父、昔を語る ~出会い~
昔語りは全七話と、少し長めになります。まったりとお付き合いいただければ嬉しいです。
「儂が物心ついた頃、この家に住んでいたのは儂と父、母、それに爺様の四人だけだった。母はいくつか離れた町から嫁いできたとかで、そちらの親戚は縁も無く今どうしているかもわからんが、婆様に関してはどうやら亡くなっていたらしい。まあ取り立てて珍しい話でもないがな」
チャプチャプと酒瓶を揺らしながらニックが語り始める。今の世界において六〇を超えられる老人は決して多くはない。これは外傷ならば魔法や薬で癒やせる……大金を積めばそれこそ無くなった手足を再生することすらできる……のに対し、病気は薬師の技に頼るしかないからだ。
薬師達がそれぞれの治療法を一族の秘伝などとして秘匿していることや、そもそも病は何処ででも起こりうるがそれを治せる薬草などの素材は取れる場所が限られるということもあり、 ある程度歳をいってから病を患うとあっけないほど簡単に死ぬ。ニックは知り得ないことだが、ニックの祖母もまたそんな病死者の一人だった。
「ここに来た時も言ったが、家は代々木こりでな。爺様と父の稼ぎもまあまあで、村の中ではそれなりに余裕のある生活が出来る方だった。ならばこそ子供の頃はあまり家の手伝いもせず遊び回る悪ガキだったのだが……儂が六歳の頃に、問題が起きた」
『問題? 貴様が何か壊したのか?』
オーゼンの言葉に、ニックは小さく笑う。
「ははは。あの当時の儂が壊せるものなど何もありはせんよ。その日はたまたま切った木を卸す商人との契約更新の日だったとかでな。流石にそろそろ遊び回るばかりではなく家の手伝いもしろと怒られ、儂は爺様と一緒に村の役場に出向いたのだが……仕事を終えて儂等が家に帰ってみると、そこにいるはずの母の姿が無かった。
何か買い物にでも行ったのかと思ったが、待てど暮らせど母は帰らない。これはいよいよおかしいと爺様は儂を残して父が木を切っているはずの場所に向かったのだが……帰ってきたのは鬼のような形相をし、全身を血濡れにした爺様であった」
『……何があったのだ?』
「わからぬ。爺様は何も語らなかったし、儂も怖くて聞けなかった。ただ後に聞いた話だと、どうやら両親は森で獣に襲われたらしい。そいつがどうなったのか、何故爺様が血塗れだったのか、今となっては知る由も無いしな」
そう言ってニックがチャプンと酒瓶を振り、その中身をグイッと呷る。実はこの時ニックの両親を襲った獣は、村の猟師がたまたま仕留め損ねた大きな熊だった。
それでもニックの父だけが襲われたのであれば逃げ切ることくらいは出来たが、その日父はたまたま弁当を忘れており、それを届けに母がやってきた所を襲われたため、母を守る為に父が熊の攻撃を受け、結果として二人ともが熊の犠牲になってしまったのだ。
そして自分の子供達を夢中で貪る手負いの熊を見たニックの祖父が、あらん限りの力を込めて熊の脳天に斧を振り下ろし、その返り血がニックの見た祖父の姿であったが、まさか孫に真実をそのまま伝えることもできず、結果ニックがそれを知ることはなかった。
「とにかく、儂には訳がわからなかった。朝には普通にいて一緒に飯を食っていた両親が、その時突然いなくなったのだ。葬儀はやったが遺体もなく、儂にとっては本当にフッと両親が消えてしまったようでな……何の実感もわかず、然りとて両親がもういないという事実だけは動くこともなく、儂は毎日森の入口辺りに座り込み、ボーッと空を見上げる日々を送っておった。
儂のことを不憫に思った周囲の大人達が色々と気を遣ってくれたりしたのだが、当時の儂はそれにどう応えていいかもわからず、やがて大人達も時間が解決するのを期待したのか儂を放っておくようになり……その時だ。儂のところに、見知らぬ一人の娘がやってきたのだ――」
