父、童心に返る
『さて、やることをやったならさっさと帰還するのだ。特に振動が伝わってくる様子はないが、それでもここがあの部屋とどのような位置関係であるかわからんしな』
「だな。では早速……」
台座からオーゼンを取り出すと、ニックは帰還用の転移陣に乗る。すると次の瞬間には元の位置……即ち水中に戻された。
「むぐっ!? ぶくぶくぶく……」
水中で転移したことをすっかり忘れていたため一瞬驚いたニックだったが、それでも水面が見えている程度の深さで溺れるはずもない。そのまま泳いで水上に顔を出し、服を脱いだ場所までいって地上にあがった。
「ぷぷぅ! はぁ、やっと戻ってこられたな」
『御託はいいからさっさと服を着よ。我の前でいつまでもその邪悪なモノをブラブラさせているのではない』
「おっと、こいつは失敬」
オーゼンの言葉に笑いながら答えると、ニックはその場に置いた背嚢から乾いた布を取り出し手早く体を拭いていく。その後はしっかり服を着込むと、すぐに身支度は完了した。
『やっと見られる姿になったな。で、どうする? 早速今手に入れた力で転移系の王能百式を発現させるのか?』
「ふーむ。確か百練の迷宮の心当たりはもう一つあるのだったな?」
『む? そうだな。絶対にあると断言はできぬが』
顎に手を当て思案するニックの言葉に、オーゼンはそう答える。
「ならば今回は保留としておこう。さっきのようなこともあるし、すぐにもう一つ手に入りそうというのなら、それを得てから決めても遅くはあるまい」
冒険者にとって、貴重な薬や使用回数のある魔法道具などを「いつ使う」かの見極めは極めて重要な才能だ。この程度では勿体ない、この先もっと必要な時が来るかもなどと言って死ぬまで貴重品を懐に入れたままの人物というのは意外と多い。
無論、だからといって貴重品をパカパカ使うような馬鹿では稼ぎに対して支出が増えすぎ、冒険者としてやっていけるはずもない。貴重な力をいつ、どこで使うか。その判断力もまた優秀な冒険者には必須のものであり、今回のニックの判断は「保留」であった。
『ふむ。まあさしあたって転移が必要な状況ではないしな。普通の旅人であれば町から町へ跳べるだけでも大幅な時間短縮になるが、貴様の場合はな』
「ハッハッハ。町の一つや二つの道程など、あっという間に走り抜けてみせよう!」
『褒めてはおらんぞ!? とにかく必要性が低いのは間違いない。では次の目的地に向かうとするか』
得意げに笑うニックに、突っ込むオーゼン。相変わらずのやりとりをしながら、二人はまたも旅を続ける。野を越え山を越えたどり着いた次の目的地は――
「なるほど、こういうこともあるわけか」
『絶対に近づくなよ? 真上に立たねば起動せぬとは思うが、以前のように無関係な人間を巻き込んでは大変だからな』
ニックがいるのは、とある町の広場。普通に人が行き交う石畳のひとつに、百練の迷宮への転移陣が存在していた。
『これは盲点であった。元々ここに町があったのは、それに適した場所であったからこそ。であれば現代においてその場所に再び町が再建されるのは必定で、地面に埋め込まれた石畳を再利用するのもまた当然だ』
「にしても、何故にあんな町の中央に?」
『ここはアトラガルドの時代にはもっとずっと大きな都市で、あの場所には神殿が建っていたのだ。その中央の床に「百練の迷宮」への転移陣があったのだが……」
「もっとも堅牢で状態のよい石畳を中心として町を再建してしまったわけか。まあ気持ちはわかるがな」
国王や領主の肝いりでもない限り、町というのは最初から町なわけではない。町と町を結ぶ中継地点に馬車を止めて馬を休ませることのできる小さな小屋などが立ち、そこから少しずつ発展して集落や町になっていくのだ。
であれば始まりは足下のしっかりした場所というのは当然で、そこを中心に家やら何やらを立てていったのがこの状況ということだろう。
「やむを得まい。とりあえず宿をとって、後は深夜にでも来てみるか?」
『それが賢明であろう。ただでさえ今の貴様は目立つ姿なのだ。そのうえ人の往来のあるこんな場所で突然姿が消えたりしたら、大騒ぎになってしまうだろうからな』
