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パンドラ

作者: 3号

以前書いた作品を引っ張り出して来ました。


そのうち、世界観同じで別の短編かけたらいいなー

「パンドラの箱には沢山の災厄と一握りの希望が詰まっているという♪」

 シルクハットを揺らし、燕尾服の裾を揺らして男は唄う。

「パンドラの箱には沢山の災厄と一握りの希望が詰まっているという♪」

 黒皮靴を高らかに鳴らし、ステッキをくるくる回しながら男は唄う。

「沢山の災厄と、一握りの希望♪」

 床を踏む足は、次の瞬間天井でタップを踏み、上も下も天地の区別もなしに男は踊り狂う。

「クフフフ、アハハハハ、災厄と希望♪」

 そこは暗闇。

 そこはステンドグラスで飾られた祭壇。

 そこはダンスホール。

「人の子は見つけるそのものを、人の子は求めるそのものを♪」

 広いか狭いか上下左右も判らぬそこで、紳士を象るその男は高らかに口上する。

「だけど、どれが災厄? どれが希望? ♪」

天地を無視して、消えては現れ、現れては消え、それでも声は紡がれる。

「誰もわからぬ、誰も知らぬ、これはこれはそんなもの♪」

 ニヤリと笑った三日月のような口で紡がれる。

「これはそんな、夢物語さ……ヒャハハ♪」




 手には一通の手紙。

 見覚えのない、でもどこか懐かしい香りが漂う薄い封筒。

 幼いころから目に焼き付いた、宛名の筆跡。

「おばあちゃん……」

 墨で書いたのだろう、少し掠れた達筆な文体の文字が視界の中で歪んでいく。

 いや、視界の中だけではない。震える手に握られた封筒に冷たい滴が一滴、二滴としたたり墨の線を歪めてゆく。

「おばあちゃん……」

 小さいころから親しんできた。思い出そうとも笑顔しか頭をよぎらない、皺に包まれた温和な顔、暖かな声。

「おばあちゃん……」

 涙で歪み、手に持たれ皺の寄った便箋の文字はこう読めた。

 遺書……と。




「おかぁさん、なーにいきなり電話なんかかけてきて」

 東京に上京してきてはや数年。学生時代に安いからと適当に借りたアパートは、卒業したら引き払うはずが就職後も面倒くさいとそのまま住み続け、いつの間にか実家と遜色ないほどの居心地の良さを私に提供している。

『あのね、いま大事な話があるんだけど……時間大丈夫?』

「大事な話って何よ~」

 就職も在学時代は上手くやれるのか、続けていけるのか心配したものだが、そんな思いが杞憂に終わるほどやり甲斐のある有意義な職場に巡り合えている。

「今、ちょっと次の企画立案所作ってるから早めにね~」

 仕事の同僚との仲もいいし、学生時代の友人ともよく遊んでいる。彼氏とかは居ないし作るつもりも多分今のところは無いけれど、公私ともに落ち着いたいい生活を送れていると思っている。

 携帯電話を頭と肩で挟み込み、自由な両手で床に直接置いたノートパソコンのキーボードを猛然と打ちながら私は母の話を右から左へと受け流すように聞いていた。

 いきなりとは言ったが、実際母が電話をかけてくることはこれが久しぶりとゆうわけではない。

 娘が上京して寂しいのか、はたまた単純に心配性なのか月に一度は『どうしてる?』だの『帰っておいでよ』だのという連絡を寄越してきていた。

「どうせまた帰ってこいとかなんでしょう~。今忙しいから暇になったらねって言ってるじゃない」

『うん、そうじゃなくて……ううん、そうなるけど……』

「なんだ歯切れ悪いな~」

 毎月かけてくるのはやはり気が引ける部分もあるのか、申し訳ない様子を滲ませつつもはっきり「たまにはかえっておいで」と言葉を濁さずはっきり言う母にあるまじき歯切れの悪い口調に、私は液晶から顔を上げて携帯を手に持ち直した。

