パワーガール・アンド・ドラゴンウーマン
ヴェネーノを粉砕するはずだった拳。それが受け止められていた。
ひとりの少女、それも片手で。
体つきは日本の女子高生とそう変わらない。スラリとした四肢。黒い艶やかな長髪をポニーテールに結わえている。エステと同じスニーキングウェア。放熱性を重視して脇の下と腰にスリットが、下半身のホットパンツからは白い太ももが露出している。
和の美しさ、熟しきる前の果実。スニーキングウェアを押し上げる胸とヒップ。
ケンタウロスの動きが一瞬止まる。驚愕に染まった顔。――何トンもの威力を誇るフィスト。それを軽々と受け止める存在。信じられず。
少女は生体戦車の腕を振り払い、高々と飛び上がった。二十五メートル、ケンタウロスの目と鼻の先まで到達する。みなぎる闘志。鋭い瞳が敵を射抜き、脚を振り上げる。
「うぉりゃあああああああああ!」
サマーソルトキックが繰り出された。ケンタウロスの顎にクリーンヒット。少女の数百倍の重さであるバケモノがぶっ飛ぶ。体が浮き上がり、ビッグサイト会議棟の瓦礫に押し込まれた。立ち込める砂埃。空気がビリビリと震える。
突然の乱入者。エルタニンが送り込んだバックアップメンバー。――怪力を超越したパワーガール。一瞬にしてヴェネーノの窮地を救い、再起動を完了したそれに振り返る。
「アンタレスさん、今です!」
「助かったシラヌイ。あとは私がやる。お前は離れていろ!」
うなずきながら、シラヌイと呼ばれた少女が飛び退く。
Gヴェネーノのコンディションを確認。本体には異常なし。だがガルーダ側のエネルギー循環率が回復していない。各部のエネルギーラインがオレンジに彩られ、警告を発している。AGSによる飛行不可、駆動部の動作不良。――ならば取るべき道はひとつしかない。
「アームユニット強制排除!」
電気信号による指令。動かせない部位をパージする。椀部に装着されたパーティクルユニットが、蒸気を噴出しながら落下。すかさず肩部クローユニットを展開。腰から二匹の銃を引き抜く。
純白と白銀に彩られた蛇。メタルボアとアイアンヴァイパー。ヴェネーノ本来の腕でそれを構え、意識を集中させた。
第六感。自身に備わった能力により、電気信号を感知する。ケンタウロスの生体コンピューター。合計三つの脳髄ユニット。それが発する生命パルス。ノイズを見て、形状を聞く。人から逸脱した超感覚。瞬時に位置を認識。
銃口が吼えた。50ヴェノムリボルバーの轟音。鈍く軋む紅い装甲。64口径に相当する弾丸がケンタウロスに殺到する。瓦礫を粉々に打ち砕き、むき出しの筋肉を貪り尽くす。
一発目。腹部の火気管制システムを喰い破る。黄色い脳汁がブチ撒かれる。二発目。前足の側面から肛門付近へ貫通。筋組織を引きちぎりながら姿勢制御システムを破壊。三発目。額から侵入。生命機能を司る頭脳ユニットを粉砕。レッドアイ、血のカクテルが一面に降り注ぐ。
それでもなお、ケンタウロスは生きることをやめない。三つのユニットが互いの機能を補い合いながら、立ち上がろうとする。生まれたての子鹿のよう。元は三つだった命が支え合う。生命の神秘。言葉だけなら感動する局面。
四発目。胸部めがけて激装弾が飛ぶ。着弾。飛び散る。白い茎、赤い花びら、ピンク色の種がケンタウロスからあふれ出す。ミキサーのように交じり合った骨、筋肉、心臓。ベチャリと地面に落下する。沈黙。血まみれの肉塊がベチョリと横たわる。
生体戦車ケンタウロスは、その機能を完全に停止した。
(これで……終わりだ)
オレンジのカメラアイが、事切れた敵を見つめる。引きちぎられた肉体。吹き飛んだ上半身と後ろ足。変わり果てた姿。
生からの解放。手に持った銃で、歪められた命に虚無を与えた。それで彼らを苦痛から救うことができたのか? アンタレスには分からない。だがたとえ恨まれたとしても、生体兵器を、テクノカラミティを殲滅し続ける。
