幽霊
「うわっ!」
健は、離れで目を覚ました。
酷い寝汗と動悸で、眩暈がする中、部屋を見渡す。奈央はいない。生還したんだ。
「なんだ、夢か。そりゃそうだ。奈央は死んだんだから」
健は、生きている者として、死んだ奈央に対する優越感を抱きながら、息を吐いた。この汗も息切れも、生者のものだ。
ふと、僅かに違和感があった。
離れが、ただの離れになっていた。
健の部屋とするにあたって運び込んだ、学習机と本棚、衣装ケースはなく、代わりに、ダンボールの山が聳えていた。
何かがおかしい。健は、嫌な予感しかしなかった。
あのダンボールの山は、庭に向かって父親が力任せに投げ捨て、燃やしたはずだ。
燃えるゴミ燃やせるゴミ、燃えないゴミ燃やせないゴミ、父親は構わず燃やしていた。だから、痕跡がはっきりと残っていだ。
ダンボールの燃えカス、フラフープや水鉄砲などのプラスチック製の玩具、バケツに日曜大工の道具が、焦げた状態で、庭に転がっているはずだ。
健は、覚束ない足取りで、庭に出る。夏に入る前にした草毟りのせいで、貧相な木と、夜露で湿った土、石ころの他には、なにもなかった。
しばし、健が茫然と佇んでいると、家族の声がした。
「奈央、もう小学生なのに、まだトイレが怖いのか?」
からかうような父親の声。続いて、奈央の抗議。
「ううん。トイレは怖くないって、いったじゃないの。怖いのは、暗いからなの!」
父親と奈央は、傍目には微笑ましいやり取りをしながら、廊下を歩いている。むくれる奈央の顔は、凹んでも折れてもおらず、血もついていない。なにより、目が明るく、精気満ちていたかった。
なんの変哲もない、元気な小学校低学年の表情をして、奈央はそこにいた。
「わかったわかった。ほら、トイレだ。さっさと済ませなさい」
「はーい。わたしを置いて、部屋に戻らないでね」
奈央が、板と区別のつかない、古臭いトイレの扉の奥に消える様子を、健は別の世界を見るような気分で眺めていた。
「お待たせ。ありがとう、お父さん」
数分後、奈央が扉を軋ませてトイレから出てきて、健はやっと、我に返った。
「お父さん! 奈央!」
なぜ奈央が生きているのか、なぜ離れの家具がなくなっているのか、聞くべき事柄は、多々ある。だが、どう聞けばいいのかわからず、健は、とりあえず叫んでいた。
「遅いぞ、奈央、お父さん、廊下で寝るところだったよ」
「ゴメ~ン」
健が何度となく叫んでも、奈央と父親は、見向きもしなかった。
その後、健が喉を嗄らして、母親を含んだ家族に、至近距離で叫んでも、誰も気に留めなかった。
家族の食事中に、雑談中に、入浴中に、健は叫び、泣き、懇願し、助けを求めた。
健の切実な願いを、空気のように扱う家族に業を煮やし、何度も掴みかかった。
「いい加減にしろよ!」
肩を掴もうとして、手が体をすり抜けた時、健は、頭がおかしくなるかと思った。
健の虚しい努力は、一週間に亘って続いた。