「なに、なんかあったの?」

 少し詰問調になった私に母は数瞬の間をおいて、やがてポツリと告げた。

『今朝方、おばあちゃんね、息を、引き取ったの』




 ふと顔を上げると外はもううっすらと白くなり始めていた。

 手元を見るともう二時間も前に通話は切れている。

「うそ、だよね……おばぁちゃんが……」

 改めて口に出してみるも現実味がまるでわいてこない。

 これは本当に自分の声で自分で発しているのかと疑いたくなるほどに。

「おばぁちゃん……」

 携帯を長時間押しつけて軽く汗疹のように片側が紅く変色した顔を、右から左へめぐらせてみる。

 八年前から今までの歳月をかけて自分でデザインし、自分好みにコーディネイトした雑貨だらけの部屋。

 すっかり自分の空間になり、実家よりもある意味しっくりくるような気さへしてくるこの空間は、私にこう語りかけてくるようだった。


 いったい、いつからここに居続けているのだと。


「私、いつからおばぁちゃんに会ってなかったのかな」

 上京したての頃は友達付き合いが楽しくて、そのうちバイトにやり甲斐を感じ始め、就職してからは今までの友達付き合いに職務も上乗せされて、そこにのめり込んでいった。

 一切、後ろを振り返らず。

 残してきた物を見ようともせず。

 気が付いたら、全く実家の家族を考えてなかった自分がいたことに、今初めて気づかされた。

 当たり前にあると思っていたものが当たり前じゃなくて、いつ無くしてもおかしくなかったのだと気づかされた。

「無くしてからなんてね……」

 自嘲気味につぶやいたセリフは目の前の液晶に映った七時半の文字に虚しく溶けていった。

 どんなに悲しんでも時間は平等に過ぎていき、自分の役割も消えて無くなりはしない。

 私は点けっぱなしにしていたPCの電源を落とすとカバンにしまい、身支度を手早く整えて潜り慣れた玄関口へ歩を進める。

 入社してから夢中になって取り組み、毎日ワクワクしながら出社していた筈なのに、今日の視界は一気に色彩を失ったように私には感じられた。




 結論から言うと、今日は散々な一日だった。

 今までやらかしたこともないようなミスを連発し、怒られるどころか逆に心配され、それでさらに迷惑をかけていると自己嫌悪に陥りまたミスをする無限ループ。

 自分のメンタルの弱さを痛感したことは、今日ほどにはない。

 結局、ミスが二けたに達した段階で主任から早退を打診され今夕暮れの街を一人トボトボと歩いている始末だ。

「情けないなぁ……」

 俯いていると色々と涙が零れそうなのでグイッと無理やり顔を上げると、目の前に一軒の古ぼけた店が鎮座していた。

 古い西洋建築をモデルとしているのか、レンガ造りの壁に「パンドラ」という店名と「OPEN」の垂れ札を下げたシックなデザインのお店。

「こんなの今まであったっけ」

 この道は入社数年にわたって使い続けているけれども、こんなお店を見た記憶は全くない。

「新しくできたのかな?」

 もともと雑貨好きのためか、落ち着いた個性的なデザインのお店には少なからぬ興味がある。

 無意識の内に気分を少しでも盛り上げたいときは、自分の興味のあるもの、または趣味に手を出してみるのは人間らしさともいえる。

 私はそんなことを考えながら自然とノブへ伸びていく手を特に静止しないまま、扉を開き中へと踏み入った。


 キィ、カランカラン。

古風なカウベルの音を響かせて踏み入る店内。その奥には奇妙ない出立ちの男が立っていた。

そこは暗闇。

そこはステンドグラスで飾られた祭壇。

そこはダンスホール。

色々な形容が似合うそこに、にやけ顔で立っていた。

「ようこそおいでくださいました、お客様♪」

 シルクハットに燕尾服、蝶ネクタイ。その全てが虹色のチェック模様という目がちかちかする錯覚を催す、奇妙というか奇抜な外見のその男は、手に持つウサギの頭がのっかったステッキをくるくる回しながら私の方によって来た。

「ようこそ♪」

「え、えぇ」

 にぃ、とまるで童話に出てくるチェシャネコのような笑み。

「ようこそ、パンドラへ♪ 何かお探し物でも?」

「いやあの私……」

 冷やかしで入っただけの店のはずが、速攻で店員につかまってしまった。

 もともと社交的でショップの店員は苦手ではないが、目の前の店員はなにか……そう、なにかが違う気がする。

「どうされました♪」

 三日月のように歪めた口を顔面に張り付けたまま、チェックの店員は私に詰め寄ってくる。

 私は何か逃げ道はないのかと無意識的に辺りを見回すが、店の中は数点の物が陳列されているだけでほぼ、何もない。

 ん、何もない?

