レイン・イン・ザ・カフェ
昼、トーキョーにしとしとと雨が降っている。分厚い雲は太陽を隠し、昨日発生したテロをも覆いつくすかのように、空を灰色に染め上げていた。
街の人々がスクランブル交差点を行き交う。ある者はビジネスへ、またある者はショッピングへと。湿った空気を振り払うように、各々の生活を営んでいる。
その雑踏にまぎれて、二人の男女がオフィスビルへと入っていった。二本の黒い傘が折りたたまれ、エレベーターへと乗り込む。男は黒いスーツを身に纏い、革手袋をはめた手にスーツケースを持っている。その連れである少女は、迷彩柄のパーカーにホットパンツ、ブーツというラフな服装で、艶やかなポニーテールを規則的に揺らしていた。
向かった先は6Fの飲食スペースにある喫茶店だ。カウンターに青年が歩み寄る。暇を持て余していた女性店員の表情が変わった。突如現れた、ハンサムな顔の外国人。優雅さすら感じられる佇まいに、完全に惹きこまれていた。
「いらっしゃいませ。あの、二人様でしょうか?」
「はい。特製ブレンドコーヒーとクリーミーカフェオレをひとつずつ。支払いはこれでお願いします」
「あっ、あの、分かりました! 少々お待ちください」
アンタレスの言葉にうっとりしていた店員が、いそいそとオーダーに対応する。渡されたマネーカードをレジに挿入し、瞬時に清算を済ませる。その間にコーヒーメーカーが自動で豆を抽出し、カップに液体を注いでいく。
背後からプレッシャー、鋭い視線が突き刺さった。正体不明の呆れと嫉妬、そしてはっきり感じる羞恥のにおい。「クリーミー? 私そんなお子様じゃありません!」パートナー・シラヌイの無言の抗議にうろたえつつも、思わず頬を緩める。
彼女は基本的に緑茶党だ。仕事では外聞を気にして紅茶やコーヒーなどを飲みたがるものの、本心では甘いものにも目がない。長い付き合いの中でそれを理解していたからこそのオーダーだったのだが、それがお気に召さなかったらしい。
目の前のトレーに、カップに入った二品が置かれた。甘い香りと深みのある香り。鼻孔を刺激をする黒とクリームの二重奏。店員からマネーカードを受け取る。名残惜しそうに手を離す彼女に頭を下げると、奥のスペースへと足を踏み入れていった。
店内にあまり人影はない。談笑する子連れのセレブや商談を進めるサラリーマン、そして無言でコーヒーをすする二人の客。さりげなく向けられた視線を受け流し、目的の人物の元へと向かう。窓際の奥の席に、いかにも体育会系といった精悍な顔つきの男がいた。
「昨日ぶりだな。よく来てくれた」
「あなたが牧本さんでよろしいでしょうか?」
「そうだ。こんなところに呼び出してすまないが、こちらも余裕がない。早速交渉を始めたい」
そこで待っていたのは、ホテル・ロイヤル・ポートに潜入していた公安の捜査官、牧本だった。おそらくは偽名だろう。彼はWHOを通じてアンタレスたちにコンタクトをはかり、人気のないカフェへと呼び出した。
アンタレスは黙って向かいの席へと座る。だがシラヌイはパーカーの奥に手を突っ込んだまま動こうとしない。その視線は、ただ一点を見つめていた。怪訝な表情を浮かべる牧本に、アンタレスが声をかける。
「事前の取り決めでは、あなた一人がこの場に来るはずでしたね? ならばあの二人は何者ですか? 場合によってはそれなりの処置を取らねばなりませんが?」
シラヌイが懐の自動拳銃・P4をちらつかせる。明確な意思表示、――こちらを嵌めるつもりなら容赦はしない。息を呑む牧本が観念したかのように告げた。
「すまない。あいつらも確かに公安だが、俺とは別の意思で動いてる。俺も疑われてるんだよ。秘密を漏らしたスパイとしてな。俺たちの疑いを晴らすという意味でも、ここは手を出さないでくれると助かる」
牧本は昨日とは打って変わって、呻くように声を絞り出している。嘘をついている匂いはしない。シラヌイにうなずきかけ、銃をしまわせる。そのまま席に着いたシラヌイは、だまってカフェオレをすすり始めた。
「それにしても、そんな子供まで傭兵をやっているとはな。ガキの使いじゃあるまいし」
「失礼ですが、シラヌイは私の立派なパートナーです。実力に関しても申し分ありません」
「いや、すまん。疑っているわけじゃない。昨日の件でお前たちの実力は十二分に理解できたよ。その子も相当な腕前を持っているようだしな」
アンタレスと牧本の言葉に反応することなく、シラヌイは周囲への警戒を続けていた。だがストローを噛む口はわずかに誇らしげで、視線もわずかに泳いでいる。その仕草に場の空気が一瞬和む。
「それに今では成人以上の能力を持つ子供が急増しています。残念なことにね。それはあなたがた日本人も例外ではないはずだ」
目を向けた先にはセレブが連れてきていた少年がいた。体格は十歳ほどだが、その顔立ちは異様に整っていて、髪は水色のオッドアイ。スマートフォンのパズルゲームを驚異的なスピードで解く姿は、およそ常人とは言い難い。
