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Alexandrite  作者: 宮原 ソラ
本編
8/39

8 憂慮(視点・カイル)

※カイル視点です。


「カイル」

 急ぎ足で城内の廊下を歩いていた時、聞き覚えのある声に呼び止められた。

 私はユージン様からお預かりした書物を図書館に返しに行く途中だった。そして、また別の本を借りてすぐに戻るつもりだった。正直、のんびりと立ち話などしている暇はないのだ。面倒な御仁に捕まったと、内心溜息を吐く。

 目の前に立っていたのは、三公爵家の末席、アルムグレーン公爵だった。

「何でございましょう?」

 私は、大概の人間には人当たりよく接するように心掛けてはいるが、このアルムグレーン公爵だけは例外だった。むしろ虫唾が走ると言ってもいい。

 無能で、愚鈍な男。それが、私のアルムグレーン公爵に対する揺るがない人物像である。その証拠に、彼が賜っている官職は歴史遺物管理官だ。一昔前に王宮で使用されていた家具や道具類などを保管している部屋の管理が主な仕事で、正直、普段何をしているのか皆目見当がつかない。

 歴史遺物、という職名が悪くないせいか、公爵自身はこれを名誉職だと考えているふしがある。実情は、他のどの仕事も任せられない、けれど無下にも扱えない、高位貴族のていの良い左遷先だろう。

 ……そう言ってやることが出来たら、どれほど胸がすくことか!


「ユージン殿のお側に仕えるお前に、重要なお役目を私から与えようと思ってな。次の奥方の件だが、私の姪に間もなく十八になる娘がいる。これがなかなか器量が良くてな……」


 私はぽかんと口を開けた。

 あまりに驚いて、咄嗟に言葉が出てこない。

 

 本気で言っているのか、この男は。

 どの面を下げて、お前が言うのだ。


 あれほど酷い事をしておいて……!


 七年前、ユージン様は、この愚かな男のご息女ガブリエラ様を娶られた。

 末席とはいえ三公爵家に名を連ねるアルムグレーン公の顔を立てたのだ。本来は、アルムグレーン公の妹君がユージン様の父君に嫁ぐ約束になっていたのだが、父君が強引に時の王女殿下を妻に迎えてしまったため、では代わりにと白羽の矢が立てられたのが、ユージン様とガブリエラ様の婚姻だった。

 ガブリエラ様はたいそう美しい方だった。だが、取り柄はその美しい顔だけだった。

 口を開けば他人の噂話と悪口ばかりというガブリエラ様に、ユージン様が呆れられたのも無理はない。どうやらまともに会話も成り立たなかったらしく、結婚後間もなく、寝室どころかお屋敷の棟まで別々に住まわれるようになってしまった。金銭感覚もかなりおかしい女性だったようで、今の閣下の執務室と同じ広さの衣裳部屋に、納まりきらないくらいの洋服が詰め込まれていたと聞いた時には、あの方ひとりでメルトレファスの財を食い潰しかねないのではと危惧したものである。

 そんなガブリエラ様との結婚生活は、三年ともたなかった。

 結末はあっけなかった。ガブリエラ様が納屋で首を括られたのだ。

 腹の中には、四か月になる胎児がいたそうだ。むろんユージン様のお子ではない。ユージン様のお子であれば待望の跡継ぎなのであるから、自害などするはずもない。

 夫にまったく顧みられない寂しさから、妃にあるまじき行いをしていたのだろう。身籠ったことによりその罪が明るみに出そうになり……発作的に死を選んでしまったのだ。

 ガブリエラ様は、メルトレファスとアルムグレーン、両家の意向により、病死として葬られた。

 その喪も明けぬうちから、次の妃を、と、また大貴族らがこぞって不穏な動きを見せたが、ユージン様は今度はがんとして受け入れなかった。

 義務は、もう、果たしたと言わんばかりに。


 ぽつりと漏らした一言を、私は今も忘れることが出来ない。


「絶えてしまえばいい。……メルトレファスの血など」






「一度は貴方の顔を立て、一族の意見を尊重し、ユージン様はガブリエラ様を迎え入れた。しかし、その結果があれです。ガブリエラ様はもっとも恥ずべき手段でユージン様を裏切られた。ユージン様が傷ついていないとでもお思いですか。あの方はずっと自分を責めておられましたよ。もっと話を聞いてやればよかった、もっと歩み寄る努力をすべきだった、とね。何一つ、ご自分に非などないのに。あの愚かしい女を押し付けた貴方こそが、一番に責められるべき加害者であると私は思いますがね!」