銃を腰に戻し、先ほどよりも強く想いを込めて祈った。どうか、素材となった命たちが安らかに眠れますように……。
まわりを見渡す。瓦礫の山と化したビッグサイト。その中にシラヌイの姿を見つけた。彼女もまた、ケンタウロスに向けて顔を伏せていた。哀しさと決意が混在しているかのうような表情。
やがて彼女は顔を上げ、こちらに向かってきた。一歩一歩、しっかりとした足取り。目の前で立ち止まると、安心したように笑みを浮かべた。
「アンタレスさん。ご無事で何よりです。何とか間に合ってよかったです」
「その通りだな。お前のおかげで助かったよ。本当にありがとう」
「えっ? そ、そんな。私は当然のことをしたまでですから」
心からの感謝に、シラヌイが頬を紅くしてはにかんだ。そんな彼女を見て、アンタレスもまた微笑む。
シラヌイはアンタレスにとって、かけがえのない絆で結ばれた存在だった。師弟でもあり、仲間でもあり、同じ境遇を持つ同志でもある。テクノカラミティに巻き込まれ、人間を超越した存在として生まれ変わった。
筋密度の異常発達による筋力の増強。電気信号の高速化による反応速度の向上。細胞の組織変換による回復力の増大。数ヶ月前まで日本の学生に過ぎなかった彼女が、今ではスターライト・バレットの戦闘エージェントとして活動している。
甘く、ほろ苦く、コクがある。ブレンドされた記憶の数々。自然と心が温まるのを感じつつ、ヴェネーノの合体を解除する。分離し、バードモードに変形していくガルーダ。完了と同時に、地面にうなだれるように着地した。
回復直後でうまく起動できないらしい。海洋迷彩のボディに手をかけ、ねぎらうように撫でた。うれしそうに体を軋ませる相棒。
ヘルメットを脱ぐ。頬を撫でる夜の風が心地よい。それに混じって鼻腔をくすぐる甘い香り。すぐ傍らにシラヌイが屈みこんだ。ガルーダに微笑かけ、言葉をかける。
「ガルーダ、お疲れ様。よく頑張ったね」
先ほどよりもガルーダが元気よく応えた。弾むほどの勢い。分かりやすい性格。屈託のない少女の優しさに、機械であるはずのMFDでさえときめいている。
ただ、アンタレスには気になることがあった。シラヌイの表情に時折よぎる陰り。原因には心当たりがある。
「シラヌイ、大丈夫か?」
「えっ?」
「日本での任務とはいえ、お前を担ぎ出してしまった。つらい思いをさせてすまない」
唐突な謝罪に、シラヌイが虚を突かれたような顔をする。すぐにアンタレスの真意を悟り、慌てて首を横に振った。
「そんな、私はもう気にしていませんよ。あんな出来事が二度と起きてほしくないと思って、自分で選んだことですから。今だって、被害を最小限に留められたんです。むしろ良かったと思っています。だから私は大丈夫です」
健気に応えるシラヌイ。無理をしている感じはしない。紛れもない本心からの言葉だった。
――運命。第三次世界同時多発ウイルステロ。日本での仮想現実オンラインによるテロ事件。フルナノマシンサイボーグとの対決。シラヌイは家族や友人、そして安らかな生活を失った。
――選択。アンタレスとの出会い。再会。生まれ変わった自分を受け入れる。力の使い方を学ぶ。紡がれる師弟の絆。戦いの経験。対テクノカラミティのエキスパートとして転生を果たした。
彼女にとっての日本は、アンタレスにとっての紫色の花=イギリスに等しい。故郷であると同時に爆心地、グラウンド・ゼロ。全てが破壊され、滅びた。
葛藤。だからこそアンタレスには分かる。心の傷は癒えはしない。ふとしたきっかけで昔のことがフラッシュバックする。今回の事件でシラヌイにも同様の思いをさせてしまったのなら、それは他ならぬ自分の責任だった。
「分かった。なら今後もサポートを頼む。ひとまずホテルに戻って状況を確認する。お前が先行してくれ」
