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スターライト・ベルリン・バー

 北の夜空にカシオペア座が輝いていた。冷たい風がベルリンを吹き抜け、冬の到来を感じさせる。医学と生体工学、創造産業で発達したこの街は、星に負けないほどの光を携え、今日もつつがなく一日を終えようとしていた。

 技術災害を専門に扱う民間軍事会社、スターライト・バレットのエージェントであるアンタレスは、とあるバーで人を待っていた。

 フライトジェケットとジーパンというラフな着こなしで、くすんだプラチナ・ブロンドを短く切りそろえている。顔立ちは二十代後半と若く、整った顔立ちは欧州の貴族を連想させる。いや、実際に彼は、かつて貴族だった。

 店内はオレンジや紫のライトで彩られ、ミステリアスな空間を演出している。人影はまばらで、雰囲気も落ち着いている。二週間前の中東での戦いが、まるで嘘の様だった。彼はアイリッシュ・コーヒーのグラスの感触を確かめつつ、ビルの外に広がる夜景を堪能した。

 アンタレスはこの場所、ベルリンを気に入っている。ドイツに本社があるというのは関係なしに、この街そのものの在り方に興味を抱いていた。

 歴史と伝統が現代の文明と交じり合い、共存している。あらゆる破壊から生き残った砂岩の門、ブランデンブルク門はいつ見ても迫力があった。有名なランドマークであるテレビ塔の、球体が針に突き刺さっているかのような形状もおもしろい。

 行き交う人々は活気に溢れ、思い思いに生きていている。アンタレスはそれを見るたび、自分の行いが決して無駄ではないと感じていた。戦うことで技術災害の拡大を防ぎ、未来を守る。

 今日まで存在していた命、歴史が明日に続いていき、自由と平和、そして秩序を出来る限り維持していく。それはかけがえのない仲間の命を守ることにもつながった。

(それにしても、相変わらずこのカクテルには慣れないな)

 口につけたアイリッシュ・コーヒーの味に顔をしかめる。コーヒーそのものは大好物だった。独特のコクと風味が舌を刺激し、充実したひと時を与えてくれる。だがどんなに生クリームや砂糖が入っていても、ウイスキーまで混じってしまえば台無しだ。

 彼は酒が苦手だった。飲むと胸焼けするし、平衡感覚も損なわれる。それは一瞬だが、出来ることなら生クリーム入りコーヒーだけを味わいたかった。

 それでもアイリッシュ・コーヒーを飲もうとするのは、単にバーの雰囲気に合っているからだ。温かい光、軽やかなジャズの音色が店内をオシャレに引き立てている。アダルトな空間の中で、酒を飲まないのは勿体ないような気がしていた。

 アンタレスが目の前のグラスと格闘していると、店の入り口から白いスーツを纏った麗人が現れた。一糸乱れぬ足取りで、アンタレスが座るカウンター席の横へと腰掛ける。バーのマスターにただうなずき、アンタレスの顔を見て微笑んだ。

「おや? またそれを飲んでいるのかい? アルコールが苦手なのに。まぁ、そこが君の可愛いところではあるけど」

「わざわざそんなこと言わなくていいエルタニン。俺だって見栄を張りたいと思うときくらいあるさ。お前の前ならなおさらな」

「嬉しいね。今のは口説き文句として覚えておくよ」

 そう言って彼女、スターライト・バレットの社長であり、アンタレスの親友であるエルタニンは笑った。男性にしては妖美な、女性にしては凛々しい中性的な姿をしている。首の後ろで結わえた輝くような金髪が、スレンダーな体系と共に映えていた。マスターが出したマティーニに色っぽく口をつけ、アンタレスを誘うような目線を投げかける。

 アンタレスはそれを無視するように、アイリッシュ・コーヒーの残りを飲み込んだ。アルコールに喉をつつかれ、思わず咳き込む。その子供のような仕草に、エルタニンはまた笑みを漏らすのだった。

 彼らは幼くして両親を失った孤児だった。貴族だった男は財産目当てに親を謀殺され、貧しかった女は母を父に、父を隣人に殺された。愛されていた、愛されていなかったという違いはあるものの、孤児院の中で注目され、迫害されるには充分な理由だった。

 だが男にはすべきことがあった。奪われたものを取り戻せなくても、真相は確かめたい。女はそんな彼を見て、興味を抱いた。二人は自然と親交を深め合い、強さと権力を身につけ、ついに真実を掴んだ。

