父、しくじる
『貴様という奴は! 貴様という奴は! 本当に貴様という奴は!』
「ぬぅ、すまぬ……」
静寂を取り戻した平原。興奮のあまり語彙力が死んでいるオーゼンに対し、ニックは小さく体を縮こまらせながらひたすらに反省の意を示していた。地面に置かれたメダリオンに対し巨漢の筋肉親父がションボリと正座をしている様はかなり異様だったが、幸いにしてここにそれを不審に思う人目は存在しない。
『全く! 単に安全装置が働いただけであったから良かったものの、本当に壊れていたらどうするつもりだったのだ!?』
「いや、儂だってそこまで馬鹿ではないぞ? ちゃんと加減して回していたのだ。ただちょっとだけ楽しくなってしまったというか……」
『それがいかんと言っておるのだ! 貴様の加減は加減ではないのだ! もっと己の力の異常さを自覚し、自重に自重を重ね慎重に慎重を期すくらいを心がけるのだ!』
「わかった。わかったから! それで、本当に大丈夫なのか?」
『む? ああ、問題無い。ただ溜めた魔力を強制解放してしまったから、最初からまき直しではあるが……』
「そうか! そういうことなら早速もう一度巻くとしよう!」
『今度はきちんと我の言葉を聞くのだぞ?』
「無論だ! ではいくぞ、『王能百式 王の発条』!」
呆れたような声を出すオーゼンに対し、ニックは再び王能百式を発動し、張り切ってネジを巻いていく。流石に同じ失敗を繰り返したりすることもなく、今度は程よいところでニックはその手を止めた。
「こんなものでどうだ?」
『うむ、いい具合だな。これだけの魔力を保持できるなら、以前話していた転移系の能力も利用できそうだ』
「おお、それは凄いぞオーゼン!」
『もっとも、長距離転移はどうしても消費魔力が莫大になる。使う度にこうしてネジを巻かねばだろうが……まあ貴様なら問題あるまい』
「そうだな。この程度なら一日中巻いていたところで疲れもせんぞ?」
『そうか。まあ腕力に関して貴様を気遣うなど愚の極みであろうしな』
常人ならば一巻きするだけでも渾身を振り絞らねばならない巨大なネジだが、ニックからすればどうということもない。これによって一度に使える量に限界があるとはいえ、ニック達は実質無尽蔵の魔力を手に入れることに成功した。
「では、次の候補地に向かうのか?」
『うむ。現状では魔力がいくらあってもそれを活用する術が無いからな。最低でもあと一つは「百練の迷宮」を攻略し、何らかの力は得たいところだ』
「わかった。では早速向かうとするか」
そう結論づけると、ニック達は別の「百練の迷宮」候補地へと歩を進めることにした。蟻達の遺跡から回収した情報によりオーゼンが目をつけた場所は三カ所ほどあり、次に向かうのはその二つ目だ。
とは言え、今回も急ぐ旅ではない。いくつかの町を経由しながらゆったりと歩き、冒険者として依頼をこなしたりちょっとしたトラブルに巻き込まれたりしながら次にたどり着いた目的地は、大きな湖だった。
「ここか?」
『うむ。そのはずだが……建造物が残っていないのは当然と覚悟していたが、まさか地形まで変わっているとはな』
「それだけの年月が過ぎているということだろう。が……この場合はどうなのだ?」
今まであった「百練の迷宮」の入口である転移陣は、その全てが地面の上にあった。だが今回は湖であり、転移陣の場所だけ中州があるなどということもない。
『ふむ。転移陣の刻まれた床は、極めて強固な素材でできておる。あれが破損するとは考えづらい故、おそらくは地盤の沈下に合わせて湖の底に沈んでいるのではないだろうか?』
「水の底か……ならとりあえず潜ってみるか」
『そうだな……いや待て。潜る? と言うことは、服を脱ぐのか?』
「ん? 当たり前ではないか。いくら夏の時期に入ったとはいえ、わざわざ服をびしょ濡れにすることもあるまい」
『その場合、我はどうするのだ?』