「ドリームチルドレンか。まったく、生まれてくる自分の子供を自分勝手にいじくるなんてどうかしてるよ。あんなものを日本が認めるのも驚きだがな」
そう言って手元のコーヒーをすする牧本はどこか苛立たしげで、諦観に満ちていた。
ドリームチルドレン。生体工学の発達によって可能となった、生まれてくる子供の容姿を自由に変えることのできるシステムだ。胎児の段階でナノマシンによる遺伝子組み換えを行い、髪の色や目の色、体型すらも親好みに変更できる。
料金は豪邸一軒建てられるほどかかるため、利用するのは一部のセレブしかいない。外見を気にする一部の物好きが、子供すら自分のアクセサリー扱いするために利用する。
それだけでも物議を醸すような技術だが、問題はそれに留まらない。外見だけでなく、知能や身体能力までもを高めようとする親が現れた。まだ未発達の領域であり、人間の尊厳を損なうことからWHOでは固く禁じられた行為だ。
だが証拠がなければ罰することはできない。裏でそのような子供が生み出されていたとしても、先天的な能力だと言い張ればそれで終わる。
「それだけ需要があるということですよ。技術の発展は、それだけ人間の可能性を広げてしまった。そのために子供ですら利用するようになった」
「お前たちのようにか?」
「否定はしません。ですがシラヌイは、自分の意思で傭兵になった。その意思を私は守りたい。望まない容姿、能力を持った子供がいるならば、我々大人が支えなければならない。私はそう考えています」
「なるほどな。確かにそうだ。まったく、あの女がお前を信じていたのも分かる気がするよ」
「そう、ですね」
――エステ。シラヌイが心配そうにアンタレスの顔を見やる。そんな彼女を安心させるように微笑みかけると、ブレンドコーヒーに口をつけた。独特のコクが口の中に広がる。だが抽出が浅いせいで風味が死んでしまっていた。ため息を吐き、カップの中身を一気に飲み干す。
ドリームチルドレンの存在そのものに関して、思うところは何もない。助けを求めているならば手を差し伸べてやりたいし、敵として向かってくるのであれば殺すだけだ。
シラヌイも、元はただの人間だった。それが事件に巻き込まれ、超人として生まれ変わることになった。そう考えれば、ドリームチルドレンもある意味ではテクノカラミティが生み出した存在なのかもしれない。
高度な技術によって価値観、倫理観が破壊され、技術の誇示や利益によって生命を自在に操ろうとしている。ドリームチルドレンも、氷山の一角に過ぎない。その行為がやがて生命の存在を脅かし、数々の生体兵器を生み出してしまった。
人々の大切なものを脅かし、そして今回のように……。
「牧本さん。本題に入りましょう。あなたがた警察が拒んでいる安中の死の顛末。そしてエステをさらったという生体兵器のこと。現場に居合わせたあなたにしか説明できないことです。それを我々スターライト・バレットに提供してくださるというのですね?」
「そうだ。互いが互いを疑っているこの状況では、警察はまともに動くこともままならない。公安の方針としては、これ以上傷口を広げることなく、事件を解決する方向で一致している。だからお前たちを頼ることにしたんだ。胸糞悪いことだがな」
不機嫌さを隠そうともせず、牧本が吐き捨てる。彼の中でも苦渋に満ちた選択だったに違いない。自分たちの不始末を他国の、それも傭兵に拭ってもらう。その心中は察するに余りある。そして問題はそれだけに留まらない。
「今回の闇オークション摘発の情報流出。我々スターライト・バレットの潜入。それを安中が知っていたということは、事情を知る誰か、それも日本人が意図的に流した。だから警察や政府は身内で協力するどころか、監視し、牽制しあって捜査が思うように進んでいない」
「WHOはそう言ってるようだがな。はっきり言って信用できんのはこちらも同じさ。頑なに情報提供を拒んでいるのは、その情報でまた日本に不利益が生じるかもしれないからだ。だからこそ、一刻も早く事件に関わる全ての膿を出しておきたい。未確認の生体兵器とお前たちの仲間の始末をつけてもらいたい」
日本が今回の安中の件を処理しようにも、まだ国内にはケンタウロスと同じタイミングで密輸されたと思しき生体兵器が潜んでいる。そしてWHOと契約したエージェントであるエステがさらわれている。下手を打てば日本の世界に対する評価は失墜し、面子が丸つぶれとなる。
「俺たちは星、つまり安中のしでかした悪行を阻止したかっただけなんだ。それは警備局の連中も同じだった。今でも信じられんよ。安中と同じ考えの連中が、国内にいたっていうことなのか? テロを広めて、軍備を増強するっていう、あのイカれた行動を誰が望むって言うんだ?」
「牧本さん。それを望むのは、日本人とは限りませんよ」
「何?」
「警備局が数十体ものアヴィスーツを投入してまで、ケンタウロスを倒したかった理由。あなたがたとは別の理由もあったのでは? シラヌイ、分かるな?」