「アンタがニック?」
不意に声をかけられて、ニックはゆっくりと顔を動かし、空から声の主の方へと視線を動かした。そこにいたのは自分と同じ年頃の少女。だが一〇人にも満たない村の子供は全員顔見知りであるにも関わらず、その少女の姿に見覚えはない。
「……………………」
「ちょっと、せめて返事くらいしなさいよ!」
なのでそのまま空に視線を戻したニックに、少女が抗議の声を上げつつニックの方へと歩み寄ってくる。そのままニックの側まで来ると、少女はストンと腰を落としてニックの隣に座り込んだ。
「アタシもね。お母さんいないの。お父さんは行商人なんだけど、サンゴのヒダチ? そういうのが悪くって、アタシを産んでちょっとしたら死んじゃったんだって。
だから、アタシには突然両親がいなくなる気持ちってわからないのよね。だって最初っからいなかったんだし。ねえ、それどんな気持ちなの?」
「何だよそれ。ふざけてるのか!?」
村の人なら絶対にしないような質問に、流石のニックも思わず声を荒げる。だが少女にひるむ様子はなく、それどころか少女もまた口を尖らせ言い返す。
「ふざけてなんかないわよ。ただ知りたいなって思っただけ。人の気持ちはその人だけの気持ちだもの。本人から聞かなかったら何もわからないわ。だから知りたいの。ねえ、どんな気持ち?」
「うるさいな! そんなに知りたいなら、お前のお父さんが死んだところでも想像してみればいいだろ?」
「ああ、そうか! そうよね。じゃあ早速……………………うぇぇぇぇぇぇぇぇん!」
「うおっ!? な、何だよ突然!?」
ほんの僅かな沈黙の後にいきなり大声を出して泣き出した少女に、ニックは思わず驚いて顔をそちらに向ける。
「だって、想像したら凄く悲しかったんだもの! 父さんがいなくなって、アタシが一人ぼっちで取り残されて……そんなの悲しすぎるわ。泣いちゃうに決まってるじゃない」
「それは……まあ、そうかも知れないけど……」
「でも、よくわかったわ。ならニックもこんなに悲しかったのね」
「……悲しい?」
目を真っ赤にして泣きはらした少女の言葉に、ニックは首を傾げる。
「悲しい……のかな? 正直自分でもよくわからないんだよ。突然……本当に突然父さんも母さんもいなくなって、何も埋まってない土の上に木の棒を立てられて、これでもう二人はいませんって言われたって……」
空っぽ。それがその時のニックの全てだった。強すぎる衝撃はニックの心に穴を開け、ありとあらゆる感情がすり抜けていく。そんな空虚な表情を見せるニックに、少女は顔を真っ赤にして食ってかかる。
「悲しいに決まってるじゃない! アタシは想像しただけであんなに悲しかったんだから、それが本当になったら絶対悲しいわよ! 今ニックはすっごくすっごく、すっごーく悲しいの! わかった!?」
「う、うん。わかった……そうか、俺は悲しかったのか……」
何も無かった胸の内に、それでもモヤモヤと漂い続ける何か。それに「悲しい」という名前がつけられたことで、ニックの胸を締め付けるような痛みが襲う。
「悲しい……悲しい……父さん、母さん…………っ!」
不意に、涙が溢れた。両親を亡くしてから今日までずっと泣くことのなかったニックの目に、後から後から涙が溢れてくる。
そうしてうつむき肩を震わせるニックを見て、少女はその場に立ち上がると、そっとニックの頭を自分の胸に抱きしめた。
「悲しいよね。泣いちゃうよね。何だかアタシも悲しくなっちゃう……うわぁぁん!」
「うぁぁぁぁ……父さん、母さん……」
「「うわぁぁぁぁぁぁん!!!」」
ニックに釣られるように、何故か少女も一緒になって泣く。これがニックと少女……幼き日のマインとの初めての出会いだった。