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レディ・エスケープ

 中東にある寂れた荒野。赤茶色の肌にはべる岩山の数々。その中にレジナルド・クリスティンの秘密ラボはあった。天然の洞窟が拡張され、様々な人材や設備が整えられている。空調設備の息遣いと、イオン発電機のうなり声が絶えず反響していた。

 所詮、日の光も届かない穴倉だが、彼は大変に満足していた。この場所は紛争地域のエネミーラインに埋没している。忘れ去られた空間だ。WHOの目が届きにくいため、自身の芸術に没頭できる。このあたりを縄張りにするテロリストに芸術の"余り"で造った生体兵器をくれてやることで、金儲けと近辺警護を引き受けさせている。

 レジナルドは傍から見ればアメリカ人の青年実業家だった。金髪にハンサムな笑顔を浮かべ、富と名誉にまみれた生活をエンジョイしてると思われているかもしれない。だがここでは、そんな煩わしい視線を浴びることもない。ただ作品を造り、コレクションを増やしていく。今までも、そしてこれからもそれは続くはずだった。

 そんな彼の楽園が、突如として襲撃にさらされた。どこからか情報が漏れたらしく、所属不明のアヴィスーツが攻め込んできた。こちらも多脚生体戦車・オクトパスを送り込んだので大丈夫だろうが、あまり時間は残されていなかった。場所がバレた以上、ここは引き払わねばならない。

 その前に、どうしてもやっておきたい事があった。

 レジナルドは最近雇い入れた秘書を伴い、コレクションルームに足を運んだ。薄暗い空間。防腐剤の甘ったるい香りが充満している。赤や青のLEDで彩られた光のカーテンが、動物の剥製を照らしだしていた。

 ワニ皮のライオン、豹柄のドーベルマン、フラミンゴの羽が生えたカバ。バイオ技術によって組み合わされた動物たち。皮を剥がれ、永遠のオブジェとしての運命を決定付けられた。中の肉は兵器の材料にされ、どこかでぴょんぴょん飛び跳ねているはずだ。

「どうだい、私の作り上げた芸術の数々は? 気に入ってもらえると嬉しいのだけれど」

「お話には聞いていましたが、実際に目にすると咄嗟に言葉が浮かびませんわ。レジナルド様の情熱には敬服いたします」

「それは良かった。君は本当にいい女だよ」

 常人が見れば嫌悪感を抱くであろうと作品の数々を、秘書は表情を崩すことなく見回していた。むしろ口元には、控えめな笑みすら浮かべている。ウェーブのかかったロングの金髪。左右の前髪はロールを巻き、艶やかな気品さを漂わせている。意志の強さが表出したかのような瞳は、妖美の色に染まっていた。

 アダムすら惹き込まれてしまいそうな美貌を持つ女――。レジナルドは彼女に魅了されていた。

 出会いは突然だった。使えそうな傭兵を自らリクルートしていた際、ふとしたきっかけで知り合ったのだ。バーで過ごしたひと時。紅茶の様な甘い香り。熟れた四肢。グラスを持つなめらかな指使い。そして柔らかな微笑み。ひと目見てすっかり参ってしまった。

 だから彼女を手に入れたいと思った。与えられた仕事をそつなくこなし、客先での商談(物理的なものも含む)も片付けてくれた。容姿だけでなく、能力も優れている。危険を感じさせた。それがかえってスパイスとなり、所有欲を増大させていった。

 レジナルドは部屋の中央に歩み寄る。その様は成果を褒めてもらった子供のごとく弾んでおり、秘書をさらに驚かせてやろうという魂胆も見える。黒いカーテンのかかった台座に近づき、わざとらしく咳払いをする。

「ここに収められているのは、まだ誰にも見せたことがない未完成の作品だ。一番に君に見せたいと思ってね。これまでとは比べ物にならない最高傑作さ」

「あら? それは楽しみですわ。一体どんな作品なんでしょう?」

 笑いかける秘書。もうすぐだ。レジナルドは興奮を抑えきれず、体を震わせながらスイッチを押した。カーテンがはだけ、彼の芸術があらわになる。

「これは……」

 秘書が息を呑む。目を見開き、驚いたような表情を見せる。

 そにいたのは、八人の"フェアリー"だった。子供から成人、ブロンドから黒髪、その大きさや人種は様々だ。人間の体からカゲロウの羽根や蝶の触覚。目は複眼となり、腰や胸には極彩色の鳥の羽が生えている。レジナルドの生体技術は、人間と動物の融合も可能とした。

