表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/24

レディ・ハント・クライム・ビースト 3

 エステの脳裏に、あの時の光景が蘇る。元凶たるレジナルドのラボで見た、八人の合成生物。彼がその標本を最高傑作と称し、エステに見せびらかしてきた。それが何故、ここに存在するのか?

「やはり彼の作品は素晴らしい。そうは思わないかね、エステ君? 間近で見た君になら、十二分に理解できたと思うがね」

 突如、バスルームの扉が開き、中年の男が姿を現す。シャワーでも浴びていたのか、半裸で下半身にタオルを巻いただけの状態だった。にも関わらず、口元には余裕の笑みを浮かべ、エステに挑発的な視線を向ける。

「安中! お前、ふざけているのか!」

「おやおや、余計なネズミまで紛れ込んでいたか? どうやらエステ君に助けられてきたようだが、何とまぁ、情けないことだな」

 ターゲットである安中が異様な姿で、臆することなく赴いてきた。エステは驚きつつも、彼の意図を探ろうとする。その一瞬、彼女は安中の皮膚に違和感を覚えた。ラバースーツでも着込んでいるかのような光沢……。

「どうやら、あなたがレジナルドから受け取ったのはケンタウロスだけではなかったようですわね? こんな悪趣味なものまで受け継ぐとは。一体どうやって運び込ませたのですか?」

「悪趣味とはひどい言い草だ。それに方法は問題ではない。重要なのは、この芸術の完成度だよ。多少焼け焦げてしまったが、この姿もこの姿で味がある。傷つきつつも、気高く、そして美しく輝いている。本当なら、君もここに加わるはずだったのだがな」

 信じられないといった表情で、牧本がエステの顔を見る。彼女はそれを目で制し、安中を油断なく観察する。

「そこまで知っているなんて……。よほど彼と親交が深かったようですわね?」

「良き友人だったよ。それに今回の件に関しても、色々とアドヴァイスをもらった。母国を巻き込むのは心苦しかったが、おかげでゴーストを追い払うことができた。デモンストレーションもうまくいったしな」

 ゴースト、すなわちヴェネーノ、アンタレスの俗称。安中が腰の後ろで手を組みながら、窓の外をじっと見つめる。

「日本にはあの巨大な生体兵器に対処する戦力も、マニュアルも存在しない。つまり、彼を助けられる者は誰もいないというわけだ。中東では大砲付きのアヴィスーツで好き勝手できたようだが、ここではそうもいくまい。あと数十分は、こうしていられるだろう」

 やはり仕組まれていた。完全にこちら側の介入を把握している。それどころか、それを狙っていた節さえある。エステは直感した。だがスパイとして潜入捜査していた際、レジナルドと安中が交流していた素振りは一切なかった。人口妖精にしても、エステ以外にその存在をほのめかしていたとは考えにくい。レジナルドとはそういう男だった。

 ――ならば、自分がラボに潜入する前から、トーキョーでのテクノカラミティは計画されていたのか? 

 頭をよぎる最悪の予想を振り払う。まだ断言はできない。エステは動揺を悟られないよう、ターゲットにファイブセブンを突きつけた。

「さて、話の続きは監獄で行うことにしましょうか? 今ここで無駄な時間を消費するわけにはまいりませんの」

「ゴーストのために、か?」

「それをあなたにお教えする義務はありませんわ」

 エステがにっこりと微笑む。安中はじっと彼女を見つめていたが、やがて盛大なため息をついた。

「やれやれ。彼から聞いた話とはまったく違うな。凄まじくブサイクだ」

「……何ですって?」

「おい、エステ! やめろ!」

 空気が冷たく張り詰める。今にもファイブセブンの引き金が絞られそうな状況に、牧本が思わずエステを静止しようとする。彼女はそれを手で押し留め、安中を睨みつけた。

「怒ったか? だがそうだろう? かつての君は、自分のためだけに行動し、他者の命などゴミのように捨てられたはずだ。その孤高で冷酷な魂が、君の魅力だった。それが今ではひとりの男に熱をあげ、挙句の果てにそんなネズミの命まで守りきってしまった。まったく、ナンセンスだよ」

「お前! 人の命を救うことが、そんなにくだらないことか! それがまがりにも、防衛省の幹部が吐く台詞か!」

「何を言う。いまやこの国は戦時下にある。世界の人命救助や平和維持より、戦争による治安獲得を選択した。それが今の日本だ。だがそんなことはどうでもいい。彼の見込んだエステ君が、このような尻軽に成り果てたことが、本当に残念でならないよ」

 身勝手な発言の数々に、牧本の顔が憤怒に染まる。トーキョーでのテロを引き起こしたばかりか、エステに異様な執着を示している。犯罪者、いや、一人の人間としての正気を疑った。

