父、出発する
「…………ぬ?」
『起きたか馬鹿者め』
熱く激しい宴会の夜を経て、朝。目覚めたニックにオーゼンからの辛辣な挨拶が飛んできた。
「オーゼン? 儂は……ああ、そうか。そのまま寝てしまったのか」
『しこたま酒を飲んだ末に地べたにそのまま寝てしまうなど、何と品性の無いことか! 貴様はもう少し我が身を省みるべきではないか?』
「ワハハ。品性が必要なところであれば気も遣うが、ここでそんな事を気にするのは無粋であろう?」
『……まあ、わからなくも無いが』
ニック達の周囲には、他にも幸せそうに地面で寝ている獣人達の姿がチラホラ見受けられる。それ程までに昨夜の宴は盛況であったということだ。
「おお、目覚められましたかニック殿」
「オサノ老。これはまた、みっともないところを見せてしまったな」
「ホッホ。何の何の。こちらが見惚れてしまう程の飲みっぷりでしたし、それに披露していただいたあの芸……あれは何というか、凄まじかったですしのぅ」
『うむ。アレに関してだけは我も認めよう。というか、アレは本当に人間が出来る動きなのか? いや貴様が実際やっていたのだから出来るのだろうが……むしろ貴様を人間かどうか疑うべきか?』
「ガッハッハ! あれは儂のとっておきだからな! 娘に怒られてからは二度とするまいと思っていたが、今なら誰に何も言われることもないしな」
ニックの披露した宴会芸は、名状しがたい何かであった。まるで何かの様だとたとえることもできず、然りとて既存の言語ではあの芸は説明できない。それは唯一の概念とでも言うべき芸であり、実際に見た者以外に伝えることなど神にすら出来ないのではないかと思われた。
「それで、ニック殿。約束の服の方を私の家に用意してありますので、早速着替えて見せていただけませんかのぅ? 何か不具合があれば手直し致しますので」
「おお、それは有り難い! では失礼して……」
オサノ老に言われて、ニックは通い慣れた家に入る。するとそこには綺麗にたたまれた服の上下と下着が三枚、それに背嚢が置かれていた。
『ふぅ。やっとこの邪悪な位置から解放されるのか……』
「そう言えば、オーゼンを元に戻すにはどうすればいいのだ?」
『簡単だ。戻れと念じればそれだけで元の形に戻る』
「そうか。では早速」
ニックが頭の中で「戻れ」と念じると、股間を隠していた黄金の獅子頭が消え、ニックに右手の中にメダリオンが現れる。それをそっと近くのテーブルの上に置くと、ニックは体の汚れを側にあった湯桶と布で軽く拭き取り、新品の服に袖を通していった。
「どうですかな?」
「うむ、ピッタリだ! 実にいい具合だぞ」
頃合いを見計らって家に入ってきたオサノ老に、ニックはグイグイと体を動かしながら笑顔で応える。緩すぎずきつすぎず動きも阻害されない、丁度いい大きさだ。
「それは良かったですじゃ。本来ならこの数日でニック殿がもたらしてくれた功績に合わせてもっと上等な服を用意出来れば良かったのじゃが、生憎この村に常備されている生地はあくまで村人用の者だけでしてのぅ。
他にも、出来れば冒険者用の鞄や靴なども用意できれば良かったんじゃが、鞄は在庫が無く、靴もニック殿の履けるものとなると……革製品を作るとなると流石に一週間ではどうにもならんで、申し訳ないですじゃ」
「なに、これだけあれば十分だ。世話になったな」
「ホッホ。それはこちらの台詞ですじゃ。ニック殿から受けた恩、我ら一同末代まで語り継ぐ所存ですぞ」
「そんな大げさにする必要はあるまい。精々たまたま立ち寄った旅人に親切にされたことがある、くらいで十分よ。恩も恨みも背負いすぎれば重くなる。何事もほどほどが一番であろう」
「ニック殿がそう言われるのであれば」
顔を見合わせ笑い合うと、ニックとオサノ老は家を出る。そのまま広場まで歩いて行くと、そこにはミミルともう一人、ミミルによく似た大人の女性が立っていた。
「おじちゃん!」
「ミミルではないか。どうした? 隣にいるのは……」
「お母さんです! ほら、お母さん! この人が私を助けてくれたニックおじちゃんだよ!」
「ニックさん……娘と私を助けていただき、本当にありがとうございました」
