第2話 この町の日常
少女の名は、神爪 恋。
その名字の通り、神爪勇人の妹である。
ただし、頭に義理が付くが。
幼い頃に神爪家に引き取られたのだ。
仲睦まじい義兄弟。それが彼らに対する周囲の評価だ。
そんな仲のいい兄を恋は、
腕を引っ張りながら街の商店街を歩いていた。
立ち上がったはいいが未だに足下が覚束無くフラフラと歩く兄の腕を引いて、恋は先を歩いている。
妹に腕を引っ張られながら歩く、疲労困憊の兄。
なんと情けない姿であろうか。
だがこんな阿呆みたいな絵面の光景は、この町ではさほど珍しくはない。
現に町の人々は勇人達の姿を見かけると、「おや、恋ちゃん今日も可愛いねー」「また勇人君は乗り物酔いか? 相変わらず情けねぇなぁ」「あんま恋ちゃんに迷惑かけんじゃねーぞ」と、口々に喋りかけてくる。
「・・・うるせーよ・・・・・・」
道行く町の人々にかけられる言葉を、勇人は弱々しく返す。
この町に住む人にとっては勇人が乗り物で酔い潰れる様は見慣れた光景なのだが、それでも当然道行く人々の中には町の住民以外もいるわけで、ただでさえ人目を惹く勇人に今の状況は更に目立つ。
人通りの多い商店街を歩いているのなら尚の事。
そしてその周囲の視線は当然感じるわけで、煩わしい視線を考えないようにするべく適当に話を振った。
「そういや、明日から新学期か。中学もあっという間だったな」
「賑やかな学校ですからねぇ。飽きることも無いですし、余計にそう感じますね」
彼らが通っている学校『鳳凰学園』は中高一貫で、つい先月まで中学生だった彼らは明日から高校生になる。
とはいっても、勇人も恋も鳳凰学園の中等部から高等部へと進学するだけ。
校舎が違うだけで通う学校は同じだから、あまり新鮮味はなかったりする。
まぁ、それでも約一カ月ぶりに友人達に再会するのは楽しみでもあるのだが。
「――――――ったく、ようやく帰って来たか。随分と待たせてくれるわねぇ」
聞き慣れた声が聞こえて目を向けると、勇人達の正面二十メートル程先に女の子が一人で立っていた。
太腿まで伸びたブラウン色のタータンチェック柄のスカート、白色のブラウスに青色のリボン、赤色のブレザーという鳳凰学園高等部の女子の制服を着た、炎の如く燃える様な赤と橙色が混じった短髪とツリ目が特徴の女の子だ。
その少女を認識した瞬間、勇人はやたらとデカい溜息を吐く。
「帰って早々お前が出てくるとか・・・・・・厄日か今日は」
「ほほぉう・・・安心したわ。この春休み全然姿が見えなかったから何処かでくたばってんのかと思ったけど、私がぶち殺す余裕はあるみたいね」
「熱烈な愛情表現だな。そんなに春休み中、俺様に逢えないのが寂しかったのか? 言ってくれればいつでも抱いてやったってのに」
「よし殺す」
ボォッ、と火が出る音が響いた。
別にライターを使った訳ではなく、少女のその手から炎が噴き出ているのだ。
何も持っていない右手から。
その様を見て勇人は「はぁ・・・」と、また溜息。
いつもこんな感じだ。この少女は。
鳳凰学園中等部に入学して出会ったからもう三年ほどの付き合いになるが、勇人とこの少女の関係は出会った時から何も変わらない。
別に友達という程、知った仲ではない。
ここで会ったが百年目、今日こそ血祭りにしてやるぜぇと闘志を燃やして突っかかって来るのが少女の方で、それを軽く返り討ちにしているのが勇人だ。
もう数えるのが面倒なくらいに勝負を吹っ掛けられているが、全て勇人の全戦全勝である。
いや、負けてあげようとしたことくらいは何度かあるのだが、勇人の迫真の演技(笑)をもってしてもこの少女は騙せない。
現に、中等部卒業前に一度「やーらーれーたー」と言って倒れたら、まるで修羅の如く殺気を発しながら追い回されたのだから。
