父、襲われる
「おお、道だ!」
一週間ほどかけて森を抜けたニック達の前に、遂に道が現れた。それなりの人数が行き来しているであろうしっかりと踏み固められた大地の傷が、ニックの中に安心感を呼び起こす。
ちなみに、きっちり一週間かけて森を抜けたのは、人里が近いというのに木々をなぎ倒しながら歩くのはどうかと思ったからだ。どうしても急ぐ事情があるか、あるいは娘が関わっているかでなければニックは基本常識人であった。
『ふむ。やっとこの時代の人間に出会えるのか。楽しみであり恐ろしくもあるな』
「恐ろしい? 何故だ?」
背嚢の中から聞こえてきた声に、ニックは軽く首を後ろに向けて問う。思いの外感情豊かなオーゼンとの会話は、ここ一週間のニックの密かな楽しみになっていた。
『偉大なるアトラガルド亡き今、人の文明がどの程度まで衰退したのかを遂に目の当たりにすると思うとな……あの獣人の村を見る限り、相当原始的な生活を強いられているようだが』
「あれは小さな村だったからなぁ」
確かにミミル達の暮らす村は素朴な作りであったが、かつてニックが勇者パーティとして巡った獣人の国は人間の国と変わらず十分に文化的であった。
無論皆が同じ姿である基人族と違って、獣人達は多種多様な体を持つ。そのため町の随所に獣人ならではの工夫は凝らされていたが、決して野蛮で原始的などというものではなかった。
「ま、どうせ今から向かうのだ。それは己の目で確かめれば……む?」
『どうしたのだニック?』
突然ニックが足を止めたことにオーゼンが疑問の声をあげるが、ニックはそれに応えることなく素早く森の中に身を翻すと、そのまま静かに道に沿って移動していった。
「どうやら馬車が襲われているようだな」
そのまましばらく進むと、二人の先に多数の人の集団が見える。豪華な作りの馬車と護衛に、それを取り囲むみすぼらしい男達だ。
『どうするのだニック? 助けるのか?』
「ふーむ。いや、その必要は無かろう」
オーゼンの問いに、しかしニックは悠然とそう答える。
『……貴様ほどの力を持つ者が、まさか盗賊風情に臆したわけではあるまい? 理由を教えるのだ』
「簡単だ。あの状況で負けるはずがない」
馬車を守護しているのは完全武装の戦士が三人。磨き抜かれた剣と全身金属鎧を身につけている辺り、冒険者ではなく騎士の類いだろう。
対して盗賊の方はいかにも奪っただけで手入れもしていないボロボロの武器を手にしている者が八人。あれで騎士の鎧を傷つけるのは余程の腕がなければ無理だ。森の中にも二人ほど潜んでいる気配があり、おそらく弓を持っているのだろうが、その程度ではこの戦局を覆す要因にはなり得ない。
「数に三倍の差があったとしても、一太刀で敵を倒せる騎士と何十回と打ち付けねば倒せぬ盗賊では戦力に差がありすぎる。ならば下手に手助けしても、むしろ恩を押しつけられたと感じるかも知れぬからな」
『そうか。確かに貴様の判断も正解のひとつではあるだろう。ならばどうする? このままここで待つのか?』
ニックの判断は、オーゼンから見ても妥当であった。自分たちで確実に勝てる勝負に横から助けに入ってくるなど、むしろ背後から斬り掛かられるのではないかと警戒しなければならなくなって迷惑ですらあるからだ。
故に出したオーゼンの提案に、しかしニックは首を横に振る。
「いや、このまま道に出て普通に歩いて行くことにする」
『は? いやいやいや、ちょっと待て。それは無いであろう!?』
ニックから跳び出た斜め上の提案に、今度はオーゼンが否定の言葉を返す。
『どうせすぐに終わるのならば、ここで待つか、せめて遠回りすればいいではないか。何故普通に道を行くなどとたわけたことを!?』
「決まっておろう。面倒くさいからだ!」
『め、面倒!? そんな理由でか!?』
「然り! 別に奴らの邪魔をしなければ隣を通り過ぎるくらい良いではないか。ということで、行くぞ」
