父、あがりこむ
「あ、すまぬ。間違えたようだ」
「え? え!? ちょっ、待ち――」
見覚えのある半裸の女性……ムーナの言葉を最後まで聞くこと無く扉を閉めると、ニックはその場で首を傾げた。
「おかしい。失敗か? 手応えはあったのだが……」
『おい貴様、今のはどういうことだ? まさか今のが「お楽しみ」だとでも言うつもりではあるまいな!?』
「そんなわけなかろう。うーむ。ではもう一回……」
『あ、待て。まだやるならば発条を巻くのだ。扉を媒介とするせいか思ったよりも燃費はよさそうだが、それでも金の鍵による未登録転移は多大な魔力を消費するからな』
「む、わかった」
オーゼンの言葉に従い、鍵から発条へとオーゼンを変化させたニックがキリキリとネジを巻いていく。五分ほどでその作業を終えると、ニックは再び金の鍵を手に意識を集中させ……そして扉を開く。
「今度こそ……どうだっ!?」
「……………………」
開いた扉の先では、今度は下着に手をかけたムーナの姿があった。微妙に時間が空いたため、もう来ないだろうと着替えを再開していたのだ。
「ニックぅ? アンタねぇ……」
「あー、すまん。また間違えたようだ」
鬼の形相を浮かべるムーナに皆まで言わせず、ニックが再び扉を閉める。そうして部屋を満たすのは奇妙な沈黙。
『……おい貴様よ。本当に何がしたいのだ? まさか偉大なる王能百式の力を用いて覗きをしたいなどと言うつもりはないだろうな?』
「違う違う! 違うが……おかしいな。こんなはずではないのだが。何がいかんのだ?」
『そんな事我が知るか!』
独り言気味のニックの呟きに律儀にツッコミを入れるオーゼン。だがニックがこの程度の失敗で諦めるはずもなく、金の鍵は三度回される。そうして扉が開かれると……
「うぼぁ!?」
『ニック!?』
「ッシャオラァ!」
ニックの頭部が爆炎に包まれ、パンイチのまま杖を掲げたムーナが思わずガッツポーズを決める。不審者に対してムーナが放った攻撃魔法が見事に炸裂したのだ。
「一度目は許すわぁ! 誰だって失敗することはあるものぉ! 二度目もまあ許容するわぁ。失敗したかどうかを確認するのは大切なことだものぉ! でも三度! 三度目は許さないわぁ!」
「げほっ、ごほっ……言いたいことはわかるが、随分な歓迎ではないか? 儂でなければ頭が吹き跳んでいる威力だぞ?」
「ニックだからいいのよぉ! てかさっきから何なのよぉ! 着替え中の人の部屋に何度も出たり入ったりぃ……」
「ああ、そうだな。すまんすまん」
口から黒煙を吐き、髪をチリチリにしたニックがそう言いながら扉をくぐり、室内へと入っていく。
「入ってくるのぉ!? 普通そこは出ていくところじゃないのぉ!?」
「それはそうなのだろうが、儂にも事情というものがあるのだ。流石にこうも失敗続きでは、次もここに繋がるかはわからんからな」
「……どういうことぉ?」
「説明するのはいいのだが、とりあえず着替えたらどうだ?」
「……ハァ。そうさせてもらうわぁ」
全く部屋を出ていく気配の無いニックに、ムーナは諦めのため息と共に着替えを再開した。もしニックの視線に僅かでも色欲が見られれば違う対応をしたのだろうが、ほぼ全裸の自分を前に全く変わらぬ態度を見せられては、ムーナとしてもこれ以上責める気にはなれなかったのだ。
『おい貴様、結局これはどういうことなのだ? そもそもここは何処で、あの女は誰なのだ?』
それでも流石にじっと見ているのも問題かと、クルリとムーナに背を向けたニックにオーゼンが話しかけ、ニックはそれにこっそりと答える。
(あれはムーナと言って、かつての儂の仲間……というか、娘の仲間だ。そしてここが何処かと言われると、儂にもわからん)
『わからん? わからんとはどういうことだ? 確かに金の鍵は思い描いた場所への扉を開くが、説明した通り一度でも行ったことのある場所だけだぞ?』
(はっはっは。それについて儂はこう考えたのだ。儂と娘は一心同体。ならば娘の今いる場所には儂もいると言っても過言ではない。つまり今娘のいる場所を念じて扉を開いたのだ!)
