボロい家で生肉を囓るような生活はとても耐えられない。ベッドの棺のクッション性にはこだわりたいし、週に一度くらいは玉突き遊びビリヤードなどにも興じたい。


「だろう? だから我等はこの機会を活かし、しっかりと存在感を高める必要がある。仮に……もし仮に今代の魔王様が勇者に敗れることがあっても、今度こそ我等の存在が忘れられないように、しっかりとあの阿呆共の脳髄に我等の活躍を刻み込まねばならぬのだ! そしてその手段こそが、ヤバスチャン様のお考えになった『ヤバス』という言葉なのだ!」


「そ、そんな深い意味があったのですか……!」


 自分達が強いと理解してもらえれば、物の価値もわからない強いだけの他の魔族が襲ってくることもなくなる。そうなれば安心して暮らせる……それは正しく先を見据えた行動であり、青年が抱いていたヤバスチャンへのほんの僅かな疑念が朝霧の如く霧散していく。


「それにな……ちょっと待ってろ」


 そう言うと、侍従長の男が一旦姿を消し、すぐに水の入った花瓶程度の大きさの壺を手に戻ってくる。


「これに手を入れてみろ」


「これに? アツゥイ!? ちょっ、これはまさか!?」


 指先がちょっと触れただけにも関わらず全身を焦がすような激痛を感じ、青年が目を見開いて侍従長の方を見る。


「そうだ。これは聖水……しかも『黄金の聖女』の作った最高品質の聖水だ」


「ひえっ!?」


 世界で唯一神の声が聞けるという噂のある『黄金の聖女』。それが作った聖水となれば、たとえ真祖であっても浴びれば大ダメージは必至。ましてや自分など一瞬で灰になってしまうと体で理解できたために、青年の瞳は強烈な怯えに染まる。


「何でそんなものがここに!?」


「うむ。実はな。ヤバスチャン様は、毎日この特別な聖水……黄金聖水とでも呼ぶべきか? これに満たされた壺に正拳突きを行いながら『ヤバス!』と叫ぶ訓練をしておられるのだ」


「これに手を!? 信じられない。そんなことをしたら……」


「無論、如何にヤバスチャン様とてただではすまぬ。だがそれでもあのお方は毎朝それを繰り返しておられる。何故なら真にヤバい状態にならねば、ヤバスという言葉に魂が籠もらないからだ。


 しかも、これだけでは無いぞ? 何と週に一度は浴槽にこの黄金聖水を満たし、全裸でその浴槽の上に四つん這いになりながら『ヤバス!』と叫んでおられるのだ! うつ伏せではないぞ? 天井に顔を向け、背を反らせてだ!」


「そんな!? そんな姿勢でそんなことをしたら……」


「そうだ。誰かに助けてもらわぬ限り、自力では脱出できない。だがヤバスチャン様はそれを幾度も繰り返し……そして毎回必ず最後は浴槽に落ちるのだ」


「落ちているのですか!?」


「そう、落ちているのだ! 落ちる度に生死の境を彷徨い、そのあまりのヤバさを毎週毎週体感しておられる。だからこそヤバスチャン様の『ヤバス!』には、人の心を揺さぶる何かが籠もっているのだ」


「そんな……ヤバスチャン様がそれ程の覚悟を持っていたなんで……自分は何と愚かだったのか……」


 偉大なる宗主の努力を聞かされ、若いヴァンパイアの頬に止めどなく涙が流れ落ちる。真っ赤に充血した瞳に浮かぶのは、深い後悔と心からの尊敬の念だ。


「ヤバスチャン様はお優しい方だ。決して我等に同じ訓練をしろなどとは言わぬ。だが私は少しでもヤバスチャン様のお心に近づくべく、こうして黄金聖水を分けてもらって独自に特訓をしているのだ。


 私もまた年若いお前に同じ事をしろとは言わん。だがたとえ若くても同じギリギリス家の一員。であれば……」


「勿論です! どうか自分も鍛えてください! 少しでもヤバスチャン様のお力になるために!」


 決意を込めた若者の顔に、侍従長が思わず破顔する。


「そうか! ならばそうだな、最初は木桶に張った黄金聖水に、ギリギリまで顔を近づける訓練から始めるか。目の前に迫る死の恐怖に、己の『ヤバス』を感じ取るのだ」


「お願いします!」


「ではいくぞ……ヤバス!」


「ヤバス!」





 今日も森の奥深くにて、ヴァンパイア達の「ヤバス!」の声が響き渡る。その訓練に本当に意味があるかどうかは……今はまだ誰も知らない。

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[気になる点] 黄金聖水(意味深) しかし週に一度、浴槽を満たせるほどの黄金聖水を入手できる魔王軍とは一体…
[一言] 魔王軍は放置しといても問題ないんじゃないか? ┐(´~`)┌
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