「あ、あの」

「はい♪」

「ここって、何屋さんなんですか?」

 店にあるものと言えば新品のシューズ、古ぼけたネックレス、欠けた装飾小皿、だけ。

 店と呼ぶにはあまりに統一感が無く、何より決定的に商品が少ない。

 私が店内を疑問のこもった眼で見まわしているのに気付いたのか、チェックの店員は三日月の笑みに苦笑を滲ませて私に答えた。

「何屋さんですか、そうですね……強いて言うなら『望み屋』といったところですかね♪」

「望み屋? 占い師さんみたいなものですか?」

 そういう雰囲気の店内には見えないが、なるほど占いのような形のない物を売る店ならば商品が少ないのも無理やりにだが納得できる。

 しかし店員は首を横に振り、カウンターの裏へと回り込んだ。

「占いは不確定な未来を表すもの、ここにはそんな器用なものはございませんよ♪ あるのは望みを助けるほんの少しの力だけです。対価付きのね♪ だから強い望みに関連する人しか来られない、貴方もその一人ですよ、雪子さん♪」

「どうして私の名前……」

 しかも名字でなく名前の方を。

 疑惑が五割増しになった私の目の前に、チェックの店員はカウンターの下から一通の封筒を取り出して見せた。

「届け先の名前くらい伺うものですよ♪ どうぞ、これは貴女のためのものです」

 促されるままに手に取って見つめてみる。

 封筒には宛名も宛先も記載されてはいないが、しかし封はされているらしく中身の入っている厚みも感じられる。

「あの、これは」

「大丈夫、間違いなくあなたの物ですよ。心配なさらずお持ちになってください♪ 大丈夫、対価はもう頂いておりますから♪」

 張り付けたような笑みと共に差し出される手に促されるままに、封筒を自分のカバンへ持っていく私。

 

 カバンの一番取り出しやすいポケットに封筒をしまってファスナーを閉め顔を上げたとき、不思議な店内にいたはずの私はいつの間にか通りの中央にポツンと立ち尽くしていた。




「一体なんだったんだろう、さっきのは」

 都内で見つけたお気に入りの雑貨屋で購入した水色のソファーに身を投げ出しながら、私はさっき不可解な店で渡された封筒をぼんやり眺めていた。

「これは私のですって言われてもねぇ」

 そもそも宛名、書いてないじゃん。

「開けるのもなんか怖いしな~変な手紙とかだったら嫌だし」

 もし変なストーカーとかからだったりしたら嫌すぎる。ただでさえ落ち込んでいるのにこれ以上変な追い打ちをかけられたら目も当てられない。

 いや、というかあの店員が……。

「あぁもうやめやめ、考えるのやめよ」

 私は宛名のない変な封筒をクッションの隣に放り出し、そのままボスンとソファーに横になった。

「おばぁちゃん」

 そうやって一人になってみると、一日活動していて抑えられていた悲しみが蘇ってくる。

 色々あって抑えられていた感情が溢れ出してくる。

 思えば小さい時からおばあちゃんにべったりな子供だった。

 どこにいくにもおばぁちゃんに付いてきてくれるようにせがみ、またおばあちゃんがどこに行こうとしても必ずついてきたいと願った。

 おばぁちゃんに家にはよく泊まりに行ったし、おばぁちゃんの作ってくれる料理も大好きだった。

お世辞にもいい子だとは言えないが、それでもおばぁちゃんの言うことだけは割と素直に聞いていたように思う。

 小さい時から両親共働きで寂しかったせいもあるとは思うが、私にとっておばぁちゃんは祖母という枠組みをも超えた「育ての親」に近しい存在だった。

「おばぁちゃん……」

 思い出せば、思い出すほど優しい日溜りのような笑顔が思い起こされる。

 もう、あの笑顔を見ることが出来ないなんて。

 今日一日の辛さもあったのか、暗くなる意識の中、不意にこぼれた涙が傍らに投げ出していた封筒に一滴落ちた。




「はっ! 寝てた!?」

 いつの間に寝てしまったのだろうか、横になっていた体を無理やり起こし私は勢いよく目を上げた。

 途端、飛び込んでくるまぶしい光。

 しまった、もう外も明るくなっている。いつまで私は寝ていて今が一体何時なのか、遅刻の恐怖と闘いながらいつも時計を置いている場所へ目をやろうとしたとき、不意に私はどうしようもない違和感に包まれた。