即、撒いたのだが。
「なんつーか、お前も飽きないよなぁ。いつまで続ける気なんだ?」
「私が勝つまでよ」
「何回か俺様がワザワザ負けてやろうとしてんのに、お前が認めないから勝てねぇんだろ?」
「そんな上から目線な敗北認めるわけあるかぁっ! 私はねぇ、自分より強い『人間』が存在するのがムカつくのよ! 私がアンタをボッコボコにするまで、私から逃げられると思わないことねぇ‼」
「やられ役の三下みたいな台詞だな」
「毎度毎度いい度胸ね、アンタ・・・・・・!」
「毎度毎度やられに来るお前ほどじゃねぇがな」
ゴオッ‼と、少女の手から噴出する炎が大きく燃え上がる。
まるで少女の怒りそのもののように。
「・・・・・・で、その炎をどうする気だ?」
のんきに聞く勇人に、少女は歪な笑みを浮かべて、
「こうしてやんのよ‼」
燃え猛る灼熱の豪炎が大きな球体を形作って、躊躇なく勇人目掛けて放つ。
砲弾の如く一直線に炎が襲い掛かってきた。
範囲と威力に重きを置いたせいか、酷く鈍い。
余所見でもしなければ容易く避けれる。
だが、それに対して勇人は特に避けようともせず、
「恋。先帰っててくれ」
「はいはい。あ、夕飯どうします?」
「任せるってセバスチャンに言っとけ・・・・・・あ、デザート忘れんな、とな」
なんて、緊迫感の欠片もないことを言って、躊躇いなく迫りくる炎に一歩前に足を進めた。
恋も特に慌てず騒がずに苦笑してる。
兄と少女とのこのやり取りも、いつもの事だ。
だから兄が炎の塊に突っ込むことも、特に心配もしていない。
五歩ほど勇人に背を向けて離れた瞬間、ズドン‼という爆発音が恋の後ろから響く。
炎弾が勇人に直撃して爆ぜたのだ。
勇人のその身体を、命を、焼き尽くさんばかりに炎が包み、辺りに火の粉が飛び散る。
間違いなく全身火達磨で焼死。
そうとしか見えないのだが、恋は後ろを振り返りもせず、そのままこの場から去って行った。
ゴオォッ‼と、炎が更に燃え上がり、火柱となる。
突然商店街のド真ん中で火炎が爆ぜ、火事が起こり、周囲の人達は騒然とする。
だが、その火柱の中で誰かがいるのを見て、すぐ近くに火を放った少女がいるのを視界に捉えた瞬間、「ああ、なんだ」と視線を逸らした。
別に怯えている訳でも、現実逃避をしている訳でもない。
ただ単に、見慣れているだけだ。
恋同様、いつもの風景。いつもの事。ただの日常。
現に、この火事の近くに店を出している商店街の店の人達は、客の応対やら商品の補充やら、各々の日常の仕事に戻っている。後は子供の遊びを遠巻きで観戦している者達くらい。
見慣れていない通行人達は、この突然の商店街のど真ん中で火事という非日常や、店員達の無反応に等しいリアクションに戸惑い気味だが。
そんな日常と非日常の視線に晒されている少女はというと、
「・・・・・・で、アンタはいったいいつまでそうしているつもり?」
燃え上がる火柱を睨みながら、少女は神爪勇人に向ってそう言った。
その言葉に答えるように、火柱がボウッ‼と音を発てて一瞬にして爆ぜた。
その炎は商店街の地面・・・タイルを焼き、黒焦げにする程の火力、いや、それどころか一部焼け爛れて熔解している程だった。人間がそんな炎をその身に受けたのなら、ただでは済まない。焼け死んでもおかしくはないだろう。
にも関わらず、爆散した火柱の中から現れた、少女の豪炎の直撃を受けた神爪勇人は焼け死んでなどいない。
それどころか、火傷一つ負ってなどいなかった。
「まったく、ホント何なのよ、アンタのその力。【抵抗】? 【無効化】? 防御系の魔法や魔術を使った訳でもないし、悪魔の私が言えたことじゃないけど、アンタって本当に人間?」
