ハットトリック・オークション
先ほどの激闘が嘘のように、会場が静まり返る。ある者は驚愕に目を見開き、またある者は満足そうにうなずく。そして拍手喝采が巻き起こった。観客席のゲストたちによるスタンディング・オベーション。
「素晴らしい! アヴィスーツ十三体を瞬殺するとは! 傭兵たちもなかなかだったが、ケンタウロスは段違いだ」
「あの運動性能、反応速度。まさに歩く厄災そのもの! 気に入ったぞ」
「脚線美、たくましい腕、力強さ。観賞用として申し分ない。あれが収まる別荘はあったかな?」
口々に言葉を発し、皮算用を始める。改造された命を物とみなし、失われた同族には目もくれない。19式の亡骸がスタッフに引き摺られていく。フランソワ=エステはゲストたちを見ながら、あらまぁ、と穏やかな笑みを浮かべている。
ハンス=アンタレスも己の役割を遂行した。本心に秘めた怒りを快楽に変換。頭に叩き込んだ思考パターンに従い、ケンタウロスの肉体、それを子供の肉体で再現したものを思い浮かべ、悦に浸る。嘗め回すように生物兵器を凝視する。
――――デモンストレーションの捨石にされた兵士たちを救うことができなかった。その事実がアンタレスの心で反芻した。
彼らは安中の言うように、罪を犯した兵士だったのかもしれない。死がふさわしいような所業をしたのかもしれない。しかしあのアリーナの上に限れば、彼らはまちがいなく被害者だった。欲望によって生み出された人造生物、テクノカラミティの犠牲となった。
そして複数の脳が使用され、様々な生物を掛け合わされて創造されたケンタウロスも、また被害者と言える。本人の意思に関係なくバラバラにされ、人殺しの兵器に仕立て上げられてしまった。
兵士たちの命、そしてケンタウロスの命。テクノカラミティは、そんな生きとし生けるものの存在価値を希薄にしてしまった。利用するだけ利用し、容赦なく切り捨てる。それは犯罪者だけでなく、世界中の人間にも浸透しようとしていた。
医療技術の発達によって人間の寿命は延び、あらゆる病気を駆逐できる段階にまできた。バイオ技術によって災害に強い作物や、わずか数週間で出荷できる食用牛など、人間に都合の良い存在を簡単に生み出せるようになった。
それだけでなく、人間に別の遺伝子を埋め込むことで、超能力を付与する研究も行われている。聴力の異常強化、超再生能力、筋組織の肥大化。さらには無数の視覚センサーと連動することで、あらゆる場所を監視できる、人機一体の兵士まで生み出されようとしていた。
ライフコントロール。キーボードで文字を打ち込むかのように生命の有り様、DNAの方程式を変換できる。
世界で芽生えつつある新たな技術の数々は、人類の発展ともに生命軽視の思想を植えつけていった。ウイルスのように増殖、蔓延し、良心を糧に暴走しようとしている。そしてテクノカラミティが引き起こされ、物理的な破壊と混乱をもたらすようになった。
確かに、人間が強くなるのは素晴らしいことなのかもしれない。病気を克服し、愛する者と少しでも長く時間を共有し、絆を深めて真のバリアフリーを実現する。培ってきた生の知識や経験を残すことで、社会を豊かにできるだろう。
だが、際限のない力の増長は、やがて秩序を乱すようになる。人ではない別の存在に成り果て、軽蔑され、排除される。アンタレスはそんな人間を数多く見てきた。吸血ヒルのDNAを埋め込まれたバイオ兵士、細胞促進作用で成長が止まらなくなった巨大少女、人間の脳を移植された犬、etc――――。
力を制御できずに理性を失い、破壊行為にはしった彼らを、アンタレスは幾度もなく解放してきた。すなわち永遠の眠り。アヴィスーツによる滅菌処理でしか救うことができなかった。
人を超えてしまった者。それらが持つ苦しみ。料理を作れない。セックスできない。ひとりで生きていけない。当たり前の生活が二度と送れなくなる。その苦しみを、アンタレスは身を持って体感している。
だからこそ、殺すことなくテクノカラミティの被災者を救いたかった。傷つけようとするものも、傷つけられようとするものも、ただひたすらに守りたかった。――自分が持つ苦しみを、他者に共有して欲しくない。
許せなかった。そんな苦しみを知ろうともせず、利益のためだけに命を弄ぶ輩。誰かの愛する者、守りたい者を容赦なく奪い去る無法者。テクノカラミティの元凶を生み出す病原菌。だからアンタレスは力を振るう。たとえ屍の山を積み重ねようと、恨みや業を背負おうと、戦い続けるだけだった。
ふと、スタッフたちが近づいてくるのが分かる。ゲストたちに一枚のタブレットを配っているようだ。
《それでは、いよいよケンタウロスの競りとまいりましょう。みなさまにお配りしているのは、入札で使用していただくタブレットです。他の入札者の提示金額やペースなどが逐一把握できるようになっています。名前を入力していただき、準備を整えてください》
安中の説明がスピーカーから聞こえる。日本人らしく、格式ばった丁寧な言い回し。
(潮時か。どうにかしてエルタニンに連絡しなければ)
