佐々木について
いつものように、にぎやかな校門をくぐり教室へ向かう佐々木は珍しく足取りが軽かった。四月と比べ、暖かくなった五月は風がどうも生ぬるい。
そんな風を全身に受け教室のドアを開ける佐々木は今日も日課を実行する。前から三番目の窓側の席、町宮リョウタの席を見据え心の中でおはようと挨拶をした。
「ユンだ。おはよ。」
「おはよ、田島」
田島の声で一気に引き戻された佐々木は自分の席に着く。
「ねぇ、ユン明日どうする?結局行く?」
「あー、そうだね。行くとしたらどうしよ。原宿また行く?先週もだったけど。」
今日は一限目から体育だ。佐々木はジャージも持っていたので出られないこともなかったが、どうも腹が重いのだ。
「ユン聞いてる?で、どうする。新大久保か新宿。どっち行く?」
「ごめん。私明日しんどいかも。」
「えー、なーんでー。」
「ごめんって。多分セーリ…。」
「りかーい。ゆっくり休んどいて。体育は、休む?」
田島は佐々木の良き友人だ。苦しい時に支え、楽しい時には笑い合い、時には厳しいことも言ってくれる。佐々木はそんな田島が大好きであったし、一番信頼していた。
「うん休むわ。田島愛してる。」
「知ってる。今トイレ行っといで。」
佐々木は田島からそれを受け取り、トイレへ向かった。やはり廊下は冷えている。佐々木のクラスは三階にあり、三階のトイレは廊下の突き当りにあるため教室からトイレへ行くための移動時間がとても長い。ましてや、寒い廊下なんてわざわざ出るものではないと佐々木は思った。
しかし、今日は気分が良かった。体調的な面は現在進行形でとても悪いが精神的に言うとものすごく気分が良い。今日はきっと何かいいことがあるのではと思い、佐々木は家を出たのだ。
そしてその予感は当たったのである。トイレの前にある東階段、そこから町宮が上ってきたのだった。時計を見るとすでに始業五分前。ぎりぎりに登校する町宮に佐々木は毎朝挨拶ができないでいた。だから、無人の席に、しかも心の中でおはようなんて言っていたのだ。
「マチミヤ君!おはよー!」
「あ、佐々木さんおはよ。」
「町宮君、急がないと遅刻だよー。じゃ!」
熱い。顔が熱い!
佐々木は両手で顔を抑え、トイレに駆け込んだ。
おはよう、が直接言えた歓喜で興奮が止まらない。佐々木は体調のことなんて忘れて、足をじたばたと動かした。
町宮君なんて呼んだことないから、カタコトにになってしまったけどそんな失態はもうどうでもいい!
そう、心の中で叫び立ちあがって気が付いた。ホームルーム開始のチャイムが鳴っている。