グラディエーターズ・マッチ
《どうです、このケンタウロスの勇姿は? みなさんの知るオクトパスよりも強大で、凄まじい戦闘力を誇る。今からそれをお見せしましょう》
ケンタウロスと反対方向のゲートが開かれ、アヴィスーツが十三体入ってきた。日本が採用している警察特殊部隊用アヴィスーツ、19式特殊作戦服だ。頑強な装甲と身体補助機能で防御力と機動力の両立をはかり、フルフェイスヘルメットには望遠機能や暗視装置、動体センサーなどを備えている。
全身の丸みを帯びたフォルムは衝撃を拡散し、その内部には犯人鎮圧武装用のバッテリーが内蔵されている。十三体はどれも装備がバラバラで、機関銃やミサイルランチャーなど、火力の高いものを携行していた。
どの機体も、右肩の装甲が廃棄処分を示す赤に彩られている。安中が手を回して横領したのだ。
《最強の兵器の相手は、やはり強力な兵器であるアヴィスーツにしてもらうのがふさわしい。装甲服を纏っているのは、落ちぶれた軍人や傭兵です。軍規違反や敵前逃亡、武器、臓器密売などに手を出していたどうしようもないクズども。放っておけば命を落とすことになる者を、この日のために拾い集めておきました》
アヴィスーツのヘルメットに隠れて見えないが、時折小刻みに身体が震える者、手に持った機関銃を強く握り締めている者、呆然とケンタウロスを見上げている者など、様々な人種がいる。アンタレスにはその大半が絶望、あるいは怒りに狩られているように見えた。
《いわゆるリサイクルというやつです。ごみも使いようによってはその存在価値を見出せる。彼らには万が一ケンタウロスに勝利した場合、最大限の援助をすることを約束しました。つまり本気でケンタウロスと戦ってくれます。古代ローマの剣闘士たちのようにね》
まるで見世物でも催しているかのように、安中は淀みなく言い切った。今から行われるのは紛れもない殺し合い。あの十三人の人間は、おそらく生きてここから出られない。はじめから捨て駒として拾われ、ただケンタウロスの強さを証明するためだけに使い潰される。
そんな彼らに対し、アンタレスは僅かに哀れみを覚えた。ある意味でテクノカラミティの犠牲になったとも言えるが、元を正せば本人の責任だ。秩序を破り、罪を犯した。悪魔に付け入る隙を与えてしまった。たとえ無実だとしても、どうすることもできなかった。
人は武器を手に取り、戦うことを生業とした時点で、命の因果に放り込まれる。奪い、奪われ、いつか自分を清算する時がやってくる。それは自分にも言えることだ。目的のために殺し、救えぬ命を消し去ってきた。いつ誰に銃を突きつけられても、おかしくない。
しわがれた手が、アンタレスの手を優しく包み込む。
(エステ?)
生体パテの顔の奥に、エステの微笑みが見えた。自分の心情を悟ったかのような行動に、胸の内が温かくなっていくのを感じる。
そうだ。今は彼らに何もしてやれないし、自分もどうなるかは分からない。だが信じてくれる仲間がいる限り、前を見続けなくてはならない。――ケンタウロスを見極める。
《では試合を始めましょう。ケンタウロスの勇姿を、その目にとくと焼き付けてください》
安中の言葉と共に、天井の電光パネルがスコアボードへと切り替わる。十三対一。カウント、五秒前。四、三、ニ、一。
スピーカーからホイッスルが鳴り響くと同時に、金属の猟犬が咆哮した。
十三の機関銃・ブローニングM2から銃弾が吐き出され、ケンタウロスへと殺到する。それが命中する刹那、何もない空間を切り裂いていった。アヴィスーツ軍団に動揺が広がる。どこに消えた?
そこに白銀の影がよぎり、19式の一体が吹っ飛ばされた。緑色の装甲が砕け、赤い筋を描きながらゲストの頭上を越える。そのまま天井へ激突し、アンタレスのちょうど真後ろに落下した。みな声すら上げられない。視線を戻すと、ケンタウロスがアヴィスーツ軍団の真後ろに佇んでいた。
(速い!)