「題名はミューズ。九人の女神だ。苦労したよ。素体となる人間をあちこちから集め、色んな方法を試した。子供の遺伝子を組み換えて成長させたり、成人した体に直接パーツを移植したりもした。美しい。誰にも真似できない。まさしく生命を体現した創造物だよ!」

 彼ははしゃぎながら台座のまわりを駆け回り、なめ回すように改造人間の肢体を眺める。当然、八人の女神たちから魂は抜けていた。そのうちのひとりは、オクトパスの制御システムとして襲撃者と戦っている。一番若い子供の脳みそが、自我も無く暴れまわっていた。

「確かにすごい作品ですわ。しかしどんなに美しい花や熟れた果実も、その命をもぎ取ってしまえば朽ち果ててしまうのではなくて?」

 秘書が一番小さい妖精、子供の剥製を撫でながら問う。その手つきは悲しげに、哀れむように優しかった。だがレジナルドはそれに気が付かない。昂ぶった精神は、性に狂った獣の如くパッションしていた。

「まさか。私の防腐処置は完璧だ。いつまでも朽ちることなく、皮膚の組織や質感を維持し続ける。君も、じきにそれが分かる。なにしろ、九人目は君になるんだからね」

 ふところから取り出したMk22麻酔銃を取り出しながら、レジナルドは狂気に彩られた笑みを浮かべた。秘書は表情を変えず、まっすぐ彼を見据えた。一瞬、冷たい空気が走る。

「なるほど。そのために目をかけた女性を次々と雇い、こうして妖精とやらに仕立て上げたのですね。私を雇ったのも、作品を完成させるためですか?」

「そうだよ。君は今まで見つけた中で一番美しい女性だ。花よりも美しい頭、むしゃぶりつきたくなるような胸の果実、肉付きの良い四肢。すべてが完璧だ。そんな君を手に入れられた私は、まさしく神に愛されている。安心したまえ、とびっきりの作品にしてあげるから!」

 まくしたてるように心情を吐露したレジナルドが銃を構える。これから女をレイプするかのように目を血走らせ、息遣いも荒い。彼はこの部屋のいかなる動物よりも野性味にあふれ、野蛮な生き物だった。

 そんなレジナルドを見て、秘書は笑った。その微笑みは相変わらず美しい。だがその瞳に宿るのは、彼がかつて見たこともない、冷たく蔑むような視線だった。レジナルドはようやく、彼女の纏う雰囲気が変質していることに気付いた。トリガーに指がかかる。

 銃声が鳴り響いた。無音――、驚愕を顔に貼り付けたレジナルドがどさりと倒れる。仰向けになった体から、真っ赤な液体が流れ出した。秘書の手に握られたワルサーP99が、静かに煌く。秘書はスカートの隠しホルスターに愛銃を収納し、絶命したレジナルドの傍にしゃがむ。静かに、心に溜め込んだ侮蔑をつぶやいた。

「あなたは自分の芸術やらで私の美を汚そうとしました。そしてさっきの気色悪い言葉。はっきり言って反吐が出ましたわ」

 彼女は絶命したレジナルドの懐からIDカードを抜き取ると、急いで出口へと向かう。きっと今頃はパートナーがオクトパスを制圧しているはず。ならばこちらも急がねばならない。潜入捜査は終わりを告げた。あとはデータを持ち帰るだけだ。

 扉の前で女スパイ、エステは一瞬だけ振り返る。ひとりの人間の欲望のために殺され、亡骸すらも弄ばれた命たち。彼女たちもある意味ではテクノカラミティ、生体技術が引き起こした災害に巻き込まれた犠牲者たちだ。

 ――どうか、安らかに。

 エステは己の使命を果たすべく、レジナルドの執務室へと向かった。

 コレクションルームの空調ダクトから漏れた水滴が、コレクションルームの床に滴り落ちた。


(これで全ての実験記録、顧客データは手に入れた。あとは脱出するだけ)

 レジナルドの執務室で、エステは彼の全データを携帯端末にダウンロードした。パソコンの置かれた執務机と応接ソファー、ワインセラーだけの簡素な部屋。仕事とプライベートはきっちり分け、日常的にアルコールを摂取していたことは、偽りの秘書の職務中に把握していた。

 彼女はレジナルドの秘密ラボ、生体兵器や作品の実験記録、取引相手のデータを入手するために、秘書として彼の懐に潜り込んでいた。レジナルドに雇われた女性たちは、全員が行方不明になっていた。秘密ラボに連れ込まれたのだ。だから偶然を装ってコンタクトをはかり、傍に置いてくれるように"お願い"した。

