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レディ・ハント・クライム・ビースト 1

 トーキョーの夜。ホテル・ロイヤル・ポートのイベントホールから蒼い炎が飛び立つ。――薄暗い非常階段。エレベーターホール。地獄絵図と化した地下のアリーナ。

 アンタレスを見送ったエステは、改めて周囲の状況を確認した。警察のアヴィスーツ部隊と生体兵器との戦いによって、アリーナは原形をとどめないほど破壊し尽くされている。ケンタウロスに虐殺された19式特殊作戦服の残骸が、そこらかしこに転がっていた。

 切断された装甲の隙間から肉片が見える。割られたヘルメットの内部には、絶望を絵に描いたかのような男の顔が収まっている。バラバラに飛び散った外骨格と人体のパーツが、ぐちゃぐちゃに混じり合っている。動力部が火災を起こし、燃え上がっている個体がいくつもあった。

 立ち込める異臭と黒煙、うめき声。ひどい光景であることに間違いはない。だがこれは、世界中で巻き起こるテクノカラミティのほんの一部でしかない。エステにとって、それはどうでもいいことだった。大事なのは、想い人のために使命を果たすこと。この事件の元凶から、全ての真実を聞き出すことだけだった。

 先ほど出会った公安の男は、後から突入してきた警官隊に指示を出している。負傷者の救護と地域一帯の封鎖。とても間に合わないだろうが、意識が他に向いているのなら好都合だった。

 エレベータホールから抜け出そうとして、傍らに転がっているアヴィスーツ、19式の一体と目が合った。バイザー越しの男の表情には苦痛と懇願、ただ生きたいという純度百パーセントの意志が見て取れた。

(でも、もう無理でしょうね)

 胸部がつぶされ、装甲からはみ出した肺が血にまみれている。エステには彼を助けることもできないし、気にかける価値もない。自分に伸ばされる手を無視して、目的地へと駆け出す。

(今の私を見たら、あの方はどう思うかしら?)

 まやかしの希望に何の意味もない。アンタレスも同じ考えのはずだ。助けようとせず、そのまま見過ごしていただろう。それでも、彼なら何かしたかもしれない。誰よりも人の痛みを理解し、救おうとする想い人なら……。

 今まで他者を利用することしか頭になかった自分。それが今では惚れた男に心酔し、尽くしたいと思うようになっている。彼を悲しませるような行為をしたくないと考えている。

(私はこんなにも変わってしまった。この責任、いつか取っていただきますわ、アンタレス様)

 アリーナから出る直前、一瞬だけ振り返り、頭を下げた。アンタレスならそうするだろう。いや、自分がそうしたいと思ったのだ。それが何だかおかしくて、自然と笑みが浮かんできた。


 非常階段を上がり、一階へと戻ってきた。潜入したエントランスホールとは別の空間。一般客向けの入り口は建築用資材で封鎖され、出入りすることはできない。裏側の従業員用の出入り口も警察、あるいはオークションのスタッフに固められているだろう。

 当初の予定どおり素通りし、二階へ向かう。敵はいない。スムーズに到達できた。ホテルの事務室となる予定のフロアには、まだ物が搬入されていない。天井のLED照明がチカチカと点滅し、薄暗い空間を申し訳程度に照らしているだけだった。

(ガルーダ突入予定ポイントの反対側……、合流地点はこのあたりね)

 目の前に塗装されていない灰色の壁がある。それが激しく振動していた。ドスンという断続的な衝撃、ひびが放射状に広がり、パラパラと破片が零れ落ちる。エステはそれを見て、満足げにほくそ笑む。直後、壁から拳が突き抜けてきた。周囲の壁が崩れ去り、鋼材の悲鳴が響く。

 摩天楼の光と赤色灯の明滅が差し込まれ、人のシルエットを映し出した。黒いスニーキングウェアを身に纏い、左手に持っていたトランクを床に置く。バイクのヘルメットを脱ぐのと同時に、結わえていた黒い髪が風にたなびく。

「ごきげんようシラヌイ。わざわざご苦労様です。作戦とはいえ、ホテルの外壁を登らせたばかりか、そこの壁まで破壊させてしまいました。ごめんあそばせ」

「いえ、これも任務ですから。社長からの要請により、これより作戦のバックアップに入ります」

 ビシッと敬礼する仲間、シラヌイをねぎらうように、エステは優しく微笑みかけた。

 曲者ぞろいのスターライト・バレットの中では珍しく、エステはシラヌイと友好的な関係を築けていた。組織に入る以前は私利私欲のために男を誑かし、ボロボロになるまで利用してきた。そんな人間が容易に信用されるはずがない。

