第1話 始まりの春
「・・・・・・ふぅ」
その男、神爪 勇人は駅のホームから出てきて、軽く息を吐いた。
膝下まで伸びた、まるで太陽を思わせる黄金の長髪を髪留めで尻尾のように後ろで纏め、銀フレームの眼鏡のレンズ奥に見える鋭い紫暗の瞳。
この暖かい春の季節にも関わらず、左目側に深い切れ目が入った鍔が広いテンガロンハットの様な黒色の帽子と、ドレス・チェスターフィールドの様な黒いロングコートに、コート下はダークスーツに黒ブーツと、頭から足まで全身を黒一色に染めている服装。
春には暖かいどころか暑すぎる服装だが、神爪勇人は汗ひとつ掻いておらず、その表情は涼しげだ。
この季節に不釣り合い故に、当然ながら人目を引く。
いや、服装以前にこの男は人目を引くのだ。
造形の整った顔立ちと、モデルでもやっていそうな2m近い高い背丈に、服の上からではわからないが細身ながらも引き締まった身体。
その容姿に目を奪われ、勇人の周囲にいる女達が「キャーキャー」と黄色い声を上げる。
まるでアイドルや芸能人でも見かけたかのような歓声で、その声は止まることはない。
その声を聴きながら、神爪勇人は「フッ・・・」と微笑みを浮かべ、近くにある電信柱に腕を付いてもたれかかった。
そんな勇人に、女達が群がって寄って来る。
そして不意に、勇人のその頭が下に俯き、
「おぅえぁぁぁぁぁぁあああああああああああ・・・・・・・・・・・・!」
その口から何かキラキラしているような、映像として映し出すならモザイクでも掛かっていそうな、酸っぱい臭いが辺りに充満するような液体を、足下の溝へと勢いよく噴射しぶちまけた。
その光景を観ていた周囲にいる人々は、一瞬何が起きたのか頭が理解出来なかったが、唐突に理解した。
まぁ、なんだ、
ようは、ゲロを吐いたのだ。
瞬間、勇人の周りにいる人達が、老若男女を問わず「キャーキャー」と声を上げた。
当然の如くその声は、先程の黄色い声とは打って変わって悲鳴の類である。
そして勇人の周りに群がって来た人達は、散り散りに去って行った。
「はぁ・・・はぁ・・・うぷっ・・・・・・」
また吐きそうになるが、堪える。
いや、無理だった。
再びゲロりだす。
「・・・もう、無理。もう絶対俺様が運転しない乗り物には二度と乗らねぇ・・・・・・」
「毎回言ってますけど、何度目ですかその言葉?」
そんな勇人の後ろから、呆れた声を出しながら一人の少女が近づいて来た。
白いノースリーブのワンピースに水色のカーディガンという、勇人とは違い実に春らしい服装をした少女。
腰元まで伸びた亜麻色の長髪をそよ風に靡かせながら勇人に近づき、その背に手を乗せて擦ってやる。
もう瀕死と言わんばかりに弱り切っていた勇人の顔色が少し回復してきた。
「す・・・すまんな、恋・・・・・・」
喋れるくらいに回復し、勇人はその少女、恋に礼を言う。
回復したとは言っても、それでもまだ息は絶え絶えで、やはり顔色は悪い。
そんな勇人の様に恋は苦笑した。
その笑いを聞き流しつつ、勇人はヨロヨロとした足取りで立ち上がった。