 今までクソッタレだと思っていた彼を魅了し続けていたのも、醜悪な内面に理解を示す素振りをしていたのも、全ては己の任務を果たすためだ。技術災害の根源たる秘密ラボを叩き潰し、レジナルドの恩恵に預かった人間に裁きを下す。パートナーが必要とし、二人で協働して計画を進めてきた。

 室内に振動が響き渡る。白いシーリングファンの羽根がブルブルと震え、空調ダクトからは漏れ出した化学燃料の匂いが漂ってくる。パートナーが内部に侵入した証拠だ。

(当然です)

 彼女は人知れず笑みを浮かべると、スーツを脱ぎ捨ててスニーキングウェアに着替える。

(最強のアヴィスーツを扱える"あの方"がやられるはずがない)

 肌に張り付くようなカーボンナノ繊維は鉄よりも頑丈で、絹のようにしなやかだ。薄型サーメット装甲が急所を守り、動きやすさと防御力を両立している。大事な端末、愛銃のワルサーを腰のホルスターに収納し、彼女はパートナーの元へと向かった。

 今までは自分のためだけにスパイをしていた。自分の欲望を満たすためだけに能力を行使し、極上のスリルを味わってきた。男を手玉に取り、物を盗み、技術を盗んで横流しした。人はそれを蔑み、嫌悪感か色目しか向けられなった。

 だが今は違う。ありのままの自分、外見や欲望だけでなく、自分の心までも受け入れてくれた。守ってくれた。その想いが彼女の胸を明るく照らし、温かく満たしてくれた。だから彼女は危険に飛び込む。――全てはパートナーのために。

 入念な接待のおかげで、ラボに連れ込まれるだけの信頼は得られたし、一斉に関係者を検挙できるだけのデータも確認できた。あとは隙を見て連絡を入れるだけでよかった。ラボ周辺のネットワーク回線はほぼ遮断されていて苦労はしたが、レジナルドを満足させた後、唯一回線がつながっていた彼のパソコンからシグナルを送信した。

 パートナーの襲撃と同時にレジナルドを始末し、IDカードでロックされた隠しサーバーからデータを抜き出す。これだけの作業に、二週間もかかってしまった。

 データそのものに興味はない。彼女にとっては何の価値もない代物だ。だがパートナーの傍にいるためには、どうしても必要なものだった。自分の有用性を内外に示さなくてはならない。

(帰ったらうんと甘えさせてもらおうかしら? 一緒にお風呂もいいかもしれない)

 そんなことを考えながら、エステは連絡通路へと躍り出た。洞窟を改装しただけあって、通路は曲がりくねり、アップダウンの差が激しい。壁面に張り巡らされた電気チューブ。舗装されていないデコボコの岩肌は歩きにくく、生暖かい風は肌に張り付くほどジメジメしている。

 エステはそれを意に介すことなく、素早い身のこなしで通路を駆け抜けていく。慌てふためくスタッフたちをすり抜け、振動の元へと急いだ。いくつかのブロックを走破すると、目の前に武装した警備員が三人いた。身を隠す場所はない。さらに運悪く、そのうちのひとりに姿を見られた。

「おい! 止まれ! もしやお前が裏切り者だったのか、このアバズレが!」

「ご名答。しかしその発言は許せませんね」

 エステは普段からレジナルドにくっつき、巧みに心を掌握していった。それがまわりには気に食わなかったらしい。影で淫売女などと軽蔑され、中には卑猥な目を向けてくる者もいた。任務のために無視してきたが、もう我慢する必要は無かった。ワルサーP99を引き抜き、銃口から三匹の猟犬を放つ。クソ野朗どもの脳天に風穴が開いた。

 いい子です。ワルサーのスライドを撫でながら先へ急ごうとする。だがそうは問屋が卸さない。ヘルメットにガスマスク、ガリル突撃銃を装備したアヴィスーツ・HELが三体、銃声を聞きつけてやってきた。咄嗟にワルサーを発砲するが、砂漠迷彩の頑強な装甲に阻まれてしまう。拳銃ではアヴィスーツには絶対敵わない。

「あらあら、さすがにあれは相手に出来ませんわ」

 元来た道に引き返す。左右の空間を切り裂く弾丸。露出した頭部に当たれば命はない。背後から聞こえる、外骨格の軋みがやけにうるさい。このスリルを楽しみたいが、死ぬわけにはいかなかった。

