エンド・オブ・クリムゾンストーリー
夕陽が、羽田空港を紅く照らしている。トーキョーを熱く焦がすかのような情景は幻想的で、未知の領域へ踏み込んだかのような錯覚に陥らせる。もうすぐ、夜がやってくる。
アンタレスは空港の搭乗口で、飛び立つ鉄の鳥を眺めていた。怪我をしたエステと、それに付き添うシラヌイを送り出した後だった。交代要員が来るまではトーキョーで待機し、事件の後処理に当たる手はずになっている。
『それにしても、あの女狐。最後の最後までお前に媚を売るとはな。いっそのこと、飛行機ごと始末したほうがいいのではないか?』
「本気か? それだとシラヌイも殺すことになるぞ?」
『冗談に決まっているだろう。女狐はともかく、シラヌイは組織にとって有益だ。まだ芽を抜くには早すぎる』
ボークスとアンタレスが電波を介して会話する。衆目の中、ボークスは光学迷彩で姿を消し、アンタレスの護衛についている。事件が終わったとはいえ、まだ見ぬ敵が便乗して襲い掛かってくるかもしれない。特にアンタレスとアヴィスーツが消耗した状態である今ならば。
アンタレスは黒い番犬との会話を弾ませつつ、先ほどの光景を思い出していた。今でも胸が熱い。別れ際、さみしさと申し訳なさから謝罪をするエステ。いきなりアンタレスに抱きつき頬にキスをした。空港のど真ん中でついばみ、なめ回すように舌を這わせ、耳元でささやいた。
「今回のお詫びは、怪我が治ったら、たっぷりとお返しさせていただきますわ。二人で愛を貪りあいましょう」
エステはアンタレスの胸を指でなぞり、艶やかな笑みを浮かべた。ボークスの舌打ち、傍らにいたシラヌイが赤面し、あわててエステを引っ張っていく。その際、怪我をした箇所をかばうエステの表情が何だか滑稽で、おかしかった。
『だが今回の事件。後処理は公安が請負い、カバーストーリーを着々と組み上げているのだろう? 元から意味不明な事件だ。幼稚な作り話でも受け入れられるだろうし、我々も撤収してもよさそうなものだが』
「それはできないな。トーキョーのアヴィスーツ部隊は今回の件で大打撃を被った。体勢を整えるまで、俺たちがフォローに回る必要がある。まだまだここで果たす使命は残っているぞ」
『警備部の連中を敵に回してまでか? 雑魚の戯言などどうでもいいが、耳障りなのは間違いないぞ?』
「それでも、やらなければならない。それが俺たちの戦いに彼らを巻き込んだ、せめてもの償いだ」
ボークスが、ふんと鼻を鳴らす。くだならい。そう言いたげに、気配がアンタレスの元を離れる。周囲の状況を確認しに行ったボークスを尻目に、アンタレスはもう一度、窓の外の風景を眺めた。
ホテル・ロイヤル・ポート。東京ビッグサイト。そして神河コーポレーション・カワサキ倉庫。三度の激闘を制し、アンタレスの活躍は、ニホンに再び轟くことになった。それは同時に、警察のテクノカラミティへの対応力の低さを露呈させてしまった。
スターライト・バレットは公安に手柄を譲ることで信頼関係を強めたが、一部の組織の反感を買ったことになる。彼らの誇りを傷つけたことに、アンタレスは罪悪感を抱いていた。
レジナルドの言葉が脳内を駆け巡る。
――盤上の駒は、ゲームが終わるまで、与えられた役割を強いられる。やめたくてもやめられない。
彼の言う盤上の駒を操る神。すなわち謎の女によってこの事件は引き起こされた。アンタレスという、ひとりの人間のストーリーを演出するために、何人もの人間が役割を強いられ、犠牲になった。鵜呑みには出来ない。だがレジナルドの言葉を、アンタレスは否定することができなかった。
自分がスターライト・バレットのエージェントとして、テクノカラミティに立ち向かうようになった理由。CIAに入り、理想と現実の違いを見せ付けられた時の葛藤。ナノマシン・ヴィーナスを取り込み、人間でなくなったときの事件。生まれ育った故郷を襲った惨劇。
どれもが現実離れしているようで、一本の線でつながっている。そんな気がしてならなかった。
どこからが自分の選んだ道で、どこまでが運命なのか分からない。全てが仕組まれていたのだとしたら、生きるとは一体何なのか? 神が書き連ねる物語でしかないのか? 神とは一体何者なのか?
ただ、ひとつだけ言えることがある。
――もしも本当に神がいて、俺たちの人生を弄ぼうとするなら、俺は神を、神を名乗る人間を殺す。
いつの間にか、夕陽が夜空に変わっていた。いくつもの星が瞬き、各々が美しく、おぼろげに輝いている。まるでこの地球上に、無数の人間がひしめき合っているかのように。
(かならず見つけ出す。落とし前はかならず付けさせてもらう。これは物語の1ページなんかじゃない。俺が、俺自身で決めた道だ)
きびすを返す。目の前にブロンズ色の髪の少女がいた。優しく笑いながら、手を振ってくる。かわいらしい仕草に微笑で応え、決意を新たに歩き出す。アンタレスは盤上の駒であることを自覚している。戦う運命を強いられているかもしれない。それでも、歩くのは、決めるのは自分自身だ。
守るべき仲間いる。
得た力がある。
果たすべき使命がある。
この世界をテクノカラミティの脅威から救い、未来へ希望をつなげる。
またひとつ、天に星が輝いた。
「ありがとう、アンタレス。また私を楽しませてね」
ブロンズヘアーの少女、女神、デウス・エクス・マキナが嬉しそうに微笑んだ。