トーキョー・ナイトショー
自動車の群れが道路を往来していく。橙や赤のライトが街灯、ビルの照明と混じり合い、都会のイルミネーションを構築していく。日本。東京都の港区の夜は、今日もこうして彩られる。その一角にホテル・ロイヤル・ポートは在った。
東京オリンピックに端を発する都市再開発計画によって、外国人観光客、特に権力者や富裕層向けの超高級ホテルとして建造された。建物そのものは完成しているが、内装などの設備は整えられていない。少なくとも、宿泊客を迎えられる状態ではなかった。
その場所に、続々と人が集まっている。黒塗りのセダンがまばらに地下駐車場へと消えていく様は、まるで餌を運び入れるアリそのものだ。表向きはホテルのデモンストレーションだが、光の届かない巣の奥では、もっと別の催しが行われる。
闇オークション。レジナルド・クリスティンの遺作である最強の多脚生体戦車・ケンタウロスのお披露目会だ。主催者Xが違法な生体技術を扱う業者たちを誘い、戦争とは無縁の日本で兵器を密売する。都会の真っ只中でそれを行う大胆不敵さは、主催者の正体が知れないことと相まって、得体が知れない危険を感じさせた。
また一台。黒塗りのセダンが駐車場に停まり、中から二人の人間が降りてくる。黒いタキシードを纏った童顔の青年と、顔にしわが目立つ中年の女性だった。二人は寄り添うように歩き、ホテル入り口に立っている係員の男に声をかけられた。
「ようこそお越しくださいました。失礼ですが、お名前をお願いします」
「ハンス・マンセル。隣にいるのは叔母のフランソワ・マンセルだ」
「少々お待ちください。確認します」
ハンスと名乗った青年は露骨に顔を歪めた。白銀の髪を撫でながら、係員を睨みつける。その視線の鋭さに係員は一瞬怯むが、何とか冷静さを装って携帯端末を確認する。
「確かに、名簿に名前があります。マンセル養護施設の所長と理事長様でいらっしゃいますね」
「そうだとも。それくらい顔を見て判断できないのか? もっとも私はしょっちゅう顔を変えてる。今はこの前売り払った子供をイメージした顔だ。見たまえ。なかなか理性的だと思わないかね」
「まぁ、ハンスったら。あまり人を困らせるものではありませんよ?」
「おっと、ごめんよ叔母さん。ついはしたない真似をしてしまったよ。変に顔を歪めたら、せっかくの顔も台無しだからね」
しきりに顔を自慢するハンスに、マダム・マンセルがたしなめるような笑顔を向ける。係員は表情を崩さないでいるのに必死だった。
マンセル養護施設はアメリカに存在する。その所長であるハンスは、技術災害を含む様々な犯罪、事故などで家族を失った孤児を引き取り、社会へと送り出す慈善家として知られていた。ただ、彼は表に顔を見せようとはしなかった。
ことあるごとに自分の顔を整形していたからだ。保護した子供の一部を売り捌き、それがいかがわしいこと、虐待、レイプ、生体実験に使用されるのを想像し、性的興奮を覚えるマゾヒスト。その時の興奮を少しでも味わっていたいがために、子供が成長した時の顔をDNA工学によって解析し、整形を繰り返してきた。
フランソワはそんなハンスを咎めるどころか、喜んで手助けをした。自分の子供が何人も現れ、成長していくようで嬉しい。そんな身勝手で不明瞭な感情のために、わざわざ生贄となる子供を拾い集め、施設へとぶち込んだ。
生身の子供はクローン培養したものと違い、生体実験の格好の材料となる。勿論違法行為で、WHOによって厳しく規制されている。だが一度芽生えた欲望は、その程度のことで収まるものではない。
――生命の限界を超えようとする試みは、いかなる犠牲を払っても断行されるべきである。そう声高に唱える学者すらいるほどに、今の世の中は生体技術に病み付きになっていた。それが技術災害、テクノカラミティを引き起こし、世界を蝕もうとしている。
「それではセキリティの関係で、お客様がお持ちの携帯電話、ならびにカメラなどの電子機器を一度お預かりします。ホテルを退出する際、個別にお返しさせていただきます」
おずおずと係員が話しかけた。ハンスから露骨に顔を逸らし、フランソワに手を差し出す。その態度がハンスの逆鱗に触れた。係員の胸倉を掴み、顔を目前まで近づける。その様は、まるで硬直したカエルを喰らおうとするヘビそのものだった。
「おい、私の顔から目を逸らすとはどういう了見だ? この顔は五十八人目の男の子の顔なんだぞ。しかも私のお気に入りだ。いっそお前のその無礼な顔を剥いで、薄汚いケツに貼り直してやろうか!」
「これ、いけませんよハンス。脅えさせるようなことを言っては。この方は、きっとあまりの顔の素晴らしさに、直視するのは憚られると気を使っておいでなのですよ。だってこんなにキレイで、理髪的で、カッコいいんですもの」