アンタレスには見えていた。ケンタウロスが直前まで銃弾を引きつけ、一気に加速する。すれ違い様に19式を殴り飛ばし、後ろへと回り込む。その間わずか三秒。巨体に見合わぬ反応時間と筋力だ。先ほどまでケンタウロスがいた床は大きく抉れ、摩擦熱でちりちりと焦げ付いている。
後ろに回りこまれた軍団は後ろのバケモノに気付くと、手持ちの武器を手当たり次第に乱射した。アリーナには障害物は存在しなかった。攻撃を喰らわないためには避けるか、攻撃する隙を与えないようにするしかない。
だがそのどちらもケンタウロスの前には無意味だった。また銃弾が引きつけられ、回避される。己の力を誇示するように、半人半獣はそれを繰り返す。
《ケンタウロスはオクトパスと違い、複数の頭脳ユニットによってコントロールされています。役割を分けることで反応速度を向上させ、瞬時の状況判断を可能としたのです。だからいかなる砲火もくぐり抜けられる》
安中の言うとおり、金属の弾幕はことごとく空を切り、薬莢がパラパラと地面に零れ落ちる。まるで命が漏れ出しているかのような光景は、まさに絶望を体現していた。すれ違い様にまたひとり殴り飛ばされ、地面を転がっていく。電光パネルのカウントは、いつの間にか十一対一に変わっていた。
このままなぶり殺しにされるだけなのか? いや、アヴィスーツの一体が身振り手振りで指示を出し、四つの集団に分かれて散開する。彼は転がっていたM2を拾い上げ、二丁の得物でケンタウロスを牽制している。
それに習い、他のアヴィスーツも当てるのではなく、行動を限定させるかのように弾をばら撒く。全ては生き残るためだ。やがてケンタウロスの行動パターンは、避けるのではなく走り続けるようになった。
分かれた集団に一体ずつ含まれた19式の背中には、武装コンテナがマウントされている。アリーナの隅々に分散したそれらは即席の護衛機に守られ、コンテナのハッチを放射状に展開していく。そこからフリスビーのようなものが五個ずつ、一定の間隔で地面に放射された。
(あれは、ボルケーノか? なるほど、そのための足止めか)
ABM。中東のテロ組織の生物兵器に苦戦するアメリカ軍が開発した対生体兵器地雷だ。生物の呼吸音や足音、体温などに反応して炸裂し、超高温のプラズマを纏った鉄球を数百個放出する。噴火のような爆発から、現地ではボルケーノと呼ばれている。
それがアリーナの床のいたるところに設置された。うかつに動けば、19式まで巻き込まれる。だが高速移動するケンタウロスを足止めするにはこれしかない。白銀の巨体が動きを止めた。アリーナのちょうど真ん中に佇み、戸惑ったように周囲を見回していた。
アンタレスはその手際に感心した。たとえ道を踏み外そうと、兵士としての生存本能には目を見張るものがある。人間には生体兵器やサイボーグほどの力はないが、状況を打開する理性と、知能は備わっている。どうにか生き残って欲しい。彼らの可能性を信じたかった。
《どうやら使い捨てもなかなかやるようだ。だがその程度でケンタウロスは止められないぞ》
その声を掻き消すように、一斉に金属の雨が降り注ぐ。ケンタウロスのバイオチタニウム装甲、肩部ガトリングガン、ロケットランチャーが火花を散らし、上半身の人面が苦しそうに歪む。そして分散した19式のうちの二体が背負っていた携帯式ミサイルランチャーが、赤外線誘導装置でケンタウロスをロックオンする。
これでとどめだ! そう言わんばかりに四連装、計八本のミサイルが射出された。オレンジの尾を引き、ケンタウロスを喰い破らんと殺到する。たとえケンタウロスでも、あれを喰らえばひとたまりもないはずだ。アヴィスーツ軍団も観客たちも、直前までそう思っていた。
《跳べ、ケンタウロス》
それだけで状況が変わった。ケンタウロスが思い切り跳躍した。ミサイルもそれを追尾する。電光パネルが頭上に迫る。そこに四本の脚がめり込んだ。画面が歪み、ノイズが生じる。
一筋の光がはしり、ミサイルが一斉に爆ぜた。強烈な衝撃がアリーナと観客席に降り注ぐ。アンタレスが爆風に煽られたエステを咄嗟に支える。その胸中は穏やかではなかった。視線の先、倒すべき敵に気圧されそうになる。
(とんでもない奴だ……)
八匹の猛獣は、獲物に喰らいつく前にハルバートで切り刻まれていた。ケンタウロスは逆さまで天井に着地し、狩猟動物を逆に仕留めた。攻守逆転、トリックプレーどころの話ではない。アヴィスーツたちが銃撃を加える。ケンタウロスがそれを回避し、今度はアリーナの壁面へと脚をめり込ませた。鋼鉄の爪を突き刺しながら、剥き出しの壁を激走する。
重力に逆らいながらハルバートを振るい、手近な集団に突っ込む。一閃。腹部から出血した三体が、地雷原に吹っ飛ばされた。自ら作り上げた火山地帯が動体、空気振動センサーで19式を感知、火口からプラズマ鉄球を吐き出した。
それらは装甲に溶かしながら体内へ侵入、痛みを感じさせる間もなく身体をばらばらに引き裂いた。焦げ付いた四肢が飛び散り、ドロドロになった機関銃の一部が床にへばり付く。ゲストのひとりが、彼らの痛みを代弁するかのように絶叫した。八対一。
噴火が収まり、火山灰と肉塊で黒く染まった地面にケンタウロスが降り立つ。きらめく白銀の装甲は神々しくもあり、禍々しくもある。そこに銃弾が浴びせられようともそれは変わらない。前足に装着された使い捨てウェポンポッドからグレネードを射出する。二つの射線が、火山地帯もろとも消滅した。六対一。
音を立てて空のポッドが吐き出され、疾走しながら肩部ガトリングランチャーを展開した。腹部に収められた脳のひとつ、生体FCS(火器管制システム)が視界から得た情報を基に、三体の19式に狙いを定める。直後、無数の10ミリ弾をアヴィスーツの集団に注ぎ込んだ。
装甲に当たったものは弾かれ、脆い関節部を貫いたものは三人の命を容赦なく奪い去っていく。三対一。
生き残りが放ったミサイルがケンタウロスの目前に迫る。それを鷲づかみにした半人半獣は、槍投げの如くそれを投擲した。爆ぜたミサイルは二つの19式を粉砕し、最後のひとりを壁に叩きつける。一対一。
正真正銘の一騎打ちだ。もはや勝負にすらならない。二丁のM2を抱えたリーダー格はすでにボロボロだった。人外の剣闘士は床を踏みしめるように、悠々と彼の元へと歩み寄る。外骨格のサポートを受け、必死に立ち上がる19式。駆動部を軋ませ、最後の力を振り絞り、獲物を構えたところで、超重量のハルバートが振り下ろされた。
風を切る音。股下の床が割れる。ひとりが二つとなり、半身が永遠の別れを告げた。ヘルメットの下には、中年の日本人男性の、鬼気迫る形相が納められていた。
ケンタウロスが血まみれのハルバートを掲げ、勝利の咆哮をあげる。ドス黒い返り血を浴びた装甲が鈍く光り、冷たく瞬く。
屍の山、アリーナに試合終了のホイッスルが鳴り響いた。