 アンタレスの両親の領土で見た光景……。変わり果てた近隣の村。神とDNAを愚弄したかのような異形の怪物。生体工学によって生み出されようとしていた魔女。今でも二人の脳裏に焼きついている。それは技術災害の危険性と、自分たちの命が絶えず脅かされていることを強く認識させた。

 だからアンタレスとエルタニンはスターライト・バレットを結成し、来るべき人災、テクノカラミティを潰すべく行動を開始した。はじめは数人ほどだったが、今ではエージェントも増え、最新鋭アサルトスーツとマルチフォームドローン、MFDを複数保有するまでに至った。

 アンタレスの能力、そしてエルタニンの頭脳を持って初めて、星空の弾丸は世界を貫くほどの力を手に入れた。

「中東での任務はご苦労だったね。君のことだから苦労はしないと思ったが、やはりヴェネーノは頼りになるということかな?」

「そうだな。あのアヴィスーツとアルター、そしてエステがいたからこそ成功した作戦だ」

 ヴェネーノは、スターライト・バレットが所有する唯一にして最強のアヴィスーツだ。紅いオウラメタル製のボディに、人工筋肉とカーボンナノチューブを併用した擬似生体アクチュエーターを搭載している。特殊な神経伝達システムによって身体機能は数百倍に高められ、装着者のポテンシャルを別次元の領域にまで到達させる。

 毒を持って毒を制す。技術災害によって生み出された兵器を鎮圧するために生成された、現代のワクチンプログラムそのものと言えた。

「あの女狐が生き残ったのは残念だったな。死んでくれれば心労が減って助かったのだけど」

「エステのことなら俺が責任を取る。だから彼女の前でそんな発言はしないでくれよ? 仲裁するこっちの身にもなってくれ」

「分かっているさ。他ならぬ君の頼みだし、まだ利用価値もある。せいぜい使い潰させてもらうよ。だけどまた君を裏切るようなことになれば、今度こそ彼女の息の根を止めさせてもらうからね」

 エルタニンの瞳に力が篭る。アンタレスはそんな彼女を宥めるように肩を叩いた。エルタニンにとって、かつて敵だったエステの存在価値は低い。ヴェネーノの、特に神経伝達システムの秘密を狙い、奪おうとした泥棒ネコに過ぎなかった。それはアンタレスも理解している。

 だが彼はエステを殺せなかった。彼女には抗いがたい魅力があった。自分の傷を癒すかのようにアプローチされ、スパイと分かっていても秘密を打ち明けてしまいそうになった。

 出会いは突然で、甘いひと時も一瞬で終わった。静かな怒りを携えてライフルを構えたエルタニンと、全身から血を流して倒れているエステ。気が付けば、秘密を奪おうとした相手に手を差し伸べていた。驚いた二人の顔は、今でも脳裏に焼きついている。

「惚れたとか、そういうわけじゃないんだ。ただ殺すには惜しかった。道を示してあげたかったんだ。エステは力を持て余してた」

「だがら使命を与え、スターライト・バレットに導いたんだろ? まったく。君のその優しさを他の人間も持っていたら、どれほどの人間が幸福になっていることか」

「そう言うお前は優しくなれないのか?」

「よしてくれ。君が甘い分、僕は冷酷にいかないとね。それに君の優しさは僕だけに向けてくれればいい。他の連中には、おこぼれだけでも充分すぎるくらいだよ」

 エルタニンがアンタレスの瞳を覗き見る。マティーニのグラスをこする指が、動物を手なずけるかのように優しく、なめらかに淵を伝う。アンタレスは呆れつつも首肯で応え、窓越しに夜空を見上げた。

 彼にとってエステは言わば、無限に広がる星空から見つけ出した原石のようなものだ。彼女を助けたことは今でも後悔していないし、正しかったと信じている。エステが自分に向ける視線が、日に日に熱を帯びてきているのは気になる。だが自分に好意を抱いてくれているなら嬉しいし、彼女の本質をもっと知ることができるはずだ。

 そんなことを考えていると、エルタニンに肘打ちを食らった。冗談とは思えないほどの力、嫉妬が篭っている。様子を窺うとぷいと顔を逸らし、おもしろくなさそうにグラスの中身を飲み干していた。