うっとりするようなマダムの言葉に、ハンスはしぶしぶ引き下がる。解放された係員の表情は、青ざめたままだった。それでも二人から携帯端末や電波時計などを預かると、そそくさと奥の扉へと案内する。金属探知機を兼ねたセキュリティゲートが左右に開き、ハンスたちを会場へと誘う。
二人は腕を組み、ゆっくりとした足取りで進んでいく。一瞬だけ、フランソワの口角が釣り上がった。そんな叔母を横目で見ながら、童顔の男もほっ、息を吐く。
(うまくいったな……)
ハンス・マンセル。いや、アンタレスは心の中でほくそ笑み、ゲートをくぐり抜けていった。
「良い演技でしたわ、アンタレス様。あとはケンタウロスの有無を確認するだけです」
「そうだな。だが安心するのはまだ早い。感づかれないよう、慎重に行動するんだ」
ホテルのエントランスホールで、ハンスに扮したアンタレス、そしてフランソワに化けていたエステは作戦を確認しあう。客人を迎える空間だけあって、内装はきっちりと整えられていた。歴史を感じさせる絵画や高級家具。乳白色の柔らかな光が、天井のシャンデリアから降り注いでいる。
アンタレスたち以外の客人も、軒並み顔を揃えていた。中にはアンタレスの見知った顔もある。臓器密輸組織の元締めや、生体技術スパイのプロジェクトリーダー。他にも民間軍事会社のトップや兵器メーカーの顧問など、表と裏の顔が入り混じっていた。
その集団の中に、アンタレスとエステは見事に溶け込んでいた。擬似生体パテとエステのメイク術によってまったく別の人間の顔を再現し、全身の皮膚の質感すら化けた人間と似せている。傍から見ただけでは、例え親しい人間でも見分けることはできなかった。
二人がハンスとフランソワに変装したのは、いくつか理由がある。メディアなどへの露出が少なかったこと。ハンスが頻繁に顔を変えるという性癖が、正体を悟られないのに好都合だったこと。そして本物の二人が死んでも、しばらくは気付かれにくいということ――。全てをスターライト・バレットの社長であるエルタニンがセッティングした。
あとは怪しまれないように、本人になりきればいい。エステは問題なかったが、アンタレスにはみっちりとハンスの人間性を叩き込まれることになった。攻撃的だが叔母には頭が上がらない。そして貼り付けた顔に絶対的な愛着を持ち、それを貶した人間には容赦しない。
アンタレスは少しオーバー気味だと感じていたが、どうにか怪しまれることなく潜入することができた。エステの熱烈な指導の賜物か、はたまたハンスの人間性のおかげか。アンタレスにとって彼は胸糞悪い人間に過ぎないが、この時ばかりはその存在に感謝した。
(どうにか役はこなせているが、まだ幕は上がったばかりだ。気を引き締めないとな)
さりげなく周囲を観察する。広々としたエントランスが、ボーイに手渡されたカクテル、ジン・トニックよりもピリリと張り詰めていた。ビジネスの話で盛り上がっている集団はいるものの、心から親交を深めようという輩はいない。ひとたびオークションが始まれば、まわりはみなライバルだ。
その顔をしっかりと目に焼き付けていると、鋭い視線を後ろから感じた。気付かない振りをしてエステに目配せし、確認してもらう。
「若い男の方がひとり、こちらを睨んでいます。ここのスタッフのようですけど、とても怖い視線。自分はいかにも怪しいですって言っているようなものですわ」
小馬鹿にしたように彼女がつぶやいた。
「俺たちだけを見ているのか?」
「そのようです。ですが敵意はありませんね。もしかしたら同業者かも」
「どこかのスパイか」
こくん、とエステがうなずく。さりげなく顔を向けると、黒いスーツの男がきびすを返して立ち去るところだった。確かに他のスタッフとはどことなく感じが違う。この空間そのものを嫌悪しているような感情が、わずかに溢れ出していた。
考えられるとすれば、別の筋からこのオークションの存在を掴んだ何者かだろう。客として呼ばれなかったために、ケンタウロスをひと目見ようとお忍びで来たのか? それとも自分たちと同じ使命を帯びてやってきたのか? いずれにしても、ひと波乱ありそうな予感がした。
尾行してみるか? そんなことを考えていると、スピーカーからアナウンス音が鳴り響く。
《お集まりの皆様、大変長らくお待たせいたしました。これより主催者X様によるオークションを開始いたします。スタッフの指示に従っていただき、エレベーターより会場へと移動してください》
控えていたスタッフが一斉に動き出した。エレベーターホールまでの扉が開け放たれ、スムーズにゲストたちを誘導していく。アンタレスもハンスをしっかりと演じ、目をギラつかせながら、優しく叔母をエスコートする。
柔和な笑みを浮かべるフランソワ、エステと見つめ合う。手を握り、生体パテに包まれた手の温もりを伝えた。ここからが本番だ。――ケンタウロスの有無を確認し、排除する。そのためには、どうにかして外との通信手段を確保する必要があった。
