逆転
健が目を覚ますと、暗い空と、葉が茂る枝が、目に飛び込んできた。ここ一週間、寝起きしていた離れの天井ではなく、山の風景が、眼前に広まっていた。
またあの夜かと、ボヤケた視界と頭で思った瞬間に全身に激痛が走り、健は覚醒した。
暗く、左側が遮られた視界で右手を見れば、肘から先が電灯の紐のように揺れている。外れた左膝の激痛で不調を訴える左足は、右足より僅かに長くなっていた。
指は折れ曲がり、群生したキノコのようになっている。爪は事故に遭った車のバンパーのように開き、間には泥が詰まっていた。
「お兄ちゃん?」
奈央の声と共に、懐中電灯の光が不意に健に向けられ、視界が暴力的に明るくなった。無遠慮に差し向けられた、懐中電灯の目に突き刺さるような白い光を浴びせられ、健の中で怒りが込み上げてきた。
「奈央か」
自然と、声に詰るような色が出る。怪我人がいるのに、なぜすぐ助けようとしないのか?
妹の癖に、どうして兄の目を晦ませるのか?
「お兄ちゃん、怪我したの?」
「違う。転んで怪我をしたマヌケは、お前のはずなんだ!」
健は折れた足を引きずり、爪が剥がれる痛みも構わず、曲がった指で斜面を這い出す。
「お兄ちゃん、来ないで!」
「勝手を言うな!」
逃げ惑う奈央を、健は霞む視界で追いながら、必死に追いかける。山道の窪みや、生い茂った雑草に足を取られる中、必死に足を動かした。
外れた左膝が痛むが、思ったほどではない。夢だからか、本当は奈央が負うべき痛みだからか、或は、ただ、興奮しているからかは、わからない。
理由は置いて、健は、山の妖怪がするように片足で跳ね、山道を進んでいく。引きずられていく左足で、土と砂を巻き上げ、奈央を追い詰めていった。
「誰か、お兄ちゃん。追いかけてくる」
奈央は、懐中電灯を滅茶苦茶に振り回し、転びながら逃げていく。中空に、敵機を求めて動くサーチライトを思わせる光が煌めき、健のいい目標となった。
飛んで火にいる夏の虫とばかりに、奈央は、かつての健と同じく、祭り会場に向かった。
「馬鹿な奴だ。そこは、俺が逃げ込んで、失敗したところだぞ」
健は痛みを堪えつつ、狩猟者の気分で笑みを浮かべた。
「誰かいない。オジサン、神主さん。助けて、お兄ちゃんが変なの」
案の定、奈央は人を探して、神社の境内を右往左往している。健は、頬を引き攣らせて、近寄って行った。
近づきつつある健を見て、奈央は社務所の前で蹲り、泣き出した。
「捕まえた!」
健は、奈央の両肩に手を乗せ、顔を覗き込んだ。
涙で歪んだ奈央の瞳で、健は、御伽話の妖怪がするような、邪悪な笑みを浮かべていた。
「た、助けて」
健は首を振ると、嗜虐心に任せて、奈央の首に手を掛けた。同時に視界が歪み、高揚と共に意識を失った。