本来の目的であるケンタウロスを確認し、その強さも目に焼き付けた。あの機動力で外を疾走されれば、それだけで災害は拡大する。最小限の被害で仕留める為には、ここでカタをつけるしかなさそうだった。
もう時間は残されていない。競りが終わるまでに、支援を要請する必要があった。アンタレスがエステに目配せする。彼女の柔和な笑みに浮かんだ瞳が、一瞬だけ狡猾な色に染まった。狙いはタブレットを配布しているスタッフ。その懐に入っているスマートフォンだ。
「おい! はやくその板切れをこっちに渡せ! 叔母さまが待ちくたびれているじゃないか!」
ハンス=アンタレスがわざと大声を上げ、スタッフのひとりをどやす。他のゲストたちに配り終えたのを見計らっての行動。スタッフの目に浮かぶ焦りと驚き、呆れ、反感。視線が童顔の変態に釘付けになる。狙い通りだ。
穏やかな笑みを貼り付けて近寄ってくるスタッフ。ハンスが胸倉を掴みかかる勢いで顔を近づける。監視カメラ、スタッフの死角を作り出す。憤るハンス。全ての意識は一箇所に集中した。宥めるようなスタッフの声。その懐にしわがれた手が滑り込んだ。引き抜かれた手には黒いスマートフォン。
「これこれハンス。いくら楽しみだとしても、人を怖がらせるような真似はいけませんよ。ごめんなさいねぇ、あなた」
優しく、猫をあやすようにフランソワが話しかけた。それに気を良くしたスタッフが、フランソワの気遣いに胸を打たれる。なんて良い人なんだろう。自分のスマートフォンが、いつの間にかハンスに手渡されているのに気付かない。
ハンス=アンタレスはスマートフォンを握り込み、意識を集中させた。特殊な力、――意識を、電気信号をパルスとして飛ばし、電子機器とリンクする。人を超えた異能の行使。スマートフォンのセキュリティを解除、手を触れることなく起動した。メールシステムにアクセス。秘匿アドレスを意識で入力し、メッセージを思い浮かべる。
ガルーダの支援は不可欠だ。アヴィスーツ、ヴェネーノを空輸し、合体してケンタウロスと真正面から戦う。だがそれだけでは足りないと感じた。集められた裏社会の顔たち、戦争屋、防衛省副長官。それらの要素が、彼におぼろげな疑念を抱かせた。このオークションには別の何かがある。経験と勘がそう告げている。
表示されることのないディスプレイに、文字が打ち込まれた。
ワレ、ケンタウロスヲハッケンセリ。ガルーダトバックアップメンバーノシエンヲモトム。
送信する。わずか十秒にも満たない出来事。これで連絡は完了した。十分もすれば港の貨物に隠されたガルーダが飛来し、ホテル付近の仲間も駆けつけてくれる。それまで時間を稼ぎ、オークションを長引かせる必要があった。
フランソワとスタッフの間に体を割り込ませ、スマートフォンを見えないように彼女へ戻す。
「おい、これはタブレットに文字を打ち込めばいいんだな?」
「は、はい。そこにお名前を打ち込んでいただければ、名前が自動的に送信され、オークションのシステムと連動します」
強引かつ傲慢な態度。黒服のスーツが冷や冷やした表情を浮かべる。その懐に音もなく、フランソワの手が差し込まれ、抜かれた。手からスマートフォンは消えている。
研ぎ澄まされた早業だ。彼女の手にかかれば、人の持ち物をスリ取り、逆に忍び込ませることも容易い。ハンスが注意を逸らし、フランソワが実行するコンビプレー。ウエディングケーキに入刀するかのように鮮やかで、息が合ってこその共同作業だった。
「そうか。ならさっさと行ってくれ。お前のゴリラのような顔をこれ以上見ていたくはないからな」
アンタレスがハンスらしくオーバーに、用済みの男を手で追い払う。完璧なトレース、演技。安堵と軽蔑の表情で去っていくスタッフを横目で見つつ、彼は板切れのディスプレイに目を落とした。キーボードが表示され、名前を入力するようになっている。
他のゲストたちはみな登録を終えたらしい。横のスペースに次々と名前が羅列されていく。そこにハンスの名前を追加すべく、アンタレスはHの表示を強く押し込んだ。
強烈な違和感。
それがアンタレスの脳をかき乱した。探られている? 画面から微弱な電波が発せられ、何かを感知している。温度か触覚。アンタレスだからこそ感じられる、わずかなノイズの流れ。フランソワ=エステは気付くことなく、自分の役名を入力している。
何かがまずい。アンタレスがエステに警告しようとして、天井の電子パネルから笑いが漏れた。
《彼の言ったとおりだったな。やはり来ていたか、ゴースト。そして女神よ。まさか変態性癖のハンスとフランソワに化けていたとは驚きだよ》
「っ!」
一瞬で空気が張り詰める。驚いて振り返るゲストたち。彼らの中のゴーストと言えば、神出鬼没の紅いアヴィスーツのことに他ならない。いくつものテクノカラミティを沈静化した存在が近くにいるとなれば、驚愕の度合いはなおのこと大きい。
《君たちの持つそのタブレット。皮膚の状態を感知するセンサーを仕込ませてもらった。表面をラバーやパテで覆っていれば、たちまち知らせてくれる特殊なものだ。変装しても無駄なのだよ》
わずかに強ばるエステの表情。アンタレスは何とか動揺を隠し、安中を睨む。そして考える。何故正体までバレているのか?
