蛙男、決意する
「あー、俺達生きてるよな、ギン……」
『そうっすね。生きてるっすね……』
薄明かりが照らす地下の一室。ボーッと天井を見上げながら呟いたゲコックに、その腰で触手を震わせコシギンが答える。
ボルボーンに指示された場所までやってきたゲコック達を待ち受けていたのは、見渡す限り一面の砂漠であった。蛙人族であるゲコックに乾燥は大敵であり、まずこの時点でかなりひるむ。
それでも指示された以上ここを調べないという選択肢は無く、それなりの距離を戻って森などで水や食料を確保してから再度挑んだのだが、探索場所である「無の砂漠」はゲコックの予想を遙かに超えて過酷な場所だった。
「まさか虫一匹いねぇとはなぁ……」
普通の砂漠なら、サボテンなどの植物は元より、サソリやら蛇やらの生き物を食えば血から水分や栄養を補給できたりするのだが、この砂漠には草一本生えておらず、当てにしていた道中の補給が全くできなかったのだ。
魔族の領域から大分離れているだけに満足に準備もできず、もし砂上に供給エネルギーが不安定化したことで動作不良を起こし、開いたままになっていた整備区画への出入り口が開いたままになっていなければ、二人とも干からびて砂漠の砂になっていたことだろう。
『でも、流石兄貴だぜ! 変な筒のなかを通ってここにたどり着いただけじゃなく、水の出る魔法道具を見つけるなんて、持ってる男は違うよなぁ。憧れちゃうぜぇ!』
「はは。まあな! 俺はこんな所で終わる男じゃねぇって、神様も言ってるんだろ」
『むしろ兄貴が神だぜ!』
はやし立てるコシギンに、ゲコックはまんざらでも無い笑みを浮かべる。実際には少しでも日陰が欲しくて倒れ込んだ床が突然下に向かって移動しただけだし、よろけて手を突いた場所がたまたま魔法道具のスイッチになっており、稼働した遺跡の装置が水を噴き出しただけなのだが、そんな事は気にしない。
偶然もまた天運。過酷な砂漠越えからの奇跡のような流れに、ゲコックの内心には本当に自分が神に選ばれた存在であるかのような気持ちが生まれてきていた。
「それで、ここがボルボーンが言ってた遺跡なんだろうが……あー、そういや地上で痕跡を調べろとは言われたけど、遺跡には手を出すなとも言ってたな」
『でも、ここまで来て何もしないなんて……』
「当然、俺達のするべきことじゃねぇな」
『さっすが兄貴! わかってるぜぇ!』
野望に燃えるゲコックに、自重などという言葉は存在しない。天井に灯る僅かな光を頼りに、まずは自分が下りてきた部屋の中を調べていく。
「うーん。何もねぇな。ってか、そもそもここは何なんだ?」
金属製の壁をペタペタと手で触りながらゲコックが呟く。調べると決めはしたものの、そもそも古代遺跡の知識など全く持っていないゲコックには、この遺跡が何なのかなど見当すらつかない。
『砂の下にあるってのは、まあ他の遺跡みたいに埋まったからでしょうけど……壁が金属製なのは何でですかね?』
「さあな。昔の金持ちが見栄張って作った建物だから、とかか?」
『流石兄貴! きっとそうですぜ!』
現代において、金属で建物を造ることは不可能ではない。ただしそれは金属の特性を活かした建物ではなく、金属塊を石と同じように積んで造るという意味でだ。石の数百倍の金を使って石と大して変わらない耐久性の建物を造る理由など、ゲコックにはそのくらいしか思いつかなかった。
『でも、それならこの壁をぶっ壊して持って帰れば、それなりの値段で売れるんですかね?』
「チッチッチ。甘ぇなギン。俺達が目指すお宝はそんなみみっちいもんじゃねぇだろ? さ、あの扉の奥に行ってみようぜ」
『流石兄貴! 一生ついていくぜ!』
何を見ても何もわからなかったことなど一切気にせず、ゲコックは根拠の無い万能感に突き動かされながら部屋を出る。その先は長い通路になっており、そこの連なる最初の部屋にゲコックが踏み入ると、不意に暗かった室内に真昼の如き明るさが満ちた。
「うおっ、何だ!?」
『うひょー! 流石兄貴! 歩くだけで部屋が光るとか、流石すぎて眩しいぜぇ!』
「おいおいギン。それは流石に……おいおい、おいおいおい! 何だありゃ!?」
おいおいと言葉を繰り返しながら、ゲコックは部屋の中央にあったソレに小走りになって近寄っていく。
「こりゃ凄ぇ……こんな上等な全身鎧、見たことねぇぜ」
そこに鎮座していたのは、かつてニックが倒したあの魔導兵装だった。去り際に金庫にあった金を使って整備を頼んだおかげで、今は新品同様の輝きを放っている。
ただし、そこに元王者の魂は無い。致命的に破損した魔導核は代替えの効く存在ではないため、ここにあるのは同じ形をしたただの道具なのだが、ゲコック達にはそれを知る由も無い。
『あ、これがあの骨野郎が言ってた奴じゃないですか!?』
「かもな。何だっけ……まぐ……」
『魔導兵装ですぜ!』
「そうそう、そんな名前だったな。なるほど、こりゃボルボーンが欲しがるわけだぜ」
簡単な水魔法の知識しか無いゲコックですら、目の前の全身鎧からはとてつもない力を感じる。今まで自分の扱ってきたお宝の「ようなもの」とは違い、目の前にあるのは本物の宝、唯一無二の至宝であると本能が訴えかけてきた。
『……で、どうするんです兄貴?』
「勿論、いただく。コイツは俺の物だ」
腰から聞こえた問いかけに、ゲコックは大きな口をニヤリと歪める。
(これほどの力、黙って渡すなんて馬鹿らしいにも程がある。こいつを俺の物にできれば、出世どころか新たな四天王、いや、それとも魔王の座にすら届くんじゃねぇか?)