(まったく、どこが冷酷なんだかな)

 心の中で笑みを漏らすと、気持ちを切り替えて本題に入った。

「ところで今日の件だが、レジナルドのデータに不審な点が見つかったらしいな?」

「そうだ。どうやら彼のイカれた発明は、オクトパスだけに留まらなかったらしい。さらに凶悪な兵器が、外部に流出してしまったようだ」

 エルタニンも顔を引き締め、スーツから携帯端末を取り出す。ディスプレイに該当データを読み込ませ、カウンターの上に滑らせる。そこには生体兵器のコードネームと、詳細なスペックが表示されていた。

「ケンタウロス? これがお前の言っていた?」

「ああ。オクトパス以上に強力で、手がつけられない化け物だ」

 ケンタウロス。ギリシャ神話に登場する、半人半獣の生物だ。上半身が人間、下半身が馬であり、英雄を教育した賢者や不死といった伝説を残している。表示されたデータには全長七メートル以上、時速三百キロ、脚力十トンなどと、信じられない数値が羅列されている。

 端末を画面をスライドさせると、培養カプセルに入れられた白い物体の画像が添付されていた。体全体が水ぶくれしたような筋肉に覆われ、上半身は人間そのもの。だが腕がゴリラのようにたくましく、下半身には馬のように細長い足が四本生えていた。まさしくケンタウロスだ。

「この培養ケースには見覚えがある。奴のラボに似たようなものがあったからな。見てくれ」

 アンタレスは端末に手をかざし、ディスプレイに当時の視覚を画像データとして表示した。エルタニンは一瞬、気遣うようにアンタレスを見るが、すぐに視線を画面に向けた。直径六メートルほどの大きさで、内側から割られたようなひびが入っている。

「確かに。このカプセルだけ他のものとは違うね。大きさも、薬品ボンベの量も、オクトパスの数十倍はある」

「少なくとも、巨大な生物が製造されていたのは確かなようだ。そいつの信憑性はどれくらいある?」

「ほぼ確実だね。うちの情報部や顧客データに載っていた連中の証言から裏を取った。WHOからも正式に依頼が入ったよ。君には、このケンタウロスを始末してもらう」

 はっきりとエルタニンが告げた。アンタレスたちの秘密ラボの強制捜査は、WHOから依頼されて実行していたものだ。ディーラーやブローカーまでは手が回らなかったが、成果は上々だった。オクトパスの製造を止められただけでなく、生物密輸に関わった顧客の大部分を検挙することができた。

 だが防いだと思われていたテクノカラミティが、再び発現しようとしている。アンタレスとしては、依頼の有無に関わらず放置してはおけなかった。完全武装のオクトパスでさえ、アルターと合体しなければ倒しきれなかったのだ。それ以上のものが暴れだす事態になれば、どれほどの人的被害が出るか想像もつかない。

 できることなら、自分の手で決着をつけたかった。

「了解した。それで、ターゲットが搬入された場所は分かったのか?」

「多少手間取ったけど、どうにか割り出せた。いくつもの国を経由して、最終的に行き着いたのは東京。日本の首都だよ。あの顧客リストには日本人の名前はなかったが、間違いないはずだ」

「日本だって?」

 アンタレスの表情が驚愕に染まる。日本は軍隊を持たず、大規模なテロもここ数年起きていない、治安のいい国だったはずだ。近年では憲法改正により、自衛隊などの交戦権や対テロ活動の強化が押し進められているとはいえ、生体兵器を持ち込んでまでテロを起こす必要がどこにあるというのか?

「驚くのも無理はないけど、あくまで搬入されただけであって、戦闘に投入されるわけじゃない。どうやらそこで競りに出されるらしい。いわゆるオークションさ。開催される場所はまだ調査中だけどね」

「まさか。わざわざ日本でそんなことをするというのか?」

「どうやらバックに大物が潜んでいるらしい。日本は密輸が比較的楽だし、平和だというのが逆に盲点なのかもしれないね」

 生体兵器だけでなく、クローン臓器などを密輸する場合、バイヤーやブローカーは海外にいても問題なく機能する。加えて、彼らは国の壁によって守られていた。国外の組織が密輸に関わっていても、現地の法が立ちはだかり、面倒な捜査手続きを踏まなくてはならない。

