テスタメント・ビッグサイト
時速三百キロの生体兵器はなおも疾走する。首都高速道路を横切り、立体交差を跳び越え、湾岸道路へと瞬く間に到達した。握った拳がぎしりと軋む。うかつに手は出せない。車の行き交う道路での戦闘は、混乱と殺戮をいたずらに拡大させるだけだった。
ケンタウロスは迷うことなく、ビッグサイト方面へと向かっている。まるでアンタレスをそこに誘うかのように。とてもアヴィスーツを三十体以上葬った後とは思えない、勇ましいほどの行軍。道路わきのLEDライトに照らされて、白い筋肉がネオン色に輝く。
(やはり私と戦うつもりなのか?)
ガルーダの上でアンタレスは思考する。安中の言っていた真のデモンストレーション。顧客であるはずの連中を皆殺しにし、ただ自分を引きつけているだけのケンタウロス。
ケンタウロスによるテクノカラミティのハザードレベルは、レベル4に達しようとしていた。兵器による都市部での破壊活動、および感染拡大。羽田空港、東京国税局といった主要施設に打撃を与えられれば、テロは絶大な効果をあげ、デモンストレーションとしてはこの上ない結果を残すことができる。
それをせず、あえてスターライト・バレットをおびき寄せてのオークション。その行為が導くのはただひとつの結論。
(狙いはヴェネーノ。どちらかが死ぬまで続くデスマッチか……)
やがて二つの領域が目の前に現れた。光――、東京の街。ネオンに彩られた人の営み。闇――、深淵の海。水面に揺らめく無数の星空。アンタレスには、それらがせめぎあっているように見えた。混じりあうことなく共存しているはずなのに、今は互いを侵食しようとしている。
ありえない。分かっている。本当に雌雄を決するべきは、自分とケンタウロスだ。この世界に生まれ、常軌を逸した力を持つバケモノ。所詮はアヴィスーツか生体兵器かの違いしかない。
それでもアンタレスは戦う。使命だけではない。守りたいものがある。自身の有用性、仲間、未来、そして――。
国際展示場駅前。ジャパニーズオタクの祭典、コミックマーケットをはじめとした様々なイベントで賑わうそこも、平日の午前零時となれば閑散としている。人影もまばらで、周囲のオフィスビルや改札横のコンビニ、街灯のオレンジ色の光が、さびしく周囲を照らしていた。
静かな空気。バスターミナルにはいくつものタクシーが停車し、乗客の到来を待ち構えていた。赤いテイルライトと行灯の光がどこか幻想的で、思わず引き込まれそうになる。
そこにひとりの客人が現れた。ひずめを鳴り響かせ、アスファルトを粉砕し、車の何倍もの大きさの巨体がタクシーを踏み潰す。商売道具の傍らで談話していたドライバーたちが、呆然とケンタウロスを見上げる。飲みかけの缶コーヒーが地面に転がり、小さなシミを作っていく。
人ならざるものが咆哮した。静寂が一瞬で破られる。わけも分からず立ち竦む者。物珍しそうにスマートフォンを構える者。興味本位で近づこうとする者。ケンタウロスはそれらを憎々しげに見つめる。邪魔な人間たちを追い払うように、手近なタクシーを蹴り飛ばした。
黒い車体が宙を舞う。街路樹をへし折りながらマクドナルドのショーウインドを突き破った。不意の来客。炎上したガソリン車。ドライブスルーによるテイクアウト不可。たちまち店内が絶叫に包まれる。徹夜仕事のサラリーマン、くたびれた顔をしたパートタイマー、開放的なファッションに身を包んだティーンエイジャーが飛び出してきた。
ケンタウロスは止まらない。さらにタクシーを持ち上げ、頭上に掲げる。車内にはうたた寝をしていた中年のドライバーがいた。白髪交じりの頭が窓の外を向き、固まる。状況が理解できず。ただただ困惑している。
半身半獣の視線の先には、手を握ったカップルがいた。動けず、その場に立ち尽くしていた。どちらもスーツ姿。仕事帰りの逢引、アルコールで頬が上気している。口をあんぐりとあけ、夢か現実かを認識しようとしている。
そこにタクシーが投げつけられた。回転しながら迫る鉄の固まり。女の悲鳴があがった。怖い、嫌だ、助けて! 様々な感情が入り混じり、コンマ数秒で赤いミックスジュースができあがる。肉片が飛び散り、三つの命が失われる。
瞬間、蒼い炎が燃え上がった。超高速で飛来し、タクシーを直前で受け止める。ガルーダが反重力ユニットにより急制動、ヴェネーノが車体を受け止めて地面へ下ろす。ドアを引き剥がし、中のドライバーを助け出す。
「大丈夫か? しっかりするんだ!」
フルフェイスヘルメットから聞こえるアンタレスの声に、ドライバーが力なく応える。反動で軽い脳震盪を起こしているが、肉体的な損傷は少ない。自力で逃げられると判断した。
アンタレスがカップルのほうに向き直ると、先ほど以上に困惑し、放心した女。その体を支える男の姿があった。彼らにも声をかけようとして、ケンタウロスが咆哮する。左肩のロケットランチャーが首を振り、弾頭を吐き出してきた。
ロケット推進モーターによってけたたましく加速し、カップルもろともヴェネーノを吹き飛ばそうとする。
――0.01秒。ヴェネーノのアクション。両腰の50ヴェノムリボルバー、メタルボアとアイアンヴァイパーを抜銃。長方形の銃身から激装弾が吐き出される。
だが紅いアヴィスーツの目の前でそれは爆発した。さらにケンタウロスのロケットランチャーが誘爆し、左肩の装甲もろとも弾け飛ぶ。生体戦車が地団太を踏み、苦痛に顔を歪める。
二匹の金属の蛇による攻撃。一匹はロケットを絡めとり、もう一匹が弾層に入り込んで喰い荒らす。対生体兵器用に開発された特殊拳銃だからこそ出来る芸当だった。
「屋内には入らず、なるべく遠くへ逃げてくれ」
カップルたちに声をかけ、うなずきかけた。落ち着かせるように、安心させるように気持ちを込める。それが通じたのか、彼らは混乱しつつも首肯で応え、急いで駆け出していった。
ありがとうございます!