「……まるで見てきたかのよう口ぶりですわね。それとも、あなたの大事なレジナルドに聞いたのですか?」

「さぁ? ただ、よく知っているとだけ答えておこう。今の君を彼が見たら、きっと嘆くだろうな。ただ外見だけの、情に塗れた女に堕ちてしまったのだから」

 エステの表情は見えない。顔を伏せ、静かに声を絞り出す。

「そうですか。私が情に流され、ひとりの男に執着する女に……」

 彼女の肩が小刻みに震えだす。

「それは、嬉しいですわ! それこそ、まさに私がアンタレス様の理想に近づけたということ。アンタレス様の、お傍に寄り添える」

「なっ?」

 そして笑った。冷たく熱い瞳。頬を朱に染め、投げかけられた侮辱をかみ締めるように、両腕で体を抱き寄せる。そんなエステの姿に、男たちが絶句する。妖美、歓喜、狂気が入り混じったレッドアイ、染み出したカクテルが空間を侵食する。

 彼女が愛に溺れているのか? 彼女をここまで酔わせた男、アンタレスが元凶なのか? 定かではない。確かなのは、エステはアンタレスを想っている。有象無象の罵詈雑言など気にならないほどに。

「安中さん。確かに私は変わりました。以前とはまるで正反対。ですがアンタレス様のためならば、私は喜んで尻軽やブサイクになりましょう。先ほどのお褒めの言葉、一応覚えておいてさしあげますわ」

 エステは牧本にハンドサイン"目標の確保"を送る。その鋭い仕草は熱に浮かされたレディではなく、冷酷なハンターとしてのそれだった。

 いまだ驚愕の中にいた牧本はハッと、電流がはしったかのごとく覚醒した。使命を思い出す。理解不能なパートナーの感情を振り払い、安中を逮捕しよう歩き出す。

 安中の口角がつり上がった。

「なるほど。いや、エステ君、失礼した。先ほどの言葉は訂正させてもらおう。君の持つ狂気、魂の本質は変わっていないらしい。それを感じたからこそ、彼も今の君に惹かれたのだろう。……犯しがいがありそうだ」

 直後、安中の腰に巻かれたタオルがもぞもぞと動き出す。白い何かが飛び出した。異常を察知したエステが、前を歩く牧本を引き寄せ、倒れこむ。0.5秒、一筋の何かが猛烈な勢いで過ぎ去る。

 それが向きを変え、エステの目前に迫っていた。彼女は動じることなく狙いを定め、ファイブセブンのトリガーを引く。金属の咆哮。獣の絶叫。5.7ミリの猟犬が白い蛇を喰いちぎる。拳ほどの大きさの頭が真っ赤に染まり、頭蓋が粉々に砕け散った。

「なっ、何が!」

 ワンテンポ遅れて、牧本が慌てて安中のほうを向く。異様な光景が目に入った。局部、本来性器があるはずの場所が無数の鱗に覆われている。そこから蛇の体が生えていた。筋肉を縮め、引き伸ばした胴を戻している。

「ぐぉおおおおおお!」

 同時に、安中そのものも変化を起こす。皮膚の光沢が顕著になり、パールカラーに変色したかと思うと一気にそれが崩れ落ちた。古い皮膚がバラバラと床にこぼれ、はぎだしの筋肉の表面から白い鱗が浮かび上がり、継ぎ目が消えて粘液に覆われる。

 安中が苦悶の声を上げながら白目をむく。口から蛇が一匹、両肩を突き破って蛇が二匹、股間の蛇の頭も瞬く間に再生する。合計四匹のアルビノスネークが、舌をチロチロと出しながら、殺人感覚を鋭敏に研ぎ澄ます。

「安中、お前いったい?」

「いいえ牧本さん。今の彼は安中でも、人間ではありません。ただのバケモノ。外で暴れまわっているケンタウロスと同様の存在です。殺すつもりで挑まないと、死にますわよ」

 驚きの連続、視界が思考に追いつかない。変態した安中に動揺する牧本に、エステは冷静に言葉をかけた。

 とはいえ、彼女もまた、ターゲットの姿に異様なものを感じていた。これまでも、人が生体兵器と化してしまう前例はいくつか確認されている。だが目の前のバケモノは、他のそれとはまったく違う。

「さぁ、こちらもデモンストレーションを始めようか? 九人目の女神の誕生。芸術の完成。それこそが彼に対する最高の贈り物なのだからな」

 安中の頭部から、くぐもった声が響く。理性を残し、あまつさえ会話さえ可能な生体兵器。いや、はたしてただの生体兵器と呼んでいいものなのか? 

「そんな姿になってまで、レジナルドの芸術とやらに執着なさるのですか? 彼に改造されたかどうかは知りませんが、とても正気とは思えませんわね」

「なに、お互い様さ。君がゴーストを慕うように、私もレジナルドの芸術に感服している。それを認められないのであれば、私を力で屈服させるよりほかはない。違うかね?」

「そうですわね。……では、参りましょうか」

 四頭の蛇が鎌首をもたげ、二匹の猟犬が鈍く光る。エステは迷わなかった。人であろうと、生体兵器であろうと、倒すべき敵であることに変わりはない。息をゆっくりと吸い、吐く。バクバクとうなる心臓を制御する。手に握ったファイブセブンに力を込め、滑らせるように銃口を移動させる。

 銃身ごしに見える安中、白い蛇人間、未確認生体兵器に狙いを定める。

 はるか遠くで、絶対零度の虚無が輝いた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