『ま、待て! 待つのだニック! 待てと言うとろうに!』
オーゼンの必死の制止を聞くこと無く、ニックは軽い足取りで森から出ると再び道を歩き始めた。勿論その巨体はすぐに双方の目に付き、ニックの前に盗賊の一人が立ちはだかる。
「おいオッサン! テメェ何のつもりだ!」
「何? 何と言われれば、儂は道を歩いているだけだが?」
「は? 馬鹿か? 俺達が何してるかわかんねぇわけじゃねぇんだろ?」
「盗賊の類いであろう? 別に儂には関係の無いことだ。好きにすれば良い」
心底どうでもよさげに言うニックに、しかし頭の悪そうな盗賊は食ってかかる。
「それではいそうですかって通すわけねぇだろ! ここを通りたきゃ有り金全部置いて行きやがれ!」
「金か。生憎銅貨一枚も持っていないな」
「ふざけんな! ならその荷物を置いていけ!」
「中身は儂の着替えの下着や保存食だぞ? そんなもの本気で欲しいのか?」
「うっ……」
言われて、盗賊が一瞬言葉に詰まる。ニックの言葉を信じたならば、確かにオッサンの下着など欲しくも無いし保存食も金になるようなものではない。だがここまで言われては盗賊としても引き下がることができず、それが彼らの運命を決めた。
「う、うるせぇうるせぇうるせぇ! いいから黙って言うとおりにすりゃいいんだよ! もういい、死ね!」
刃こぼれすらしている剣が、ニックに向かって振り下ろされる。だがそんなものニックからすれば止まっているのと同じだ。ニックは迫り来る刀身を素手で無造作に掴むと、そのままグッと拳を握りこんだ。瞬間ベキンと音を立て、剣の刀身が砕け散る。
「…………は?」
「随分質の悪い剣だな。良い鉄を使っていれば歪むくらいで済むのだが、まさか砕けるとは」
何が起きたのか理解できないという顔で呆気にとられる盗賊に、ニックはつまらなそうにダメ出しする。そうして動かない盗賊の頭を掴むと、そのまま他の盗賊に向かって投げ飛ばした。
「ぐぎゃっ!?」
「う、うぉぉ!? 殺せ! とにかくまずコイツを殺せ!」
仲間の体当たりを食らって潰れた盗賊をそのままに、一人だけやや立派な装備をした盗賊が仲間達に呼びかける。すると姿を見せていた盗賊達が馬車をそっちのけでニックに殺到し、森の中に身を隠していたであろう盗賊達からは幾本もの矢が射かけられる。
だが、効かない。そう、当たらないのではなく効かない。ニックを斬りつけた剣は折れ、突いた槍は曲がり、飛んできた矢は刺さること無くそのまま地面に落ちる。ニックにとって盗賊達の攻撃は、回避にすら値しない。
「何だコイツ! バケモノか!?」
「人を化け物呼ばわりとは、失礼な奴だな」
「ぐわぁぁぁ!?」
そしてニックが無造作に振るう手は、盗賊達にとっては必殺だった。虫を払うような無造作な手つきだったが、腹に当たれば血反吐を吐きながら悶絶し、肩に当たれば痛みに地面をのたうち回り、頭に当たれば一瞬で意識を刈り取られた。かろうじて全員生きてはいるが、それは今後のことを考えたニックの気遣い故だ。
「ふむ、これで終わりか?」
『……何というか、身も蓋もないな』
結局何も出来なかった盗賊達が全員地面に横たわったところで、オーゼンが呆れた呟きを漏らす。盗賊に同情など抱きようも無いが、奴らの言った「化け物」という言葉にだけは内心こっそり同意しておいた。
「よし、では行くか」
「ま、待て! いや、待ってください!」
パンパンと手をはたいてそのまま立ち去ろうとするニックだったが、そこに馬車を護衛していた男の一人から声がかかる。
「ふむ、断る」
「ありがとうございます。自分は……あれ? え、断る!? お、おいお前達!」
「は、ハッ!」
あっさり断ったニックに虚を突かれた男だったが、すぐに指示を出し残りの二人がニックの前に立ち塞がる。流石に剣は抜いていないが、その手が腰にかかっているのはやむを得ないだろう。
どうやら厄介ごとはニックを逃がしてはくれないようだ。