試練を達成すればすぐに町を出てしまうのだから、騒がれたところでどうということもない。でもだからといって無関係の人間を驚かす趣味などないニック達は、そのまま早々に宿をとって早めの仮眠をとった。
そうして、深夜。目覚めたニックは己の気配を殺し、こっそりと宿から抜け出していく。
「何というか、盗賊にでもなった気分だな」
『クックッ。貴様であればさぞ名のある大盗賊であろうな』
「言っておれ。む……」
大通りに人の気配を感じ、ニックは思わず身を隠す。ニックの高い技量を持ってすれば気配を完全に消すことは可能だが、その巨体を物理的に見えなくすることは不可能だ。
だからこそ動きは繊細かつ大胆に。精密動作で物陰に体を合わせ、視線が切れた瞬間に一気に巨体を次の物陰へと踊らせる。
「巡回の衛兵か? …………どうやら行ったようだな」
『なあ貴様よ。ちょっとした疑問なのだが、何故貴様は身を隠しているのだ?』
「何故って……うむん?」
夜中にこっそりということで何となく隠れてみたが、別に犯罪に手を染めようなどということではなく、ニックの目的は単に中央広場に行くことだけだ。目立って人を集めるのは駄目だが、取り立ててコソコソする理由もない。
「……………………」
『どうした? 隠れんぼは終わりか?』
無言で物陰から出たニックに、オーゼンがからかうような声をあげる。それに対してニックはポスンと鞄を叩くに留め、そのまま中央広場まで普通に歩いていった。途中幾人かの酔っ払いとすれ違ったが、取り立てて注目されるようなことはない。
「人の気配は……あるが、こちらに意識を向けている者はいなそうだな」
『ならば行くか』
周囲の気配を探り、オーゼンの言葉を受けてニックが一歩踏み出す。するとただの石畳の上に光り輝く魔法陣が蘇り、ニックの体は一瞬にして「百練の迷宮」へと転送される。
「今回は普通の前室だな。さて、ではこの先は……おっ!」
そろそろ見慣れてきた光景に臆すること無くニックが歩を進めると、目の前には広大な空間が広がっていた。
「何だこれは? 金属の森か?」
それは不思議な景色だった。ニックの足下から三歩ほど前に進んだ辺りから、床一面を光を放つ幾何学模様が埋め尽くしている。その上には金属の柱が無数に立ち並び、そこから更に横にも棒が伸びている辺り、光る大地と金属の木によって構成された森のようだ。
『そのたとえは言い得て妙だな。ではこの試練について解説しよう。まずは床を見るがよい』
「この光っている床か?」
『そうだ。そこに足を踏み入れると、問答無用で最初の部屋に戻される。そしてこの試練の達成条件は、部屋の奥までたどり着くことだ』
「ほーん。つまりあの金属の木に登り、落ちること無く奥まで進めということか?」
『そうだ。実に貴様向きのわかりやすい試練であろう?』
「うむ! これはなかなか楽しそうだな!」
オーゼンの言葉に、ニックは思わず笑みをこぼす。森の木々を飛び回るというのは、ニックが一度はやってみたいと思っていた遊びだった。
「では、早速行くか!」
『うむ。一応気をつけてな』
スルスルと金属の木を登って行くニックに、オーゼンは申し訳程度に注意を促す。それをニックは「わかっておるわい!」と軽く流してしまったが、実際それで問題無いので、オーゼンは何も言わずにニックを見守る。
「おっほ! これは爽快だ! 次はどの枝に……なあオーゼン。この試練は何度落ちたら失敗というような奴はあるのか?」
『いや、特にない。達成するまで出られないのは他と同じだが、逆に言えば諦めない限り何度でも挑めるぞ』
「それはよいことを聞いた! ならばここはちょっと冒険をして、少し遠めの枝に挑んでみるか……そぉい!」
まだ序盤ということもあり、金属の木々には明らかに「ここを通れ」と言わんばかりの場所があるが、ニックはそれを無視してかなり遠くの木へと跳ぶ。だが天井の高さや足場を壊さないようにとの配慮からほんの僅かに距離が足りず、床に落下したニックは最初の部屋へと戻されてしまった。
「むぅ、失敗か。だが次は跳んでみせるぞ!」
『そうか。まあ気の済むまでやってみるがよい』
満面の笑みを浮かべて再び木に登り始めるニックに、オーゼンはただ温かい態度で見守るのみだった。