 まず、寝ている場所がソファーじゃない。固いなかにもどこか柔らかさと温かさを兼ね備えた寝心地は間違いようもない畳だ。

 そして時計のあったはずの場所には時計は無く、どころか壁もなくて大きく置け放たれた襖の向こうに広々とした仏間が広がっていた。

「えっと、ここは」

「なんね、もう起きたとね」

 不意にかけられた声、驚いてその方向に顔を向けると私の寝ている足の先、庭に面した上がり場に腰を下ろしてお茶をすする小さな後姿があった。

「ゆーちゃんは寝坊助じゃけぇもうちっと寝とると思うとったわい」

「おばぁ……ちゃん?」

 信じられない気持ちが震わせた声。それにおばぁちゃんは「よっこいしょ」と懐かしい声で呟き、日溜りのような、くしゃくしゃの優しい笑顔を私に向けた。

「なんね、わっちの顔ば忘れとっとか」

「おばぁちゃん!」

 気が付いたら私は一目散に駆け出し、おばあちゃんに押し倒さんばかりの勢いで抱きついていた。

「おやおや、なりは大人ばってん中身はいっちょん変わらん甘えん坊やね~」

「おばぁちゃん、おばぁちゃん……」

 夢中で呼ぶ私の頭をよしよしと撫でる骨ばった手、その感触もまた懐かしくて、次から次に涙は零れ落ちてくる。

 そんなどうしようもない状態の私をおばぁちゃんはよしよしと、ゆっくりと撫で続けてくれていた。

 そのままどのくらいたったのか。

 小さい時以来に泣き疲れてしゃくりあげるだけになった私に、おばぁちゃんは傍らの急須から湯呑にお茶を満たし、私の手に握らせてきた。

 促されるままのむ薄緑色の液体。その懐かしい渋みにどこか心が落ち着いていくのを私は感じた。

「少しは落ち着いたかぃ?」

「うん、ごめんおばぁちゃん、ありがと」

 おばぁちゃんの膝から体を起こし、縁側に腰を下ろした私を見てにっこりと笑った後、自分の湯飲みにもお茶を満たしおばぁちゃんは「よっこいしょ」と最初見たときのように座りなおした。

「まったく、いつまでも子供なんやから」

「うん、子供のころからずっとこうだったね、おばぁちゃんには甘えてばっかり」

「まぁ、それがわっちには嬉しいばってんな」

 ニコニコと私をみて笑うおばぁちゃん。

 つられて笑顔になる私。

 そんな私を見て、おばぁちゃんは空の向こう、遠くを見るように上を見上げた。

「ずっと会っとらんかったけん心配しとったんやけども、随分立派になっとーとな。わっちは安心したわ、元気な顔が見られて」

「何言ってんのおばぁちゃん急に」

「孫が元気にやれとっとうとこ見られたし、これで安心してわっちは逝けるな」

 ずずずっとお茶をすする音。その音を聞きながら私は一つの現実を思い出していた。

 目の前にいるその人の事で落ち込んでいたこと。

 なぜ、落ち込んでいたかということ。

「やだ、おばぁちゃんいかないで」

「そりゃ無理な注文じゃ」

「なんで! 目の前にいるじゃない! 触れるじゃない!」

「こりゃな、奇怪な店で少しお情けをもろうただけじゃよ。ちと対価は高かったばってんな。じゃが払ろうて良かったわ」

 私ははっとなって今日あったことを思い返した。

 不思議な店で貰った、不思議な封筒を。

 店員はこう言っていた筈だ。

 対価はもう、貰っていると。

「うそ、じゃああの封筒はおばぁちゃんが……」

「思うとったよりちゃんと仕事ばしてくれたな、あの兄ちゃんは。チャラチャラした見た目は当てにならんもんじゃ」

 かっかっか、と快活に笑うおばぁちゃんが、実はもう触れないはずの人だと気持ちとは別の所で理解させられて、私はただただぎゅっとおばあちゃんに抱きついた。

「ごめんね、自分の事ばっかり夢中で、なにも振り返らなくて、好きなはずなのにないがしろにして、会いに行けなくて、ほんとに、ほんとに……」

「もうええ、もうええ」

 泣きじゃくる私を撫でてくれる温かい手が無性にいとおしくて、私はまた泣きじゃくる。

「まったく、なんぼ泣いたら気が済むとかこん娘は」

「だって……」

「ええか、若者は自分の夢に向かって進めばよかと。年寄ん事なんて振り返らんでよかとたい。逆にゆーちゃんの枷にならんですんでわっちは良かったと思うとるよ。だから気にせんでええのよ。そのために、わっちから会いにきたんやから」

