父、昔を語る ~『よくある』日常~
『何というか、随分とグイグイくる子供であるな』
話を聞いて漏らしたオーゼンの感想に、ニックは思わず噴き出してしまう。
「ガッハッハ! そうであろう? 行商人の父について旅の空を生きていたマインにとって、それぞれの町や村で過ごす時間は決して長くない。そんななかで自分を知らせ、相手を知るにはそう言う性格になるしかなかったのであろうな。
それに出会いの瞬間もよかった。自覚はなくても、丁度落ち込んでいたときだったからな。もし平時に出会っていたら……まあそれはそれで喧嘩しながら仲良くするような感じになったのであろうか? フッフッフ……」
にんまりと頬を緩ませながら、ニックは長い語りで乾いた喉を酒で潤す。そうして残り半分ほどになった酒瓶を再びチャプチャプと振りながら、続きを話し始めた。
「まあそんなわけで儂とマインは出会い、その日は一日共に遊んで過ごした。そして別れ際に交わした約束は――」
「はぁー。大分遊んだわね。ああ、でもそろそろ行かないと」
「もう行っちゃうのか?」
しょぼくれた顔でそう言うニックに、マインは息が掛かりそうなほど己の顔を近づけると、ニヤッと笑ってからニックの額にデコピンを入れた。
「痛っ!? 何するんだよ!?」
「フフーン! そんな変な顔するからよ! 父さんは行商人なんだから、仕方ないでしょ」
「わかってるよ! ……なあ、もう会えないのか?」
「うーん。どうだろ? 父さんは新しい販路を開拓するって言ってここに来たんだから、多分また来るんじゃない?」
「そっか……なら、今度来たときはとっておきの場所を教えてやる。この時期なら木の実が一杯なってて、甘酸っぱいのが食べ放題なんだぜ?」
「食べ放題!? 何よアンタ、そういうのはさっさと教えておきなさいよ!」
「へへーん。嫌だね! でも、次に来たら教えてやるよ」
「むぅ、いいわよ。じゃ、アタシも旅先で経験した面白い話を教えてあげるわ! むふふー。どんな話をしてあげようかしら?」
「……約束だぜ?」
ニマニマと笑うマインに向かって、ニックは右の拳を突き出す。マインはそれを一瞬不思議そうな顔で見つめたが、すぐに自分も拳を作り、コツンとニックの拳に当てた。
「ええ、約束よ。じゃ、またね!」
それは実にあっさりとした別れであり、未来への布石。ならばこそ夕日に向かって笑顔で去って行くマインの背を、ニックは空虚だった胸に溢れる希望を感じながら、久しぶりの笑顔で見送るのだった――
「ということで、約束を交わした儂はその日から変わった。次に会ったら何を話そう、何処につれて行こうと考え、それにマインがどんな顔をするかと考えるようになったら、落ち込んでいる暇などなくなってしまったのだ。急な儂の変化に爺様や他の村人達は随分と驚いていたが、それでも皆すぐに笑顔で迎え入れてくれたしな。
そして、マインは約束通りひと月後にまたやってきた。新規開拓した販路に無事この村は含まれ、それからは毎月大体決まった日に村を訪れるようになってな。そうして出会う度互いの話をし、ギリギリまで遊び歩いて……いつしか儂等は、かけがえのない友となっておった」
『友、か。何とも貴様らしいな』
「ハハハ。まあある程度歳をとってくれば男女を意識しないこともなかったが、マインはあまりそういうのを気にしなかった……少なくとも当時の儂にはそう見えていたし、儂としても微妙な年頃の男として、そういうのを格好悪いと思っていたりしたからな。
実際、本当にそのまま過ごしていれば結婚などしなかったかも知れぬ。かけがえのない存在だからこそ、それが失われることなど想像もしなかった。結婚などという手続きを経ずとも、あるいは互いが他の誰かと結婚したとしても儂等の縁が切れるなどとは思わなかったというか……まあ若気の至りではあるが、どちらにせよそうはならなかった。