 現物や金の動きを国内で確認できない場合、日本はそうしたビジネスを規制する手段が存在しない。あらかじめ網を張っていても、不法取引を見逃してしまうケースのほうが多いのだ。

「逆を言えば、密かに裏のビジネスに手を染めている連中を一網打尽に出来るわけか」

「その通り。だけどあくまで狙いはケンタウロスだ。必要最低限の人数でオークション会場に潜入、ケンタウロスの有無を確認してから排除してくれ。ビジネスに関わった人間はおまけ程度に考えてほしい。可能なら、情報収集をしてくれればいいからね」

「了解だ」

 アンタレスは返答しつつ、任務について思考をめぐらす。これは潜入捜査だ。エステが適任だろう。あとはケンタウロスと戦うことになった際、アヴィスーツとMFDを現地に輸送しておく必要がある。市街地、しかも戦場ではないため、トレーラーなどの一般車両で運搬しなければならない。

「ヴェネーノとアルターを運び込むための車両は手配できそうなのか?」

「できなくはないけど、避けたほうがいいね。敵は相当用心深い。正体が分からない以上、うかつな動きを見せれば看破される恐れがある。最悪の場合、ケンタウロスをどこかに移されてしまうかもしれれないよ」

「どこか遠くで待機させておくのはどうだ?」

「場所と時間帯にもよるけど、都市部は比較的に交通量が多い。それにアルターは砲撃戦使用だから、周囲への被害は免れない。僕はガルーダを使おうと考えているんだけど、どうかな?」

「ガルーダか……」

 スターライト・バレットが所有するMFDはアルターだけではない。空戦使用のガルーダ、そして高速戦闘用のヘルハウンドなど、ミッションに応じて使い分けることができるようになっている。

 神の鳥の名を冠したガルーダは、空中での戦闘支援を目的に開発されたMFDだ。単独でアメリカの最新鋭ステルス機、ラプターと互角に渡り合い、コンテナを懸架することで様々な装備を空輸することができた。当然、ヴェネーノとの合体機能も備わっている。陸路が使えない以上、動きを制限されないガルーダを使うのは確かに効果的だった。

 だがアンタレスには不安要素があった。エルタニンに見せられたケンタウロスは、オクトパスのように装備が施されていない状態だった。つまり実際に遭遇するターゲットには、強力な兵器や装甲が取り付けられている可能性がある。バランスの良い性能と対空戦闘に主眼を置いたガルーダで、はたして太刀打ちできるかどうか……。

「君ならできるさ」

「えっ?」

 気が付けば、エルタニンが微笑んでいた。

「ヴェネーノとガルーダが連携すれば、仮にケンタウロスがデータ以上のスペックを持っていても対抗できるはずさ。それに僕は君を信じてる。それでは駄目かい?」

 いたずらっぽく目配せする彼女に、アンタレスは思わず笑みを返した。知的な彼女にしては、根拠に欠ける発言だ。いや、エルタニンにとっては、信じるという行為そのものが、論理に裏づけされていた。アンタレスと苦楽を共にし、スターライト・バレットを率いてきたからこそ、部下であり、親友でもある彼に絶対的な信頼を置いている。

 アンタレスはその期待に応えたかった。自分以上に自分のことを知り尽くした彼女を信じていた。そのエルタニンが背中を押してくれている。心強く、胸に熱い想いがこみ上げてきた。

「分かった。その方向で段取りを進めよう。頼んだぞ」

「まかせてくれ。君のために最高のスコアを用意しよう」

 二人がうなずき合っていると、目の前にカクテルの入ったワイングラスが二つ置かれた。マスターからの差し入れだ。アンタレスの顔がわずかに引きつる。

「これは、スプリッツァーだね。白ワインをソーダで割ったものさ。アルコール度数も低いから、君も飲んでみるといい」

「それは、ありがたいね。ありがとう、マスター」

 首肯で応えたマスターに苦笑いしてしまう。酒は苦手だが、エルタニンと同じカクテルを飲むというのは魅力的だった。シュワシュワと泡立ったワイングラスを握る。

「アンタレスの作戦の成功を祈って」

「エルタニンの信頼に感謝を捧げて」

「「乾杯!」」

 互いの気持ちを込めたグラスを打ち鳴らす。はじける炭酸のごとく、二人の想いが溢れ出した。

 白いスプリッツァーは優しく、さわやかな味わいがした。


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