今回の潜入捜査は、日本政府、警察庁、外務省、厚生労働省の一部の人間しか知らないはずだ。そこから情報が流出したのか? しかしエルタニンがそのようなヘマをするとは思えない。だとすれば、安中の言う彼、つまり自分たちを知る第三者が意図的に吹き込んだ。
いずれにしても、ここで騒ぎを起こしてしまえば全てが台無しになる。――ここはあがくしかない。意を決して反論しようとした矢先、エレベーターホールから轟音が響いた。援護にはまだ早い。瞬く間に紺色の津波がなだれ込んできた。
19式特殊作戦服。その対生物兵器用装備のものが十数体以上、ケンタウロスのまわりに展開していく。そのうちの数体が、ゲストとアンタレスたちを包囲した。
通称D装備。右腕に滅菌用焼夷グレネードバズーカを携行し、左腕にはライオットシールド、全身に増加プロテクターを取り付けることで、火力と防御力の底上げをはかっている。初代アヴィスーツ、ドクトルのコンセプトを受け継ぐ殲滅特化型外骨格だ。
その屈強な群れの中に、アンタレスは見た。数十分前、一階のエントランスで自分たちを睨みつけていた男……。彼が紺色の猟犬たちを呼び寄せたに違いない。
《来たか公安。ちょうど良いタイミングだ。わざわざ情報を流し、呼び寄せた甲斐があったというものだ。これで役者は揃った》
「黙れ安中! お前と、ここにいるろくでなしどもを残らず逮捕してやる。これだけの戦力だ。先ほどのようにはいかないぞ」
安中と公安と呼ばれた男の応対。カオスと言う名のカクテルが脳内をかき乱す。それに飲まれることなく、状況を整理する。
(あの口ぶり。安中は発見される前提でオークションを開いていた? しかも自分で情報を流してまで、アヴィスーツ部隊を呼び寄せた。まさか安中は!)
公安とは、おそらく公安警察のことだろう。主に国内のテロ活動を担当する部署だ。国内で生物兵器が密輸されたとなれば、彼らが出てくるのは必然だった。近年は装備拡張のためにアヴィスーツを配備し、テクノカラミティに対する抗体を整えていた。
そのような存在をわざわざ招き入れ、アンタレスたちをも放置していた。つまり安中は、強力な戦力をこの場に集めたかった。その目的はただひとつ――。
決闘。
《では、ケンタウロスのデモンストレーション、その第二幕を始めよう。観客は私と女神。そして剣闘士は我が国の誇るアヴィスーツとケンタウロス。噂に名高い紅い亡霊。はたして勝つのは誰なのか?》
静かに佇んでいたケンタウロスが咆哮し、跳んだ。アリーナの観客席へ、ゲストたちの真上に到達する。
「エステ!」
仮面を剥ぎ捨てる。アンタレスはエステを抱きかかえ、脇の階段を駆け上がる。物凄い衝撃、血しぶき、肉片が飛び散る。目の前に呆けたような男の生首が転がる。うろたえる19式たちを怒鳴り散らし、公安の男が指示を出す。即死を免れたゲストが、ケンタウロスのハルバートで切り刻まれる。
加害者が被害者に、観客席が戦場に、ギャラリーがプレイヤーに――。ルーレットのように目まぐるしく変化する状況の中、ただひとり安中だけが笑っていた。電子パネルの奥、ここではないどこかでひとりつぶやく。
「さて。ゴーストと犬どもがケンタウロスの相手をしている間、私は女神を手懐けるとしよう。何しろ彼のお気に入りだ。丁重に扱わないとな」
安中の背後のショーケース。漆黒のカーテンが丁重にかけられている。
その隙間の中に、人の形をした何かが収められていた。