アトラガルドの遺跡を調べるのに、ニックがオーゼンを置いていくはずがない。だが服を脱ぎ荷物を置くなら、ニックはオーゼンをどう所持するのか? そこに嫌な予感を感じたオーゼンに対し、ニックの顔がニヤリと笑う。
「無論、こうするのだ! 『王能百式 王の尊厳』!」
言霊と共にニックが手にしていたオーゼンが、いつの間にか全裸になっていたニックの股間に黄金の獅子頭として顕現する。
『……まあわかっていたがな。というか、普通に我を手に持っているのでは駄目なのか?』
「駄目とは言わんが、何があるかわからん場所に行くのだ。両手を空けておく方が何かと便利であろう?」
『…………そうだな。貴様の言うとおりだ』
否定しようのないニックの正論に、オーゼンは憮然とした声で答える。そのままニックが湖に跳び込むと、湖は思った以上に水深が深く、底の方はかなり暗かった。
かといって完全な水中で使える光源の持ち合わせなど無いニックは、やむを得ずそのまま潜り、見えづらい湖の底を丹念に調べていく。
「…………? …………。…………!? ……………………!」
転がっている岩をどけたり、水底に堆積している土を手で払いのけたりしながら、探すこと三時間。遂にそれらしい痕跡を見つけたニックは、思わず自らの股間に視線を落とした。
『うむ、この辺りで間違いないようだな。かなりわかりづらいが、きちんと「百練の迷宮」の存在を感じる。どうやら転移陣も生きているようだ』
「!」
オーゼンの言葉に、ニックは喜びつつも頷いて更に水底の土を払っていく。すると突然目の前で淡い光が発せられ、ニックを軽い酩酊感が襲った。
「ぷぷぅ。どうやら無事に『百練の迷宮』へと入れたようだな」
『……いや、無事では無いぞ。これはまずい状況だ』
ほんの一瞬の立ちくらみの後、ニック達の目の前に広がったのは幾度も見た様式の部屋。目的の場所にたどり着けたことに安堵するニックだったが、オーゼンは逆に警告の言葉を発した。
「まずい? 何がだ?」
『馬鹿者。我等は荷物も装備も、服すら地上に置いてきてしまったのだぞ? 貴様であれば戦闘に関しては問題無いかも知れんが、もし達成するのに時間のかかる類いの試練であったらどうする…………』
「オーゼン?」
突然言葉を切ってしまったオーゼンに、不審に思ったニックが声をかける。それでもしばしオーゼンは無言を貫き……やがて発せられた声は、極めて重いものだった。
『……今からこの「百練の迷宮」における試練の内容を伝える。と言っても、達成条件は極めて簡潔なものだ。この迷宮の内部にて一〇〇日過ごせ。それで試練は達成となる』
「一〇〇日!? 随分と気の長い試練だな。だがそれだけ過ごさせるのであれば、食料や水はどうなる? 何処かで調達できるのか?」
『……無い』
「無い?」
『そうだ。無い。この迷宮には食料になるような物も、湧き出す水なども無い。ここで試されるのは王の器量なのだ』
「待て、意味がわからん。一〇〇日分の水と食料など、どれほど周到な者であっても用意しているはずがなかろう!? そんなもの持ち運ぶことすら……あっ!?」
困惑するニックだったが、とある事実に気づいて思わず声をあげる。それに合わせるように続いたオーゼンの声は、未だに重い。
『そうだ。異空間収納目録であれば問題無い。それでも普通はそこまで備蓄をしたりはせぬから、それを管理している配下の者に適時調達してもらわねばならぬが……それこそがこの試練の肝。王たるに相応しい者を従えているかを図るのが、この試練の本質というわけだな』
試練という名の王の幽閉。もし配下に裏切り者がいれば放置するだけで苦も無く王候補を見殺しにすることもできるし、食料や水に毒を混ぜることだってできる。主の目が届かぬところで好き勝手する者や主の命がないことで混乱したり暴走したりする者も出てくるかも知れない。
そういう「主のいない状況でなお、主の意思を理解し主のために忠を尽くす」存在を身の回りにおいているかを問う試練。それが今回の「百練の迷宮」の内容であった。