父、足掻く
「なるほど、今回はそう言う趣旨なわけか。しかしこれはまいったな」
『せめて先の能力を発現する前であれば違ったのだが……結果論を語るのは詮無いことか』
苦い顔で頭を掻くニックに、オーゼンもまた珍しくそのような言葉を漏らす。
飲み水を作り出す魔法は、かつて駆け出し冒険者であるシュルクが使っていたように比較的簡単だ。だが食料となるとそうはいかない。現代においては失われてしまった複雑な魔法式を必要とするため、仮にニックが人並みに魔法が使えたとしても無理だっただろう。
ただし、王能百式として発現するなら話は別だ。蟻達の遺跡に食料を生成する魔導具があったように、飲食物を生み出す能力を得ることは決して難しくはない。あとはその程度のことに貴重な一枠を使うかという問題になるが、この状況であれば迷うこともなかっただろう――正に今更ではあるが。
「むーん。ならば仕方あるまい。オーゼンには悪いが、今回は扉を殴り壊すということで構わんか?」
『無理だ』
「何を言う? アリキタリの側の迷宮では天井を破壊できたのだから、扉とて――」
『そうではない。気づかぬか?』
「んん?」
オーゼンに言われて、ニックは改めて部屋を見回す。今まで跳ばされた最初の部屋に比べれば随分と広いその場所をぐるっと観察したところで、明らかな違いに気がついた。
「扉が無い?」
『そうだ。今までと違い、この部屋、この場所こそがこの迷宮の全てなのだ。故にここには通路も扉も存在していない』
「それでは試練を達成した後はどうなるのだ?」
『その段階で室内に転移陣が現れるようになっている。一〇〇日という長期間を過ごすことを前提とし、かつ完全な隔離空間を作り出すためにこのような仕組みになっているのだ』
「と言うことは……」
『壁を殴って壊したとて、その先にあるのは更なる壁、あるいは地面だ。如何に貴様が腕力に自信があったとしても、それが全ての解決に繋がるわけではないということだな』
「むぅ……」
その説明に、ようやくオーゼンが深刻な声を出していた理由を理解したニックが思わずうなり声を上げる。
『一応確認なのだが、貴様は飲まず食わずでどの程度体を維持できる?』
一縷の望みをかけたオーゼンの問いかけ。ニックであればひょっとして……という思いを込めたその問いに、ニックは顎に手を当て思案顔をする。
「そうだな。一週間くらいなら辛くはあっても活動に問題はない。可能な限り体力の消費を抑えたとすれば……それでもひと月くらいか」
『そうか……』
ニックの答えは、常識からすればあり得ない生存力であった。だがそれでも目標である一〇〇日には遠く及ばない。
『貴様であれば、冬眠する動物の様に半年程度は眠れるかとも思ったのだがな』
「無茶を言うな! 練習すればできるのかも知れんが、やろうと思ったこともないことをぶっつけ本番でできるものか!」
『ははは。そこは微妙に常識的なのか……』
そこで二人の会話が途切れる。しばしの沈黙の後最初に言葉を紡いだのは、オーゼンの方であった。
『すまぬな。我のせいで貴様を死地に追いやってしまった』
「なんだオーゼン、お主らしくもない。それにまだ死ぬと決まったわけではあるまい?」
『馬鹿を言え。貴様自身がもってひと月だと言ったではないか。それとも今から冬眠の練習でもするのか?』
「そんな事より、試してみるべきことが他にあるであろう?」
意気消沈するオーゼンを余所に、ニックは天井を見上げてニヤリと笑う。そのままグッと膝に力を溜めると猛烈な勢いで跳び上がり、そのまま一〇メートルほどの高さにあった天井を思い切り殴り飛ばした。
「むぅ、やはり今ひとつ力が入りきらんな」
『な、何を!? 貴様一体何をするつもりなのだ!?』
「決まっておろう。天井を殴り壊すのだ!」
『貴様、我の話を聞いていなかったのか!? 仮にこの部屋の壁を壊せたとて、その先にあるのは――』
「地面であろう?」
悲鳴のようなオーゼンの叫びに、しかしニックは平然と答える。
「そりゃ床か壁を壊しても、その先には地面しかなかろう。だが天井は違う。壁を壊し、その上の土やら何やらを全て殴り飛ばしていけば、いずれ地上に通じるはずだ!」
『理論上はそうかも知れんが、それがどれだけ無茶なことかわからぬ貴様でもあるまい!?』
