父、昔を語る ~幸せな日々~
「ふぅ……大分話したな」
手にした酒瓶をグイッと呷り、その中身が空になったことでニックの語りが一旦止まる。
「だがまあ、ここまで話したのだ。せっかくだから最後まで語って聞かせるとしよう」
『おい、あまり飲み過ぎは……いや、貴様であれば問題無い、のか?』
そうして二本目の酒瓶……本来ならフレイの分の酒に手を伸ばすニックにオーゼンが微妙な問いを投げかけ、ニックはそれに笑って答える。
「ガハハ! 竜の火酒を樽で飲んだとて、酔いはしても体を壊したりはせぬよ。この程度どうということもない」
『そうか。ならば好きにするがよい』
そんなニックに、オーゼンは苦笑するように言う。
(酔わねば話せぬこともあるであろうしな。あの墓がある以上、話の結末は……)
「さて、それでは何処まで話したか……あー、儂がマインに結婚を申し込んだところだったな。ではその続きだが……
ああは言ったが、実際にすぐに結婚できたわけではない。成人したての儂一人の稼ぎなどたかが知れておるし、こんな小さな村ではマインの働き口を見つけるというのも難しかったからな。
故に結局の所、儂等がしたのは単なる共同生活だ。儂が外で仕事をしている間、マインは家の掃除や洗濯、料理や繕い物なんかをやってくれた。ここで良かったのは、マインが完全なよそ者ではなく、月に一度数日程度の滞在とはいえ、それを一〇年以上も繰り返していたことだな。そのおかげですんなりと村の一員として受け入れられ、周囲の者達も色々と助けてくれた。
それに、マインは元々明るく快活な娘だ。元気を取り戻しさえすれば……たとえそれが空元気だったとしても、すぐに村に居場所が出来た。おまけに行商人の娘ということで金勘定も上手くてな。儂や爺様はその辺は大雑把だったから、随分と助けられた。最初の内は自分は金を稼げないと自虐的なことを言うこともあったが、実際にマインのおかげで増えた稼ぎを見せれば、その後は気にすることも無くなっていたな。
後は、マインの親父殿が借金をしていなかったというのもでかい。普通の町なら先に手付けを払って店を作り始めていたところだったが、よそ者が田舎村で店を作ろうとしたら全額前金が基本だ。借金をする信用が無いからな。
だが、それが今回は功を奏した。仮に店を作り始めていたら、商売の伝手のないマインが使い道の無い店のために多額の借金を背負う羽目になるところだったからな。割を食ったのは大工とその材料を提供する者だが、そもそも木材は儂のところが用意する計画になっていたらしく、爺様が死んだことでどうしようかと困っていたところだからと、笑って許してくれた。今思えば実際には自分の店の経営も狂っただろうが……有り難いことだ。
そんなわけで、周囲の助けを借りつつ生活の基盤を固め、本当に儂等が結婚出来たのは、それから実に三年後のことであった。もっとも、結婚したからといってそれまでの日々と何か変わりがあったわけではないがな」
『そうなのか? まあ確かにずっと一緒に住んでいたというのなら、そんなものなのかも知れんが』
「はは、そうだな。結婚する前の三年も、結婚後の三年も、儂にとっては幸せな……あまりにも幸せ過ぎる日々であった……」
ため息をつくように言ってから、ニックが再び大きく酒を呷る。グビグビと喉を鳴らしその中身を一気に半分ほど飲んだところで、プハァと息を吐いて瓶をテーブルに置いた。
「……どういうわけだか、儂等にはなかなか子供が出来なくてな。まあまだまだお互い若いのだからそれ程深刻に考えてはいなかったが、それでもポツポツと食事時に話題にのぼることは増えた。そんな折だ……不意にマインが倒れた」
「おい、どうなってるんだ!? マインの様態は!?」
「落ち着けニック。今親父が調べてるから……」
村にたったひとつしかない薬師の家。大慌てでマインを担ぎ込んだニックが、友人であり薬師見習いのナオルに食ってかかる。猛烈な勢いで迫ってくるニックの体をナオルは何とか押しとどめようとして――その時、病室の扉が開き、中からナオルの父が姿を現した。
「おじさん! マインは!? マインはどうなんだ!?」
「ニック……悪いが俺は力になれん」
「そんな!?」