 岩を蹴る足に力を込める。しかし舗装されていない悪路での移動は、アヴィスーツのほうに分があった。HELの駆動音が真後ろに聞こえる。徐々に距離が詰まり、洞窟の広間へと追い詰められた。

 天井が高く、広々とした空間。青いLEDが外壁を照らし、通路の出入り口が三つほど存在する。岩のデコボコが激しいため、スムーズに進むためには掘削された細い通路を通るしかなかった。だが攻撃を避けるスペースは存在しない。道を外れて岩陰に身を潜めようものなら、グレネードを投げ込まれて即ゲームオーバーだ。

 ガスマスクの呼吸音、狩猟動物の息遣いが迫ってくる。スニーキングウェアに銃弾もかするようになってきた。細い通路をひたすら駆ける。

(このままでは、まずい。せめて武器だけでも……)

 ワルサーを握る手に力がこもった。ちらりと後ろを振り返ると、ガリルをしっかりと構えたHELたちが、ピタリと狙いを定めている。避けようとしても当たる距離だ。わざと姿勢を崩し、倒れ込みながらガリルの銃口を狙う。時が止まる。ワルサーのトリガーに指をかけ――、側面から破砕音が響き渡った。

 HELが戸惑ったように、音のほうへと視線を向ける。戦車ドローンだ。無限軌道が空気を震わせ、尖った岩肌を粉砕する。黄緑色の砲塔が旋回し、アヴィスーツに狙いを定める。敵がトリガーを引く前に二門のガトリングガンが火を吹いた。HELたちの装甲が砕かれ、ダンスでも踊るように体が震え、防弾繊維がズタボロになっていく。

 エステの目の前で、HELのミンチが出来上がった。――どうにか助かった。彼女は笑みを浮かべると、周囲を警戒している戦車ドローンのほうへ向かっていく。胸から携帯端末を取り出すと、音声入力でドローンに話しかけた。

「変形なさい、アルター」

『ラジャー』

 携帯端末から声が響き、戦車が変形を始めた。白い車体が折りたたまれながら直立し、二本の脚を形成する。砲塔が回転し、収納されていたアームユニットが展開する。胸部にはキャノン砲、背部にはミサイルランチャーが配置される。ゴーグル付きヘッドユニットが引き出され、マルチフォームドローン・アルターは、人型ロボへの変形を完了した。

 自律機動型AIを持つアルターは自己の判断で行動し、状況に応じた様々な行動を取れる。日々凶悪さを増す兵器に対応するために製造された、最新鋭バトルロボットだ。

 援護射撃は勿論のこと、仲間の護衛やカバー、武器弾薬の輸送など、ミッションに応じて的確な動作を行う。コミュニケーションも取れるがまだまだ未熟で、全てが片言、端末などの専用コードで変換された特殊電波の命令しか受け付けない。

 最大の特徴は、三つのフォームを持つことだ。砲撃に特化したタンクモード。細かな作業や地形に対応した人型のロボモード。そして専用のアヴィスーツに合体することで、防御力と火力を飛躍的に増大させるアーマーモード。エステにとってアルターは頼りになる護衛であると同時に、かけがえのないパートナーの力となる守護神でもあった。

「アルター。あの方は、今どうしていらっしゃるの?」

『ファイティング』

「制圧の状況は?」

『85パーセントオーバー』

「私はどうすればいいかしら?」

『フォローミー』

「よくできました。相変わらずいい子ですね。ではエスコートをお願いしますね」

『ラジャー』

 エステには無機質な電子音声が、言葉を覚えたばかりのわが子のように可愛らしかった。オウラメタル製の装甲を撫でても反応しないが、この気持ちは変わらない。二本の脚で地面を踏み鳴らしながら、アルターは先導を開始した。


 ラボの中をひたすら行軍する。いくつもの通路を抜け、エステたちは研究区画に差し掛かった。様々な異臭と、消毒液の甘ったるい匂いが充満している。蒸気で霞んだ空間に、大小様々な培養カプセルが無造作に設置されていた。特に目を引くのは直径六メートルほどの大きなもので、中は空だが所々がひび割れている。

 無数のケーブルがつながれた培養カプセルのいくつかには、遺伝子が組み換えられた動物たちが入れられていた。出荷用のオーダーメイド品であり、翼と角の生えた馬や背中に花が生えたカエル、下半身が魚の人間までいた。エステはアルターの背に隠れるように、その場を後にした。