内心のニヤニヤを抑えながら、ゲコックは鎧に手を触れる。するとプシュッという音と共に鎧が宙に浮いたままバラバラになった。
「おっと!? この中に入りゃいいのか?」
そんな鎧の中央にゲコックは立つ。そうすると光る線がゲコックの体を探るように上下していき……
『スキャン失敗。人体以外をスキャン領域に入れないでください。再スキャンを実行する場合は、もう一度最初からやり直してください』
「何だ? 失敗?」
『兄貴、ひょっとしてですけど、これ基人族じゃないと使えないんじゃないですかね? 体の形とか……』
「あーっ、そういうことか!」
コシギンの指摘に、ゲコックは思わずペチリと己の額を叩く。蛙人族であるゲコックの体は二足歩行こそしているが、あくまでも蛙の要素が強く出ている。対して目の前にある全身鎧は形状からして基人族のものであり、仮に無理矢理身につけたとしても全く体に合わないことは明白だ。
『ど、どうするんですか兄貴!? まさか諦めるんじゃ……』
「……いや、俺に考えがある。とりあえずコイツは全部持っていこう」
焦るコシギンに、しかしゲコックは冷静にそう言うと宙に浮いている鎧の部品を手で掴み、グッと力を入れた。すると僅かな手応えの後その部品は浮力を失い、ゲコックの手の中で見た目よりずっと重い感触を与えてくる。
「なあギン。基人族にしか使えない鎧なら、基人族の奴らに使わせればいいと思わねーか?」
そうやって鎧の部品をひとつひとつ回収しながら、何でも無い事であるかのようにゲコックが呟く。
『兄貴!? え、まさかこれ人間共に売るんですか!?』
「ばっか、違ぇよ。ただ売ったって意味がねぇ。人間共の金をいくら手に入れたって俺達にゃ使いづらいだけだし、そんなものでボルボーンの奴の不興を買うのは割に合わなすぎる。だが、ものは考えようって奴さ」
『あ、兄貴。俺にもわかるように教えてくれよ!』
「フフフ……俺はな、こいつを『帝国』に流そうと思うんだ」
『っ!?』
不敵な笑みを浮かべるゲコックの言葉に、コシギンの触手が痙攣したように震える。
「今『帝国』は大分落ち目だ。それにあそこの皇帝は腰抜けで有名だしな。そこにこいつを持ち込んで、ボルボーンの命令で俺達に協力させる。魔王軍というムチと強大な魔法道具というアメを使って、俺達に都合のいいように操るんだ」
『兄貴、そいつは……』
「ああ、裏切りだ。でもな……これはのし上がる最高の機会だぜ?」
ゲコックの言葉に、コシギンは無言で触手を揺らめかせる。そこにある迷いを感じ取り、ゲコックはそっと腰のところに手を差し出した。
「なあギン。俺は上に行く。この鎧の力に賭けて、人間共を利用して、俺は天辺を獲る!」
『兄貴……俺には難しいことはわからねぇけど、でも兄貴がそう決めたなら……俺の答えはいつだって同じさ。俺は兄貴に一生ついていく』
「……ありがとよ、ギン」
本心からの感謝の言葉を口にすると、ゲコックは天に向かって拳を突き上げた。
「さあ、ここからが俺の、俺達の物語の始まりだ! 人間共にも魔族達にも、故郷の腰抜け野郎共にも! 見せつけてやろうぜ、俺達の下克上を!」
誰もいない……蟻達はここまではやってこない……地下遺跡に、高らかに宣言される世界への宣戦布告。その時静かに、歴史の歯車が回り始めた。