「だって、だって」

「わっちのことは思い出にして進みんさい、雪子。その成長がわっちには何よりも楽しみなんじゃ。年寄の少ない楽しみ奪ったらあかんばい。悲しいのは分かるばってん、なーに先に行くだけの事じゃ。数十年後、追いついてきたときにいっぱい土産話聞かせてもらうけん、それまで向こうで待っとるけん、しっかり覚悟して進みんさいよ、雪子」

 なつかしい日本家屋の縁側で、日溜りの中抱きつく私の頭を優しく撫でながら、おばぁちゃんは最後に「元気でな」とだけ呟いた。




 目が覚めるとそこは見慣れた私の部屋で、手には例の封筒が握られていた。

 手の熱で少し皺が寄った封筒は、涙が染みた後に筆で描いたような達筆な文字で「遺書」と記されていた。

「おばぁちゃん……」

 私はたまらなくなり実家のお母さんの所に電話して、おばぁちゃんが死んだときのことを根掘り葉掘り聞きだした。

 おかあさんの話によるとおばぁちゃんは医者から宣告された余命の一か月も前に息を引き取ったという。

 確証はないが、私の中にはある種の確信があった。

 きっと、それが対価というものなのだろう。

 あのたった数分間のために、数分間、私に会うためのためだけにおばぁちゃんは自分の余命を差し出したのだ。

「なんで、言ってくれればいくらでも会いに行ったのに、枷になりたくないなんてさ……最後まで、心配して、気を使って、支えてくれちゃってさ。なんにも返せてないよ、私……私はもっと、気を遣わなくてもいいから、長生きしてほしかったのに……」

 おばぁちゃんは自分がもう長くないことを私に伝えないでくれと周りに頼んでいたらしい。

 息を引き取るときも「雪子に一つだけ残せた」と笑って逝ったらしい。

 おかあさんは何の事だかわからないみたいに言っていたが、私はそれを聞いて、手の封筒を胸に書き抱いて、また泣いたのだ。




「クフフフフ♪」

 薄暗い店内、シルクハットの男が高らかに笑う。

 カウンターに腰掛け、手に持つ懐中時計を揺らしながら高らかに笑う。

 揺れる懐中時計の文字盤には一から三十までの文字と一本の針しか付いていなかった。

「差し出された時間、一月の猶予♪」

 そこは暗闇。

 そこはステンドグラスで飾られた祭壇。

 そこはダンスホール。

 数多の概念が渦巻くそこで、男は天地の区別なく店内を歩きだす。

「それで得たのは一瞬の夢物語♪」

 くるりと回り、ステッキを振りおろし、また、笑う。

「送り元の少女は、さて何を思いますかな♪」

 足元を蹴り、壁から天井に降り立ち、また回る。

「これは希望? これは災厄? クッフフフ」

 ウサギの頭が丸い白い軌跡を描き、その輪に入るように回り続ける。

 皮の靴がリズムを刻み、チェックの燕尾服が翻り、踊るように舞い踊る。

 と、途端にぴたりと動きを止め、男はカウンター奥の揺り椅子にふわりと腰かけた。

「もしくはそのどちらでもないか、はたまたどちらも内包するものか……難しい物ですね人の心という物は♪」




「さて、次はどこへ届けましょう、希望に災厄♪ クッフフフフ」





 蝉の鳴く季節。

 一つのお墓の前で私は手を合わせる。

 最後まで私を気遣い、最後の最後まで私を泣かせ、道を示してくれた人に手を合わせる。

 傍らには三歳になる息子が、訳も分からずに見よう見まねで手を合わせている。

 私はその頭をそっと撫でて、目の前のお墓に視線を向ける。

 と、後ろから自分を呼ぶ声がして、息子がその声に向かって駆け出していくのが見えた。

 あれから数年、私には大切なものがたくさん増えた。

 あなたが残した言葉に向かって進むうちにこうなった。

 そしてたぶん、これからも向うのだろう。

 あなたが残した言葉を、望みを、自分の目標に変えて私は進むのだろう。

 そしていつか私もあなたと同じ年齢になったら、またその目標を次に受け継ぐのだ。

 そうしてこそ、私はあなたに胸が張れる。

「おーい雪子、もうそろそろ行くぞ~」

「ママー早く~」

「はぁい、ちょっと待ってね~」

 だから今も私は進むのだ。

「おばぁちゃん、私、今、精一杯進めてるかな?」

 お土産話、いっぱい持っていくから覚悟しててね。

 おばあちゃん。


ここまで読んでくださりありがとうございます!


よ、良ければ別に連載している「ウサギ雑貨の自由業」も覗いて見てください。そしたら

泣いて喜びます。大人の号泣、見せたります!

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