再び大きく時が動いたのは、それから一〇年の後だ」
楽しげだったニックの表情に、再び暗い影が差す。その空気の変化を敏感に感じ取り、オーゼンもまた話を聞く気持ちを引き締める。
「まず最初に、儂の爺様が死んだ。と言ってもこれは両親の時と違って、単なる寿命だな。いつも通りに仕事をし、酒を飲んで笑って寝た爺様が翌朝起きてこなかった。ただそれだけの自然の摂理だ。
今回はきちんと見送ることもできたし、空っぽの両親の墓の隣にはちゃんと爺様を眠らせることもできた。無論悲しくはあったが、当時の儂は既に成人を迎えた一六だ。他に家族もいなくなり、かといって子供でも無い儂はきちんと自分の力で金を稼ぎ生きねばならん。落ち込んでいる暇などないし、葬儀を終えればごく普通に日常へと戻っていった。
そんな折だ。爺様が死んでから二週間。そろそろいつもの行商人が来るはずのところで……村にやってきたのは衣服を血で汚し、着の身着のままでフラフラになったマイン一人であった――」
「マイン!」
村の入口で倒れ込んだマインが運び込まれた薬師の家に、ニックはドタドタと足音を響かせながら駆け込んでくる。
「こらニック! 怪我人がいるんだ、もっと静かにせんかい!」
「あ、ああ。悪い。それで、マインは――」
「ニック……」
「マイン!」
ベッドから聞こえた己の名を呼ぶか細い声に、ニックは先ほどの注意など完全に忘れて勢いよくベッドに歩み寄る。そんなニックに薬師の男は呆れた顔をしたが、すぐに二人に気を利かせるように「薬を取ってくる」と言ってそっと部屋を出ていった。
「マイン、どうした!? 何があった!?」
「ニック……父さんが……父さんが……」
言いながら上半身を起こしたマインだったが、その体がふらりと倒れそうになり、ニックは慌ててその背を支える。
「親父さんが!? 親父さんがどうしたんだ!?」
「父さんが……襲われて……アタシ……」
震える声で、マインが語る。曰く、ここにやってくる途中で魔物に襲われたこと。逃げ切れないと悟ったマインの父が、文字通り自分自身を餌とすることで、かろうじてマインだけを逃がしたこと。マイン自身に怪我は無いが、休むこと無く村まで走り抜けてきたため疲れ果てていること――
「父さんが。父さんが魔物に食べられてたの。最後、痛いはずなのに笑ってて。血を吐きながらアタシに逃げろって叫んで……」
「マイン……いいんだ。もういい、言うな」
「こうしてても、後ろから魔物が追ってきてるんじゃないかって気がする。そんなはずないのに、アタシの耳には魔物が父さんを食べるグチャグチャって音がずっと聞こえる気がして……アタシ、アタシ……っ」
「言うな!」
大声でマインの言葉を遮ると、ニックはかつて自分がそうされたように、ガッシリとマインの顔を己の胸に抱き留めた。
「大丈夫! もう大丈夫だ! 俺の側にいるかぎり、人にも魔物にも、どんな奴にだってお前を傷つけさせやしない! 俺が命に代えてでも――」
「駄目っ!」
不意にマインがニックの腰に抱きつくと、その震える腕にギュウっと力を込める。
「やめて! 命に代えてなんて言わないで! これ以上そんなの、アタシ耐えられない……っ!」
「あ、ああ。そうだな。俺が悪かった。あー、じゃあ、何だ? と、とにかく俺が守ってやる! だから心配するな。な?」
「何よそれ……ニック、ニック……うわぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
大声で泣き出すマインに、ニックの目にも涙が溢れる。
だが、ニックは泣けない。泣けるはずがない。「せめてマインだけでも無事で良かった」なんて残酷な思いを抱いたまま、己が泣くことなどニックには許せるはずもない。
「マイン……」
まるであの日のように泣きはらすマインに、ニックは腕の中にある命の温かさを感じながら、血が滲むほどに己の唇を噛みしめるのだった。