何組かに分けられ、十人乗りのエレベーターで下へと降りる。最後のエレベーターに乗ったアンタレスたちを待ち構えていたのは、巨大なアリーナだった。バスケやサッカー、フットボールなど、様々な絵が案内板に記載され、フィールドの上には電光パネルが設置されている。周囲から感嘆の声が響いた。
(何て広さだ)
アンタレスもその規模の大きさに驚いていた。地下にアミューズメント施設があると知ってはいたが、ここまで広大なものだったとは思わなかった。スタッフに促され、観客席へと座らされる。三十人ほどが一箇所に固まっている様は、まるで服についた一滴の染みのようだった。
全員が座ったのを確認し、スタッフのひとりが手元のスマートフォンで何者かに連絡する。どうやら電子機器が没収されたのはゲストだけらしい。彼がジャケットの懐に携帯をしまったのと同時に、電光パネルが一斉に点灯した。
《ようこそ皆様。このたびは特別なオークションにお越しいただき、この私も大変嬉しく思います》
パネルに現れたのは、日本人らしい顔つきをしたひとりの中年男性だった。黒い髪の頭頂部が剥げ、厳つい顔に似合わない笑みを浮かべている。予想外の相手に、アンタレスは自分の目を疑った。
「おい。あいつは確か防衛庁副大臣の安中ではないのか?」
客のひとりが大声をあげる。またもざわめきが広がった。主催者の正体を知らなかったとはいえ、日本の防衛を担う顔が出てきたのだから、その動揺は計り知れないものがある。もしや警察にハメられたのではないか? 不安はゲストの間で津波のようにうねり、今にも堤防が決壊しようとしていた。
《ご名答。ですが慌てずとも結構。あなた方をどうこうするつもりは毛頭ありません。私はただ、ケンタウロスの優秀さを知っていただき、それを購入していただきたいのです》
見られている? アンタレスが視線をめぐらせると、三十メートルほど上の天井の隅に、いくつかカメラのレンズが反射している。どこか別の場所でモニターしているようだ。
(まさか防衛庁のお偉方がバックにいたとは。穴倉にはずいぶんでかい魚が潜んでいたようだぞ、エルタニン)
安中伸吾。現防衛庁副大臣であり、現在の技術災害、テクノカラミティの対策を早急に進めている人物だ。兵器としてのアヴィスーツの有用性にいち早く着目し、戦闘用のものを国内で保有する政策を掲げている。
アヴィスーツ自体は、すでに災害救助用のものや対NBC(核、生物、化学兵器)用、犯罪制圧用のものが運用されている。だが軍事用となれば話は別だ。日本では、憲法によって兵器としての戦力の保有は認められていない。ただ近年は法解釈の変更などの抜け道で軍事改革を進めており、テクノカラミティの危険性と絡めて急速に軍備増強をはかっていた。
「分からんな。何故日本の防衛副大臣が、わざわざ生体兵器を売り捌こうとする? 金儲けなら、もっと別の手段があるだろうに」
別の客が疑問を呈する。当然だろう。生体兵器を売り渡すということは、すなわちテロを容認するのに等しい。守るべき国を持つ人間が、わざわざ敵を作るような行為を犯すのか?
《勘違いしてもらっては困る。私の目的は金だけに留まらない。ケンタウロスという敵の存在が、日本を救うことになるのですよ》
安中がはっきりと言い切る。そう、答えは決まりきっていた。
(どんな抗体も、病原菌がいなければ産まれない。だったら敵を作ってやればいい)
アンタレスの爪が拳に食い込む。安中は自らテクノカラミティを誘発させることで、軍事用アヴィスーツの必要性を高めようとしていた。それは目の前に屍を積み上げ、指示に従わせようと脅迫するのに等しい。そうしてイニシアティブを握り、アヴィスーツ軍を意のままに操る。
反吐が出るほど卑劣な行為だった。だが一方でアンタレスは別のことを考えていた。例えケンタウロスが流出しても、外国で暴れれば効果は薄い。購入したケンタウロスを使い、日本でテロを起こしたほうがはるかに有効なはずだ。それをわざわざオークションというお膳立てまでして、他人に売り渡そうとしている。
何か別の目的が隠されているはずだ。
《さて。話が逸れたが、早速今回の商品の紹介をさせていただこう。最強の生体戦車・ケンタウロスです!》
照明が落とされ、アリーナの競技フィールドの入り口にスポットライトが当たった。十メートル四方の巨大なゲートが、音を立てて開いていく。左右に分かれた扉が突然ひしゃげ、吹き飛ばされた。
グオォオオオオオオ!
広大な空間が震える。本能のままに咆哮する一匹の獣が、光をその身に浴びながら競技場へと躍り出た。
「あれが、ケンタウロス……なのか」
アンタレスの口から言葉が漏れる。目の前に現れたターゲットに、ただ圧倒されていた。全身にチタン装甲の鎧を纏い、いくつもの重火器とハルバードを携えた半人半獣の騎士。六メートルもの巨体を持つ生きた戦車が、その前脚を大きく振り上げていた。