「へ?」
突然話を振られたシラヌイが呆然となる。だがすぐに意図を理解すると、大人二人に向かってはっきりと告げた。
「それはアメリカが、日本にメタルボディを配備したがっているからではないでしょうか? 今回の事件で、19式では強力な生体兵器に対処できないと証明されてしまいました。生前の安中は、アメリカの国防省幹部と頻繁にコンタクトしていたようですし、これを機に配備を強行するつもりだったかもしれません」
「メタルボディ? 何だそれは?」
「今、アメリカが極秘裏に開発している最新鋭アヴィスーツです。装着者の動きをトレースするのではなく、神経を直接接続することで、機動力と運動性能を高めています。ですが装着者にかかる負荷が尋常ではないため、試作はされているものの、実際に運用するためのデータは不足しています」
「お嬢ちゃん。つまり、アメリカは安中を取り込んでわざと事件を起こさせることで、日本にそのイカれたアヴィスーツをテストさせようとしてるってことか?」
「理由としては、それが考えられると思います。だから警備局の方々も、必死に戦っていたんだと思います。自分たちや自衛隊が実験台にされないように」
「……ふざけやがって」
牧本の顔に二重の驚きが浮かぶ。自分より年下の少女が事件の内情を推察してみせた、そしてアメリカという勢力が絡んでいる可能性。シラヌイが提示した新たな事実に、彼の体が小刻みに震える。
シラヌイが不安そうにアンタレスの顔を覗き込む。――自分の見立ては合っていたのかどうか? うなずきかけ、及第点を与えると、ほっ、と彼女が息を吐いた。
将来を見据え、シラヌイには戦闘だけでなく、情報から事件の流れを読む重要性を説いてきた。成長が目に見える形で現れたことを嬉しく思いつつ、自身もシラヌイの示した可能性について考える。
(いかにもアメリカらしいやり方だ。自国のために、他国を平然と利用する。シラヌイの推察は当たっているはずだ。だが今回はおそらく)
別の黒幕がいる。そう結論付けた。アメリカのやり方はよく知っている。以前、CIAに属していたころ、嫌というほど思い知らされた。秩序の名の下に、世界を星条旗まみれにしようとする非情の所業。
メタルボディの件もそうだ。シラヌイの言うように、同盟国に共同開発の名目で更新配備しようとしている。それは事実だ。スターライト・バレットの諜報部も確認を取っている。
一見、アメリカが事件の元凶であるように思える。しかしあまりにも見え透いていた。
今の日本は安全保障条約などでがんじがらめとなっていて、アメリカの首輪つきとして様々な戦場に引っ張られている。自衛隊の殉職者は数十倍に跳ね上がったし、PKO活動などで襲撃される割合も増加している。
軍備増強の必要性は明白だった。メタルボディそのものでなくとも、それに近いダウングレードモデルを納入すれば、波風立たせずに目的を遂行することができる。わざわざテクノカラミティを起こすこともなかったはずだ。
(だが黒幕には、どうしても日本で騒ぎを起こす必要があった。国ではなく、個人。そいつにとって重要なのは事件の結果ではなく、過程だったと考えれば)
答えは自ずと出る。この事件に確実に関わったのは、日本、安中、世界の裏に蔓延る権力者、WHO、スターライト・バレット。そして今は亡きケンタウロスの創造主、レジナルド。彼の意思が、今回の事件を引き起こした。
その目的を探るためには、前へと進むしかない。
「牧本さん。今回の事件を解決したいのは我々も、いや、私も同じです。私はエステの命を救いたい。だからあなたは、WHOではなく、スターライト・バレットに交渉を持ちかけた」
「……」
「ですから、どうかあなたの知っていることを教えてください。あの生体兵器、この事件を制圧するためにも、どうか、私に力を貸してください。お願いします」
深く、頭を下げた。シラヌイもそれに習う。この事件にかける想いを込める。永遠とも思える間、――ふん、と鼻を鳴らす声が聞こえた。
「勘違いするな。あくまで俺は情報提供の対価、公安主導による事件解決という結果が欲しいだけだ。WHOも、スターライト・バレットも信じたわけじゃない」
「そんな、アンタレスさんは……」
「だがな」
シラヌイの抗議の声、それを公安の、いや一人の警察官がさえぎった。日本の平和と安全を願う男の願い。
「俺はあの女に命を助けられた。その借りは返さなきゃならない。それにお前のまっすぐな態度。それだけは信じる気になった。あの女やそこのお嬢ちゃんを見ていてな。知っていることを全部話す。この事件、お前たちにまかせたぞ」
牧本が頭を下げた。視線が交錯し、互いにうなずきあう。交渉は成立した。
窓に叩きつける雨が勢いを増す。真実への扉が、音を立てて開いていく。カップのふちに着いた水滴が、表面を伝って落ちていく。
そして牧本は語り始めた。
「あれは、お前がエレベーターホールに向かった後のことだ」