ニックの顔が、この世の終わりのような絶望に満たされる。だがニックが全財産を処分してマインを町まで抱えて走ろうと決意するより前に、ナオルの父はニヤリと意味深な笑みを浮かべた。
「おい、ナオル。サン婆さんを呼んでこい」
「親父、それって……!?」
「いいから早く行け!」
「お、おう! じゃ、ニック、またな!」
自分の背後を駆けていく友人を見送り、ニックは呆けたような顔でナオルの父を見る。
「サン婆? それって……」
「ああ。まだ絶対とは言わないが、おそらくな。おめでとうニック。これでお前も立派な『お父さん』だな」
「お、お、おぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
「あ、こらニック!」
喜びのあまり、ニックは病室の扉を思い切り開いた。するとそこには顔色こそ悪いが、はにかんだ表情を浮かべてベッドに寝転ぶマインの姿がある。
「マ、マイン! 今、その、あの……」
「うん。聞いた……赤ちゃん、いるんだって」
「お、お!? おおおぉぉ!?!?!?」
「何その変な踊り。プッ、クックック……」
嬉しさが限界を超えて、その場で変な踊りを踊ってしまうニック。その姿にマインが思わず吹き出し、そんな事をしている間にもサンが病室にやってきて、マインが妊娠していることはほぼ間違いないと確認してもらった。
なお、どうしていいかわからないくらいの喜びにニックは奇声を上げて村中を走り回り、後ほどサンにこっぴどく叱られたのだが、怒るサンを前に正座していながらもニックの顔から笑みが消えることはなかった。
「ここかー。ここにいるのかー」
「フフ。ニックったら。卵じゃないんだから、そんなに撫でたって産まれるのが早くなるわけじゃないのよ?」
そんな大騒動があってから数ヶ月。すっかりお腹の大きくなったマインを前に、ニックは今日も蕩け落ちるのではないかという程の笑みを浮かべてマインの腹を優しく摩る。
「わかってるけどさ。でもここに息子か娘か、俺達の子供がいるんだぜ?」
「そうね。ずっと亡くしてばかりだったけれど、遂にアタシ達にも家族が増えるんだ……楽しみだなぁ」
「ああ、楽しみで楽しみで仕方ない! ああ、どっちだろう? 男かな? 女かな? どっちでもいいぞ? 何なら両方だっていいしな!」
「流石に双子ってことはないと思うけど……てか、双子で性別が違うってこと、あるの?」
「知らん! だがどうだっていい! 五人だって一〇人だっていいぞ! 俺とマインの子供なら、ただそれだけで大歓迎だ!」
「一〇人って、アタシのこと何だと思ってるのよ!」
唇を尖らせたマインが、ニックの額をペチッと叩く。それでも二人の顔に浮かんでいるのは、ただ幸せな笑顔だけだ。
「まあでも、そうね。一人っ子は寂しいだろうし、弟とか妹とかは欲しいわよね」
「そうだとも! 一人できると次もできやすくなるって話を聞いたことがあるし、この家を子供で埋め尽くしてやろう!」
「気が早いにも程があるけどね。でも、そうなったら大変よ? 家だって大きくしなくちゃだろうし、お金だって……」
「そんなの、俺がいくらでも働くさ! 何なら今日から一〇倍働くぞ!」
「はいはい、ニックならできそうね。でも無理しちゃ駄目よ? この子にはちゃんと、両親揃って幸せを注いであげたいから」
「当然だ! だからえ、えーっと……あれだ! 凄い頑張るけど、無理はしない! 体の丈夫さには自信があるんだ。とにかく全部任せとけ!」
「フフ。頼りにしてるわよ、ニック」
椅子に座ったままのマインが、そっと首を伸ばしてニックの頬に口づけをする。それはまるで魔法のようにニックの内にやる気を漲らせ、ただでさえ溢れ気味だった気合いがニックの全身に力を漲らせる。
「よーし! それじゃ、今日も仕事に行ってくるぞ! しっかり木を切って稼いでくるから、体を大事にな! 何かあったら――」
「毎日同じ事を言わなくても大丈夫よ。行ってらっしゃい。気をつけてね」
笑顔で手を振るマインに見送られ、ニックは今日も仕事に出かけていく。そんな幸せな日々は今日も明日も明後日も続き、やがて訪れる運命の時。
その日、世界に『勇者』が生まれ落ちた。