ミミルに言われて、まだあまり顔色の良く無さそうな女性が丁寧に頭を下げる。
「気にすることはない。というか、もう起きて大丈夫なのか?」
「まだ全快には遠いですけど、恩人が今日村を発つと聞きましたので、せめて最後の挨拶くらいはと思いまして……」
「そうか。気持ちは確かに受け取った。ならば無理せず早めに休むといい。せっかく良くなったというのに、無理をしてまた寝込んでは娘が悲しむであろう」
「わかりました。では、挨拶だけですが私はこれで……ミミル、後はお願いね」
「うん!」
もう一度深く礼をしてから、ミミルの母が家に戻っていく。だがミミルはその場に残ると、ずっと胸に抱えていた包みをおもむろにニックに差し出した。
「おじちゃん、これ私とお母さんで作ったお弁当です! 良かったら旅の途中で食べてください!」
「おお! それは嬉しいな! ありがとうミミルよ」
差し出された包みを大事に受け取り、ニックは背嚢を降ろして中に入れる。最初からいくらかの保存食などが入れられていたが、ミミルの差し入れは潰れないように一番上だ。
「おじちゃん、やっぱり行っちゃうんですね」
「まあな。なんだ、寂しいのか?」
「ううん!」
ニヤリと笑って問うたニックに、ミミルは予想外に首を横に振る。そうして虚を突かれたニックの顔を見て楽しそうに笑うと、背中で手を組みピンと尻尾を立ててミミルが言った。
「だって、おじちゃんはまた来てくれるでしょ?」
「何故そう思う? まあ確かに近くを通りかかれば寄ることもあるであろうが、絶対では無いぞ?」
「いいんです。また来てくれるって約束があるだけで、会えなくても寂しく無くなるんです! いつかきっと世界中を旅したおじちゃんが、凄いお土産話を持ってまた来てくれるって思えば、お別れだってへっちゃらです!」
「そうか。いいだろう、約束しよう! 次に会うときは話だけではなく何か凄い土産を用意するぞ。それを楽しみに待つといい」
「はい!」
『良いのか? そのような約束、安請け合いするものではないぞ?』
背嚢の中から聞こえるオーゼンの言葉に、しかしニックは笑顔を崩さない。約束の尊さを、ニックは誰より知っている。そしてニックは約束を決して破らない。その決意を推し量れるようになるには、オーゼンはまだニックとの付き合いが浅すぎた。
「では出立するか。方向はこちらで良かったのだな?」
「はい。まっすぐ進んで街道に出れば、後は西に進めばノケモノ人の町に出ることでしょう」
「わかった。では、さらばだ」
昨夜既に別れは済ませてある。だからこそニックの旅立ちを見送るのはオサノ老とミミルだけだ。ゆっくり離れていくニックの大きな背中に、不意にミミルが大声を投げかける。
「おじちゃーん! ありがとうー! ちょっとしか一緒にいなかったけど、でもおじちゃんのこと、少しだけお父さんみたいだなって思いましたー!」
「ハッ……ハッハッハ! それは儂にとって、最高の褒め言葉だ!」
拳を突き上げ返事をし、そのままニックは振り返ることなく歩いて行く。
『こんな短期間で、本当に懐かれたものだな。なあお父さん?』
「何だオーゼン、羨ましいのか?」
ニックの軽口に、しかしオーゼンは答えの前に一瞬の沈黙を挟む。
『……わからん。我に家族などおらんからな。だが、そうだな……我の中にあるこの感情に名をつけるならば、確かにそれは羨望、あるいは郷愁と呼ばれるものなのかも知れん』
「そうか……一万年前のお主の知り合いが生き残っているとは流石に言わんが、お主が懐かしいと思うような場所や魔導具なら何処かに残っているかも知れん。どうせ当て所の無い旅だ。そういう物を探すのも悪く無いな」
『貴様、我に気を遣っているのか?』
「ワハハ。旅は道連れ、であろう? お主の目的を儂が叶えたところで問題あるまい?」
『フッ。勝手にせよ。どうせ我の行く先は貴様が決めるしか無いのだからな』
「おう! 勝手にするとも! ということで、まずは人間の町を目指さねばな」
そんな会話を交わしながら歩く、一見一人、実は二人。徐々に深くなっていく森の中を、ニックは鼻歌を歌いながら悠々と歩き進めていった。