忌々しげに呟く少女に、勇人は何事も無かったかのように、
「ああ、人間だ」
清々しげにそう言う。
自分の攻撃をものともしないその様に、少女はますます機嫌が悪くなっていく。
それを現すかのように、少女の周囲の温度がドンドン上昇していき、全身から炎が噴き出し燃え猛る。
「本気でぶっ殺す‼」
「そう言っていつも本気で殺しにかかってきて負けてるけどな、お前」
肩を竦めながら呆れ気味に言葉を吐く勇人の挑発に答えるように、少女の返事は手から発せられた灼熱の炎弾で返す。
その炎は先程放った一撃よりも一回りは大きく、火力が上がっていることは明らかだ。
勇人はそれに対して、特に何をするでもなく、ただ立っていた。
そしてその炎弾がぶち当たり、再びその身が炎に焼かれる。
だが、先程と同じように勇人が無造作に手を払ったら、その身を焼いていた炎が四方八方へと散らされた。
自身に纏わり付く蚊でも手で払うような適当さで、だ。
【精霊王に祝福されし誓約者】
この力は、契約した精霊の加護によって、火や水や風といったあらゆる属性による攻撃を無効化する。
それが属性を持つものであるならば、悪魔が使う魔法でも例外ではない。
故に勇人には、火や水等は全く脅威にはならない。魔法でも自然現象によるものでもだ。
だから少女がどれだけ強力な炎弾を叩き込もうと、何の意味もない。
少女は勇人がそんな能力を持っていることなど知らず、勇人もわざわざ喧嘩相手に自分の手の内を語る気もないから、仕方がないのだろうが。
「だあぁぁぁぁあっ‼ 何で毎度毎度効かないのよ⁉」
「効かないって分かってんのに、何で毎度毎度ワンパターンな攻撃をしてくんだよ? 馬鹿なのか? 阿保なのか? ああ、脳筋だったか」
「うるせええぇぇーっ‼」
叫ぶと同時に、少女の背中から炎で出来た翼が飛び出した。
その翼を羽ばたかせて、少女は空へと飛び上がり、猛スピードで上昇する。
商店街の吹き抜けたアーケードを越えて、空高く飛翔し、宙に静止して、
「これでどうよッ・・・‼」
轟っ‼と、空へと向けた両手から、これまでとは比較にならない巨大な炎が出現する。
その炎は辺りに火の粉を撒き散らしながら、ドンドン大きくなっていく。
「おいおい・・・・・・」
少女のその行為に、勇人は本気で疲れた顔をした。
大きくなっていった炎の塊は、既に直径五十メートル程に膨れ上がったか。
そして、その炎を少女がどうするかなど判り切っている。
「くたばれぇぇぇぇぇぇぇぇっ‼」
予想通り、少女はその炎の弾を勇人が立っている地上目掛けて撃ち放つ。
当然その先には、標的の勇人以外にも商店街に人が大勢いる訳で。
商店街にいる一般の人達に、勇人の【精霊の加護】のような力で炎を無効化することが出来る筈もない。
間違いなく焼け死ぬ。
いや、焼死で済めば良い方か。
あの火力が直撃したら、死体が残っているかどうかも怪しい。
そんな危険極まりないものを、あの少女は撃ったのだ。
さすがに笑えない。
やれやれと肩を竦めながら、勇人は不敵な笑みを浮かべる。
「ちょっとやりすぎだぞ、テッサ」
もうそろそろ日が暮れる。
夕飯までにはこの面倒な喧嘩を終わらせて、さっさと我が家に帰りたい勇人は『界交暦20年 4月9日 日曜日』、今日の終わりを締めくくる。
明日も今日と同じような騒々しい日常が待ち受けている。
面倒くさそうな明日。だが、楽しみでもある。
もし今のような面倒事が転がり込んでくるのなら、全て蹴散らしてしまえばいい。
それを宣言するかのように、
「さぁ、反撃開始だ」
やりすぎた少女に灸を据える為、勇人は襲ってくる面倒事を、仕掛けてきた少女目掛けて蹴り飛ばすことにした。