『そんな事出来るわけなかろう!? 行ったことも無い場所の、どこにいるかもわからん娘の場所に「己がいる」と定義して扉を開く!? そんな使い方が出来るなら、それこそ世界中何処へでも好きに跳べるではないか!?』
(そんなことはあるまい。如何に儂とて娘以外のいる場所には跳べぬと思うぞ?)
『相手を限定すればいいとか、そう言う問題では――』
「それ以上言っても無駄よぉ。どうせニックには常識なんて通用しないわぁ」
「むぅ、何を言うかムーナ!? 儂の何処に常識が通じぬというのだ!?」
「常識のある人は着替え中の女の部屋に堂々と入ってきたりしないわぁ」
「ぐぅぅ……反論の余地が無い……」
背後から聞こえるシュルシュルという布ずれの音を聞きながら、ニックが悔しげに言葉を詰まらせる。
「いや、しかし儂だってお主が相手でなければ平然と部屋に入ったりはせぬぞ?」
「そこは私にも気を遣いなさいよぉ! 私は貴方の娘ってわけじゃないのよぉ!?」
「それはそうだが、一緒に旅をした仲ではないか。裸など今更だしな」
「それが駄目なのよぉ! 確かにそうだけど、そういうことじゃないのよぉ!」
『裸が今更とはどういうことだ? まあ貴様の歳を考えれば、別にこの女と関係があっても不思議ではないが……』
「そういうのではない。ほれ、旅先で水浴びでもすれば、監視役が必要であろう? そういうときには全部丸見えではないか」
『……いや、普通その手の監視は水浴びする本人ではなく、あくまで周囲に意識を向けるものではないのか?』
「馬鹿を言え。守るべき対象から目を離す護衛など愚か者の極みではないか。たかだか羞恥心程度で娘やその仲間を危険に晒すなどあり得ん!」
『む。言わんとすることはわかるが……』
「それを本気で、しかも一欠片の下心もなく実行できちゃう辺りが非常識なのよぉ! ジットリした目で見られるのも嫌だけど、全く何の反応もされないのもそれはそれで傷つくのが乙女心なのよぉ!」
「むぅ、難しいな……」
『ハッハッハ。貴様に繊細な心の機微など……待て、何だこの会話の流れは?』
ニックとオーゼン。二人だけの会話にごく自然に混ざっていたムーナの存在に、そこで初めてオーゼンは違和感を覚えた。
『貴様の言葉に反応しただけならまだわかる。だがこの女、間違いなく我の言葉を聞き取っておったぞ?』
「まあ、そういうことねぇ。さ、もういいわよぉ」
その事実を隠すことなく……服は着て裸は隠したが……ムーナが余裕のある声でそう言う。それを受けてニックが振り返ると、そこには夜会にでも出るような薄手のローブを身に纏うムーナが、大きく開け放たれた胸元とそこから覗く深い谷間を強調するようにたゆんと揺らして微笑んでいた。
「それでぇ? 私達の知らない間に随分と面白いお友達が増えたみたいだけど、それも含めて色々と説明してくれるんでしょぉ?」
「無論だ。いや、オーゼンの事は紹介しようかどうかは迷っていたところだが、バレたからには隠す必要も無いしな」
『……いいのか?』
今更黙ったところで意味など無く、然りとて己が不用意に話しかけたことが発端であることを自覚しているため、オーゼンが苦しげな声でニックに問う。
「構わんさ。むしろ好都合かも知れん。ムーナならお主の知りたいことを知っているかもしれんしな。
では、改めて説明しよう。お主達と別れた後の儂の旅路を、そしてそこで出会った『相棒』についてな」
ムーナの潤む瞳で興味深げに見つめられながら、ニックは勇者パーティから追放されてから今日までの出来事をゆっくりと語っていった。