「わかるとも! 確かに無茶だ。天井が崩れればここは瓦礫に埋もれるであろうし、そこから更に掘り進んだとてその先に何があるかわからん。単純に土や岩があるだけならまだしも、死毒の空気が溜まった空洞や強大な魔物の巣、あるいは海の底という可能性すらあるのだからな。
だが、それでも道はある。無茶ではあっても不可能ではないのだ! ならばこの拳が振るえる限り、儂はこんなところで立ち止まるつもりはない!」
『ニックよ……そうか、そうだな。貴様を止めることなど我にできるはずも無い。ならば思う存分やるがよい。我がその全てを見届けよう』
拳を振り上げ宣言するニックの姿を、オーゼンは眩しい思いで見つめた。たとえその結果がどうなろうとも、この愚かで勇敢な男の生き様を己の魂に刻み込むべく、その一挙手一投足に意識を集中させる。
「では、いくぞ! ウォォォォォォォォ!!!」
雄叫びと共にニックが跳び、再び天井にその拳が炸裂する。だがかつて破壊した通風口と違い、この天井は分厚い金属壁だ。ニックの拳を二度受けてなお、そこにはヒビひとつ入ってはいない。
「まだまだぁ!」
それでもニックは跳び、殴る。三度目で天井から小さな破片がこぼれ、四度目で掌ほどの亀裂が入った。確かな手応えを感じたニックは、一気に天井全てが崩落しないようにと手加減していた力をいくらか解放し、五度目の跳躍――
「どうだっ!」
『なんとっ!?』
ニックの拳が、遂に天井を砕いた。ビキビキと音を立ててひび割れていく天井から、ニックよりも大きな破片が次々と轟音を立てて床に落ちていく。だがそれでも砕けたのは一部だけであり、ひび割れの向こう側に見えるのはまだ同じ材質の金属。
「ふーむ。予想より硬いな。これならもう少し力を入れても……ん?」
『緊急事態発生! 緊急事態発生!』
拳の具合を確かめていたニックの耳に、不意に聞き慣れない声が響いてきた。明らかに人とは違うその声に、ニックは跳躍をやめて耳をかたむける。
『迷宮内部に重大な損傷を検知。内部の人間を保護するために強制転移を実行します』
「おぉぉ!? 何だ何だ!?」
音声の終了と共に、ニックの体が淡い光に包まれる。一瞬の暗転の後戻ったニックの視界の先には、試練達成後にたどり着くはずの台座が目の前にあった。
「あー、オーゼン? これはどういうことだ?」
『我も知らなかったが、どうやら「百練の迷宮」には試練に臨む者を保護する機構が備わっていたようだな。といっても内部で殺し合いをしたとて反応はしないであろうから、あくまで施設の倒壊というこちら側の都合から守るのみであろうが』
呆然と立ち尽くすニックに、オーゼンもまた必死に動揺を押し殺しながら言う。
「なるほど。というかオーゼンにも知らぬことがあるのだな」
『まさか神聖な「百練の迷宮」をここまで破壊する倫理観や能力を持ち合わせた存在がいるなど思わなかったからな』
「……何か、すまんな」
『気にするな。あそこで徐々に干からびていくよりは余程マシな未来だ。さあ、それよりも我を台座に置くがよい』
そのオーゼンの言葉に、ニックは僅かに戸惑いの表情を浮かべる。
「いいのか? きちんと試練を達成したわけではないが……」
『構わん。もう一度臨むと言っても内部があの状態では無理であろうし、そもそも試練の内容を知っている今、あれを達成するのにかかるのは時間だけだからな。王を目指すわけでもなければ臣下などいない貴様がやり直したところで、そんなものは我の自己満足に過ぎんからな。
それに……』
「ん? 何だ?」
『いや、何でも無い。これもまた貴様らしい解法だと思っただけだ』
オーゼンは語らない。絶体絶命の死地においてなお、ただ一瞬たりとも諦めること無く挑み続けたその姿勢こそ、王として相応しいものだと思ったことを。
それに、オーゼンが共に旅をした僅かな期間だけですら、ニックに心酔し、喜んで協力してくれそうな人物は枚挙に暇がない。その時点でこの試練は達成したも同然であり、それを今更問うのはそれこそ無駄だ。
(もしアトラガルドの時代にニックが王を目指していたなら、こんな試練など容易く達成してしまったのであろうなぁ)
「ぬぅ、まあお主がいいというならいいのだろう。では、早速……」
言葉と共に、ニックの股間の獅子頭が王選のメダリオンとなってニックの手の中に戻る。それを台座に収めれば、都合三度目となる言葉と共にオーゼンの体に光が降り注ぐ。
彫刻の如き引き締まった全裸を晒す筋肉親父は、こうしてまた新たな力を手に入れるのだった。