 女性の比率が大多数を占めているというのもあるが、一番の問題は副社長かつ筆頭エージェントであるアンタレスが彼女を仲間として受け入れている点だ。彼に特別な感情を抱いているメンバーにとって、エステはライバルである以前に、アンタレスを破滅させうる超危険人物でもあった。

 そんな状況の中、シラヌイだけはエステに敬意を抱いて接していた。――過去の行いは最悪かもしれないが、悪い人とは思えない。純真さと真面目さからの、まっすぐな感情。缶コーヒー並みに甘い考え。だがエステは、そんな彼女を馬鹿にする気にはならなかった。

 アンタレスの弟子ということもある。だがそれ以上に、自分を変えていこうとする不屈の精神、そして時折顔を覗かせる少女らしさを気に入っていた。いつしか自分の妹、娘のような感覚が芽生え、工作員としての技術や女性のたしなみを教示するようになっていった。

「シラヌイ、私はこれから闇オークションの元締めをこらしめに行ってきます。武器は持ってきていただけましたか?」

「ひと通りお持ちしました。今トランクを開けますね」

 屈みこんだシラヌイが指紋認証式のロックを解除し、中身をエステの方に向ける。エステ愛用のワルサーP99と暗器を仕込んだガントレット。対生体兵器用特殊弾倉が装填された自動小銃、ナイツPDW。スタングレネードとスモークグレネード。情報端末を内蔵した視覚補助ゴーグルが収められていた。

 エステはひとつひとつを手に取り、動作を確認しながらスニーキングウェアに装着していく。

「自動小銃はあまり趣味ではないのですが。これはアンタレス様のご指示ですか?」

「はい。あらかじめ言っておいても持って行かないだろうから、とのことです」

「あらあら。なら、持っていかないわけにはいきませんわね」

「それと、これをお渡しするように言われました」

 シラヌイが腰のホルスターをベルトごと差し出す。収められていた二丁の拳銃を見て、エステが驚きの色を浮かべた。

「これは!」

「アンタレスさんのファイブセブンです。エステさんなら上手く扱えるから大丈夫だと言っていました」

 自動拳銃、ファイブセブンの特別仕様。専用の5・7ミリ弾は貫通力に優れ、追加カスタマイズによって生体兵器に対する部位破壊、出血誘発能力が極限まで高められている。アンタレスはこれを四丁携行することで数々の事件に対処し、これまで生き延びてきた。

 エステの胸に熱いものがこみ上げてくる。託された銃は、まさに想い人の魂そのものだ。アンタレスの心遣い、鈍く光る銃身に愛おしさを感じる。それを表に出さず、ホルスターを腰に巻きつけた。

「分かりました。そういうことでしたら受け取っておきましょう。その代わり、アンタレス様にこれをお預けください。任務が終わったら、互いの銃を返還するということで」

 シラヌイに自らのワルサーを押し付けた。ファイブセブンほどではないが、幾多の危機を共に潜り抜けてきた銃だ。きっと彼の力になってくれるだろう。シラヌイは黙ってそれを受け取った。

「シラヌイさん、何か不安なことでも?」

「いえ。私はプラン通り、アンタレスさんの元へ向かいます。ですがもし、エステさんが危険に晒されるようなことがあったら……。だからアンタレスさんもその銃を渡されたんだと思います」

 さすがはアンタレスの弟子だ。その言葉を飲み込む。アンタレスがファイブセブンを渡した真意、――君が危険だというのに、自分はいっしょにいられない。だからせめて、武器だけでも共に戦えるようにしたい。彼らしい思いやりと優しさ。それをこの少女は完全に理解している。

 心配そうにこちらを見つめるシラヌイの頭を、エステはゆっくりと撫でてやった。

「大丈夫ですわ。たかだか犯罪者のひとりくらい、私だけで対処できます。それよりも、あなたは早くアンタレスさんの元へ行きなさい。あのケンタウロスというバケモノ、何か嫌な予感がしますわ」

「ですが!」

「あなたの務めはアンタレス様をお助けすること。もしもあの方の身に何かあったら、生涯許しませんからね」

 撫でていた手でポンポンと叩く。あぅ、と頬を赤らめるシラヌイにウインクし、彼女の両肩に指を添える。

「さ、もう行ったほうがよろしくてよ。アンタレス様のこと、よろしく頼みます」

 迷いと葛藤に揺れるシラヌイの瞳。それが決意を秘めた色に変わる。エステに力強くうなずきかけると、意を決したように敬礼し、壁の穴から飛び降りていった。己の使命を果たし、託された願いを体現しようとする戦士として。

(シラヌイ、アンタレス様、どうかご無事で)

 遠ざかる背中を見送ったエステは、ファイブセブンのグリップをギュッと握りこんだ。瞳を閉じて、二人の行く末を願う。

 そして銃を引き抜き、後ろの気配に狙いを定めた。



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