「了解しました。おまかせください」
シラヌイが力強くうなずく。意識を切り替え、優秀な部下として役割を遂行しようとする。頼もしい限り。
彼女と共に、いつかは乗り越えなくてはならない。過去と決別はできないのなら、痛みを抱えて生きていく。決して楽ではない道。それでも今は進むしかない。
近くに停めていたバイクに向かうシラヌイ。その懐の携帯端末が振動した。ディスプレイに表示された名前を見て、戸惑ったような表情を浮かべる。それだけで察しがついた。無言でうなずくと、シラヌイが端末を差し出してくる。画面を見ないで通話ボタンを押した。
「こちらアンタレス。ケンタウロスは仕留めた。これよりホテルに戻り、エステと合流して残存戦力の有無を確認する。オーバー」
「おいおい。せめてねぎらいの言葉くらいかけさせてくれ。君が勝つのは分かりきっていたが、これでも心配していたんだよ?」
スターライト・バレットのボスであり、アンタレスの親友。エルタニンの呆れたような声が、スピーカーごしに響く。
「ならヴェネーノのほうに回線をつなげればいいだろ。わざわざシラヌイの端末にかける必要があったのか?」
「ヘルメットを脱いで余韻に浸った君に、面倒な真似はさせられないよ。折角のバックアップなんだ。戦い以外にも活用しないとね」
当然といったようにエルタニンが答える。まるでこちらを見ているかのような口ぶり。観測、ヴェネーノのヘルメットを通して戦いをモニターしていた。予測、アンタレスの行動パターンから行動を把握する。
「シラヌイがいなければ、俺は今頃死んでいたかもしれない。戻ったら、少しくらいねぎらってやってくれ」
「相変わらず優しいね。僕からしてみれば、彼女は当たり前のことをこなしただけのこと。それなりに頑張ったとは思うけど、わざわざ時間をかけてやる必要はないんじゃないかな?」
思わずため息が漏れる。エルタニンのアンタレス以外はどうでもいいという態度。彼女にとって、人間はチェスの駒のような存在でしかない。局面に応じて使い捨て、目的を達成する。シラヌイはその中で重宝されているのが、せめてもの救いか。
「ま、とにかくミッションは無事に成功したんだ。日本も君の有用性を認識できたはずさ。貸しもたんまり作れたし、戦果以上のものを得ることが出来た。はやく戻ってきてくれ。勝利を祝って、いつもの場所で一杯やろうじゃないか」
「悪いが今はそんな気分じゃない。こちらでしなければならないことが残っているからな」
「ホテルに戻ってどうする? あそこには、もう死体しか残ってないと思うけど?」
「元凶である安中がいる。警察はこちらの不手際で壊滅的な打撃を被った。せめて逮捕の手伝いがしたい」
「まさか。管轄が違うし、君に落ち度はない。WHOのライセンスでゴリ押ししたとしても、無能どもが黙っているはずがない。君は心配なだけなんだろ? あの女狐のことが?」
「……それもある。協力は無理でも、エステを迎えに行くくらいなら問題ないはずだ」
一瞬、言葉に詰まる。電話越しでも感じる、エルタニンの冷たい視線。こちらに絡みつき、締め上げられるような感覚。親友の意識が自分以外の人間に向いている。それが許せないという無言の圧力。だがエルタニンがどう思おうと、エステが大切な仲間であることに変わりはない。
プレッシャーと信念の交錯。感情がぶつかり合い、ふっ、と収まった。スピーカーの奥から笑みがこぼれる。
「確かに君の言う通りだ。でも、もうあそこには何もないよ。行くだけ時間の無駄さ」
「どういう意味だ?」
エルタニンの言葉に、心臓が激しく鳴動する。脳内にあふれ出す、真っ白な不安。そして鼓膜が振動した。
「安中は死んだよ。そしてエステも消息を絶った。一緒にいた公安の話では、人間サイズの生体兵器にさらわれたらしい。何とも無様な話だよ」
手に持った携帯端末が、砕けたアスファルトに滑り落ちた。