 びゅん、と、風の切る音が聞こえ、次に右腕に鋭い痛みが走った。

 アルムグレーン公爵が手に持っていた杖で殴りつけてきたのだ。理性の焼き切れた血走った眼を見て、私は、そうだ、そのまま自分を殺してしまえ、とすら考えた。

 いかに大貴族のアルムグレーン公爵とはいえ、宮中で人殺しに及べばただでは済まされない。この浅ましい男をユージン様から引き離すことが出来れば、それだけで……。


「宮廷法第二十二条一項!」


 凛とした女性の声が響き、他に誰もいないと思っていたアルムグレーン公は、一気に冷水を浴びせかけられたように、ぴたりとその動きを止めた。

 ものすごい勢いで大股で近付いてくる女性を、私はよく知っていた。ユージン様が昔から気にかけている……マリー・ピアソン嬢だ。


「いついかなる時と場合においても、宮中において、暴力、傷害、殺人、これに類する行為を全て固く禁じるものとする!」


 あの細い体のどこに、という力で、振り上げていたアルムグレーン公の杖をマリー嬢は取り上げた。

 私と公爵の間に体をねじ入れるようにして割り込むと、恐れる様子もなく、公爵に向かって真っ直ぐ人差し指を突きつける。……これは、アルムグレーン公に反感を募らせている私でも出来ないかもしれない。


「これ以上の乱暴狼藉を働くのであれば、私は宮廷書記官として、左大臣様に事の一部始終をご報告しなければなりません。報告書が作成提出されれば、左大臣閣下は法に基づき関わった全ての者を処罰するでしょう。よろしいか!?」


 まったく反論の余地もない正論であり、非常識の塊のようなアルムグレーン公爵でさえも、ぐうの音も出なかったらしい。

 もごもごと口の中で悪口雑言を並べ立てていたが、何一つ形になることはなく、杖を奪い返すと逃げるように立ち去った。

 ピアソン嬢といえば、両手を腰に宛がい、凛々しく仁王立ちしてそれを見送っていたが、公爵の姿が見えなくなった途端、ふにゃりとその場に崩れ落ちた。

 私は慌てた。本を放り出して、マリー嬢を支える。

 蒼白になったその顔から先程の勇ましい面差しは既に消え、年相応の女性らしい震え声に、私は思わず笑ってしまった。


「こ、腰が抜けた……」


 マリー嬢の万分の一でも、勇気と分別が、あのガブリエラ様にあったなら……。











「ありがとうございます。マリー殿が止めてくれなかったら、危うく刃傷沙汰になっていたところでした」

 むしろ望むところだったのだが、それは億尾にも出さず、私はマリー嬢に礼を言った。

 マリー嬢は、あるいは私の挑発行為に気付いていたのだろうか、何とも複雑な表情で見上げてくる。

 居心地が悪かった。頭ごなしに叱りつけられるよりも、はるかに。

「閣下は、カイルさんの事をとても大切に想っております」

 唐突に突きつけられた台詞に、私は思わず面喰らってしまう。

「は……」

「何があったかは存じませんし、伺いません。ただ、カイルさんに万一の事があれば、閣下が悲しまれるということだけは忘れないで下さい」

「……申し訳ありません」

 散らばった本を、マリー嬢が拾い集めてくれた。

 一冊の背表紙の幅が十五レーデ(一レーデ=約一センチ)以上もある重い本を、視界が埋まるほど積み上げ、歩き始める。

 ……彼女には驚かされてばかりだ。女だてらに官僚などしているせいだろうか。何というか……逞しい。

「私が持ちます。女性には無理ですよ」

「無理ではないですよ、これくらい。カイルさん、腕を怪我されているでしょう。はやく診てもらった方が良いですよ」

「いえ、この程度は怪我のうちに入りません」

 マリー殿の腕の中から、本を三分の二ほど取り上げた。全部を取り戻さなかったのは……ふと、これを口実に、マリー殿をユージン様のもとにお連れしようと思ったからだった。

 マリー殿と話している時、ユージン様はいつもとても楽しそうだ。窮屈な公爵の仮面を脱ぎ捨てて、たぶん、ユージンという個の人間そのままでいられるからだろう。

 

「間もなく三時ですね。……ご一緒にお茶会でもいかがですか」

「あんまり油売っていると、上司に怒られてしまいます」

「モーリス殿ですね」

「すぐ怒るんですよ。すごく出来る方だから、何だかんだで皆モーリス次官が好きなのですけどね」

「そうですか。では、私がマリー殿を引きとめたことにしましょう。秘書官殿が腕を怪我して、可哀そうで見ていられなかったとでも」

「ぷ。あんなに強く叩かれて、ケロリとしているのに」

「いえ、今更ですが痛くなってきました」

「え! 大丈夫ですか!? やっぱり無理するから」

「ああ、いえ。嘘です。方便というか」

「驚かさないで下さい……」


 マリー殿と話していると、殺伐とした気分が和らいでくる。吹き溜まりに大きな風穴が開いたように。

 ユージン様が彼女に惹かれてやまない理由が、少し、わかった気がした。

 



意外に頑丈な秘書官さん。


次話からまたマリー視点です。

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