アンタレスは、去り際に誰かがそう言ったのを聞いた。心からの言葉。突然の騒動に巻き込まれながらも、自分たちを守ってくれたアヴィスーツに対する、嘘偽りのない気持ちだった。
それを噛み締めるように、二丁の拳銃を握り締める。守りたい命と、自分に向けてくれた気持ち。これ以上の感染拡大は、絶対に阻止してみせる。
ケンタウロスは逃げていく一般市民には目を向けず、右肩のガトリングガンでヴェネーノに狙いを定めた。生体FCSによる百発百中の射撃精度を誇る。それが毎分6000発オーバーの速度で叩き込まれた。
小刻みな音とともに無数の弾丸が地面を穿つ。そこにいたはずのヴェネーノはいない。ケンタウロスの左側に跳躍していた。ガトリングガンの死角。首が邪魔で砲身を回頭できない。しかも加速力と跳躍力を重視した弊害で、側面への機動力は著しく低い。馬の下半身が仇となった。
ヴェネーノが発砲。ケンタウロスが凄まじい反応速度で対応し、両目に向けられた銃弾を左手で受け止めた。チタン装甲に銃弾が突き刺さる。反撃に転じようとして、何かが空から迫ってくるのを感知した。
神速。鳥型ロボットに変形したガルーダが急降下し、ガトリングガンをクローユニットで抉り取った。ひしゃげた砲身がアスファルトに落下する。
アヴィスーツとMFDによる連携プレーが、生体兵器を丸裸にしていく。アンタレスは怯むケンタウロスに飛びかかり、空中でメタルボアとアイアンヴァイパーを構えた。
(このまま一気に頭を撃ち抜く!)
引き金に指をかけた直後、物凄い衝撃がヴェネーノのボディに加わった。
ケンタウロスのカウンター。上体をひねっただけでハルバードを振るい、胸部に刃の腹が接触していた。オウラメタル製のボディはやすやすと壊れない。だが殺しきれなかった反動がアンタレスの体を襲い、内臓をシェイクする。紅いボディが宙を舞い、ビッグサイトの正面ゲートにまで吹っ飛ばされた。
やはり一筋縄ではいかない。装甲を軋ませ、立ち上がりながらアンタレスは考える。幸いなことに、この近辺の人間はほとんど避難している。振り返った先にあるビッグサイト。ここで戦えば、建造物の被害だけで済む。
ヴェネーノが空を見上げ、叫んだ。
「ガルーダ! アーマーモード!」
音声を電波変換。特殊プロトコルのシグナルをガルーダが受信。鳴きながらデュアルアイが発光させ、オーダーを実行する。ヴェネーノの背中に合体し、漆黒の空へと急上昇していく。
ダブルクロス・オン!
アンタレスの叫びと共に、強烈な閃光が空を染め上げた。
セパレーション。ガルーダから反重力ウイング、クローユニットが分離。自由落下を始めたヴェネーノに装着される。クローユニットは肩に。収納されていたアームユニットを椀部へと装着。脚部に合体したAGSウイングが分離し、フットパーツを形成する。
シークエンス移行。ガルーダのボディがスライド。ヴェネーノに覆い被せられていく。オウラクリスタルコアを兼ね備えた胸部装甲。戦闘機の機首がスカートに。ミサイルブーストポッドによる姿勢制御。分離していたウイングが背中に再装着され、空中で静止する。
安定確認。ヘッドユニットが鳴動し、ヘルメットへの変形を開始した。AIユニットがボディに収納され、嘴が左右に割れる。ヴェネーノの頭部に装着され、フェイスカバーが展開。スリットのないマスク、黄金のレーダーアンテナ。そして八対の眼を統括し、機能を増幅させる複合視覚処理システム、デュアル・デュエル・アイが起動した。
完成。オレンジ色の眼が鋭く輝く。神の翼を持つ合体アヴィスーツが、ビッグサイトの空に降臨した。
東京湾の海面が静かにたゆたい、波の音が静かに響く。生まれ変わったヴェネーノが生体兵器を見下ろし、ケンタウロスが蒼い炎を纏ったアヴィスーツを見上げる。
神の鳥と剣闘士。決戦のタクトが、今まさに振られようとしていた。