 出口付近には、多脚生体戦車・オクトパスの製造工場がある。異臭を取り除くために、壁一面に大型ファンが取り付けられ、モーターがうなり声を上げている。培養液付けにされた生体部品の筋肉や、剛性カルシウムの装甲がラックに収められていた。ガスタンクのような本体が十個ほど、クレーンによって宙吊りにされていた。

 二人が足を踏み入れた時、そこは血の海になっていた。喉だけを貫かれたHELと警備員の死体が転がっている。吊るされたオクトパスの制御システムである脳髄も、キャノピーの中で残らず潰されていた。

(あの方らしいですね。生体兵器の材料にされた方々を救えないのなら、ぜめて歪められた運命から開放する。やはりあなたはお優しい)

 人の命を奪う。それは因果が伴う行為だ。いつかは報いが訪れる。だがそうしなければオクトパスの脳髄は兵器として利用され、自由意志を奪われたまま殺戮を行うことになる。

 望もうと望まれまいと、そんな存在を残してはおけない。パートナーは自ら手を汚すことで、ひとつでも多くのテクノカラミティを鎮圧しようとしている。エステはそんなパートナーを支えてあげたかった。

 この様子だとアルターの言うとおり、敵のあらかたは鎮圧できたらしい。ならば自分たちは出口を確保し、パートナーとの合流に備えるべきだ。エステはそう考え、アルターを促して先へ進もうとする。

『デンジャー』

「アルター?」

 その時、アルターはエステを庇うようにして前へ踏み出した。視線の先にはベルトコンベアーに乗せられた輸出用密封コンテナ。突如、雷が落ちたような轟音が響く。コンテナが内側からひしゃげ、ビートがより激しく刻まれる。

 外装が引き千切られ、開いた穴から仮死状態だったオクトパスが生まれ落ちた。緑色の粘液にまみれ、装甲が取り外された筋肉が露出している。ガスタンク状の本体が軋み、悲鳴のような産声を上げた。

 アルターが状況を判別し、肩のガトリングガンで攻撃を開始する。洞窟内でミサイルやキャノン砲を使えば、洞窟が崩落する恐れがあった。ベストな判断だが、オクトパスは仕留められなかった。筋肉が引き千切られながらも跳躍し、粘液でぬめったアームを振り下ろす。

 エステが大きく跳びずさり、アルターが彼女の安全を確認して回避する。だがあろうことか、装甲をつけていないアームはしなやかに伸び、エステに一直線に向かっていった。

(えっ?)

 彼女は呆然とそれを見ていることしか出来ない。あまりにも速すぎた。アルターがアームを押さえ込もうとするが間に合わない。

 エステの体にアームが突き刺さる瞬間、一筋の稲妻がエステを抱かかえた。そのまま飛び上がり、紅いアヴィスーツがオクトパスのキャノピーに渾身の蹴りをかました。脳髄がベショリと潰れ、生体兵器の牢獄から開放された。

 アヴィスーツはアルターの傍に着地し、エステを優しく地面へ下ろす。彼女は呆けたように紅い救世主を見つめていたが、やがて嬉しそうに微笑んだ。愛し合っていた織姫と彦星が出会ったときのような、待ち人に再会する喜びに満ち溢れた表情を浮かべる。胸部装甲に指を這わせ、労わるように撫でまわした。

「ありがとうございますアンタレス様。やはりあなたは私になくてはならない存在ですわ」

「それはなによりだが、君を危険に晒してしまった。本当にすまない」

 フルフェイスのヘルメットごしに、青年の声が応える。彼こそがエステのパートナー。技術災害を専門とする傭兵、アンタレスだ。紅いアヴィスーツを身に纏い、アルターと二人がかりでラボを制圧した。エステが全てを捧げ、心から尽くしたいと想う相手だった。

 彼女の身を案じ、責任を感じている様子に、エステは思わず頬が緩んだ。なんて愛しいのだろう。ヘルメットの口元あたりに指を当てる。

「お気になさらずに。悪いとお思いなら、帰ってからたっぷりお相手してもらいますから。それでお相子です。でしょう? アルター」

『イエス』

 エステはアンタレスにウインクしてみせた。アルターも携帯端末越しに、無機質で無責任な返事をかます。まるで言葉の意味を解しているかのような悪乗りだ。

「アルターまで何を言い出すんだ。でも、無事で本当に良かった。行こうエステ、アルター。制圧を確認したら、帰ってコーヒーブレイクと洒落込もう」

 バイザーごしの彼はそんな二人のやり取りに困惑し、それでいて嬉しそうに微笑んでいた。

 


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