雨の色
霧のような、細かい雨が降っている。
雨の日は心なしか、教室の色彩も少しだけ暗いような気がする。それは周りの風景による錯覚なのか、あるいは人の心というのは、天気一つで移り変わるようなものなのだろうか。
そんな静かな教室とは対照的に、僕の心はざわついていた。わずかな期待を、理性と不安が飲み込んでゆく。僕の手は自然とケータイに伸び、昨日彼女から送られてきた一通のラインを開いていた。
「明日、お互いの秘密を一つ打ち明けよう」
きっかけは、二人とも面白い、と感じたとある小説だった。
主人公と幼馴染みのヒロインが、放課後の教室で今まで隠していた想いを互いに打ち明けるシーン。二人の心に強く残っていたこのシーンを、明日再現しようと彼女が言い出したのだ。
トーク画面を開いたまま、僕は考えていた。
彼女は僕に、何を話すつもりなんだろう?
普段の彼女の心には、隠し事をしているような色は見えなかった。昨日なんとなく思い付いて、勢いで提案してきたのだろう。
それならなおさら、僕に何を打ち明けるつもりなんだ?
僕は、彼女に対して秘密がある。だけど彼女は、僕に話すことなどあるのだろうか。だって彼女はー
「おまたせ。」
顔をあげると、そこでは彼女がいつも通りの山吹色で微笑んでいた。だけどそのなかに、少しだけ緊張した赤色が見える。
笑顔を作ろうとした僕の表情は、おそらくぎこちないものだっただろう。
彼女は、僕の隣の席に座った。
心が見えるからといって、気の利いた言葉が出てくる訳ではない。考えた挙げ句僕は、単刀直入に聞いていた。
「で、何を話すつもりだったの?」
彼女の赤色が、一瞬だけ大きくなった。
「えー、ちょっと待って、私が先?」
はにかむように笑う彼女。その表情に、僕の心は締め付けられる。
「君が提案したんだから、君が先だよ。」
そっかー、といって彼女は視線を落とした。指先で落ち着きなく、綺麗に伸ばした髪の毛を弄っている。だがやがて意を決したように、あのね、と僕の目を見据えた。
「私、好きな人がいるんだ。」
気づいていた。
話し出す直前に見た彼女の色で、彼女が話そうとしている内容にも。
そして今まで、ずっと目で追ってきた彼女の色で、その相手が僕ではないということにも。
「小学校から、ずっと一緒だったんだけど、高校に入るときに引っ越しちゃってね。私全然そんな話聞いてなかったから、当日にお別れを言いにいくのがやっとで。『絶対帰ってきてね、また会おうね』って、約束するのことしかできなかった。」
彼女の声は、雨音とともに通りすぎていた。
恋をしているときに見せる、淡い綺麗なピンク色。今まで、僕と話している時には一度も見せなかったその色を、彼女は今、僕が知らない誰かを想った、その一瞬に見せていた。
わかっていた。だからせめてこれ以上、彼女の弾んだ声を聞きたくなかった。
「彼はさ、『言ったらお前が悲しむと思って』って。バカだよね、そう言いながら自分も泣いてるんだよ。
でも、帰ってくるって言った。だから私は待ってるんだ。帰ってきたら絶対、思いっきり泣いて、怒って、大好きだって言ってやる、って決めてるの。」
彼女は、本当に綺麗な、淡い桃色を滲ませていた。透き通った恋心。痛みとともに、この色を失いたくないな、と感じている自分がいた。
この美しい色に、戸惑いの色を混ぜたくはない。今僕が笑えなかったら、彼女のこの色が消えてしまう。
彼女には、僕の色彩は見えていないから。
僕は精一杯笑顔を作って、言った。
「素敵な、人なんだね」
彼女はうん、と笑って、少しだけ照れたように目をそらした。
「普段はうるさくて、不器用で、でも、好きなことになるとまっすぐなんだ。周りが見えなくなるくらい一生懸命で、そんなところが凄く格好よくて。私が落ち込んでたときも、泣いてたときも、いつもそばにいてくれた。」
僕には、いない存在だな。
そんなことを考えていると、彼女がふっとこちらを見た。
「なんか、私ばっかり喋っちゃったね。恥ずかしいな。」
そして彼女の色彩が、好奇を示すオレンジに変わる。
雨音が、一瞬だけ強まった気がした。
「君の秘密はなに?」