石の花(※謎の美女視点)
「美人だけど隙が無くて近寄りがたい。とてつもなく硬い貴石で作られた造花のような女よ、あのサヴァナってのは」
誉められているのか貶されているのか判然としないそんな言葉を聞いたのは、私が十二年も仕える侯爵家、ディオフランシスの邸宅の庭先でのことだった。
張り替えたばかりでまだ立ち入りを禁止されている芝の上に、彼らはいた。侍女仲間のレスティと若い使用人の男。
男の方は顔はうっすらと見覚えがあるのに、名前が咄嗟に出て来ない。出入り間もない新人だろう。私は三か月以上勤務している同僚の顔と名前は完璧に丸暗記しているので、必然的に、私が知らない人間はつまり新顔ということになる。
「いかにももてそうな顔しているけどね。実際はとんと男に縁が無い人生送っていると思うわよぉ、あれじゃ。可愛げってものが全く無いんだもの」
豊満な体を若い男に擦りつけ、レスティが言った。
そこそこ距離も開いているのに、私がいる場所まで声が筒抜けだ。なんという発声力。侍女なんかやめて歌手にでもなった方が大成できるのではなかろうか。職業選択を誤ったとしか思えない。
「私にしておきなさいよ。こう見えても家庭的なのよ?」
ああ、なるほど。
話が見えてきた。
どうやらレスティが侍女を辞めたがっているという噂は真実らしい。そのために養ってくれる男を探していると。
仕える女主人の花嫁姿を拝まないうちに辞めてしまうなど私には信じられない話だが、まぁ、考え方、生き方、人それぞれだ。本人が幸せならばそれでいい。
……いちいち私を引き合いに出す彼女の悪癖には、若干閉口気味であるが。
「すみません。俺、やっぱり、サヴァナさんが……」
と、新人は、レスティの腕を振り解いて逃げた。
だから私を引き合いに出すなと、声を大にして叫びたい。
「何よ! どいつもこいつも! あんな見てくれだけの日照り続きの乾いた女、どこがいいのよ!」
レスティが叫び、侍女にあるまじき踵の高い靴で芝生を踏みしだいた。
これだけでも私にとっては万死に値する大罪だ。この芝生は、昨日、一日がかりで庭木職人のトーマスとハリーが手入れしてくれたものなのだ。私もたまたま時間が空いていたので手伝った。
芝が完全に整ったら、まずは我が家の自慢の令嬢たち、ヘザー様とクラリッサ様をご案内するつもりだったのに……。
(お仕置きが必要ね)
私はいったん場を離れた。その足で、鶏小屋へと急いだ。ここには食肉用の雄鶏が何羽か常時いるが、その中に、あまりの凶暴さゆえに羽も毟れない伝説の一羽がいる。それに餌用のズタ袋を被せて捕まえると、元の場所に戻った。
レスティは今度は芝の上にしゃがみ込み、まだ伸びかけの若い草を手で引っこ抜いていた。……何てことするのだろう、この女。
鶏をけしかける程度で許してやろうなんて、自分の慈悲深さに涙が出るわ。
袋の口を開け、それをぽんとレスティに向かって投げつけた。
散々手荒に扱われ、怒り心頭に達していたらしい雄鶏は、レスティを視界に入れるなり攻撃目標と定めたらしい。嘴と鋭い鉤爪で力の限り襲ってくれた。
(芝生は守られたけど、なんか虚しいわ……)
日照り続きの乾いた女。
しかし、同僚というのはよく見ているものだ。私は私生活をぺらぺらと周りの者に語ったことはないのだが、どうやらしっかり生態を見抜かれていたらしい。
恋人、と呼べる存在がいなくなってから、はや五年。二十五の若さで突然逝ったあの人に義理堅く操を立ててきたわけではないけれど、その気にさせてくれる男とついぞ巡り合わなかったのもまた事実。
そして、二十八という年にもなってしまうと、もう恋だの愛だのよりも、しっかりと地盤の固まった自らの生活を守ることを優先してしまう。
今更冒険になど興味はない。
……だから日照りと言われるのだろう。
まぁいい。私の潤いは、ヘザー様とクラリッサ様の幸せ、ひいてはディオフランシス家の繁栄と共に在る。レスティのように男の擁護する海に溺れたいとは間違っても思わない。
まさか、この三日後、初めて会った男と夜通し絡み合う事態に陥るとは……神とても予測できない、まさに青天の霹靂だった。
あの記憶は抹消しよう。そうしよう。
日照り続きの乾いた女、などと言われ、心のどこかでつまらない意地を張ってしまっていただけなのだ。きっと。
私だって誘えば男の一人や二人ついてくる。期せずして、それを実証することになってしまった。巻き込んだ彼には心底詫びるしかないが、もう二度と会うこともないのだから大目に見てやって欲しい。
そう。二度会うわけにはいかないのだ。
彼にとっても私にとっても、行きずりの関係などというものは、汚点以外の何ものでもない。
身なりの良い男だった。顔は死んだ恋人に少し似ていた。会話は気が利いて楽しかった。きっと頭の良い人なのだろう。
誘ったのはどちらかと言えば私の方なのに、朝目覚めた後、彼は青くなって謝罪していた。見た目ほど遊び人ではなかったらしい。
本当に申し訳ないことをした……。
泡沫の夢……いやそんな美しい言葉で括るのもおこがましい……犬にでも咬まれたと思って、一刻も早く忘れてくれるのを祈るばかりだ。
「ねぇ、サヴァナ。もしかして、恋人出来た?」
私は一刻も早く忘れたいのに、周りが何故かそれを許してくれない。
ここ数日、何があったとやたらと声を掛けられる。いやらしい手つきで腰を撫で擦られたことすらあった。その慮外者には相応しい罰をくれてやったが、つくづく辟易する……この手の騒がしさには。
「気付いてないの? サヴァナ。貴女、ものすごく今綺麗よ。もともと凄い美人だけど、何て言うか……更に色が加わったというか、香を放つというか」
冷たい貴石。
造られた花。
そう呼ばれていた私が、今、男どもには手折りたい生花に見えるのだという。
冗談きついわ。火遊びはもう真っ平御免だ。日照りと言われようと前の静かな生活の方が遥かにいい。
ああもう、面倒くさいったらありゃしない。
早く、私の体から、心から、あの夜の痕跡が消えてなくなればいい。石で作られた偽物の花に戻れば、触れたいなどと酔狂な目を向けてくる輩もすぐに正気に返ることだろう。
わずか数か月後、私は、二度会うわけにはいかないはずのあの男に再会する。
よりにもよって、私が長年仕えてきた大切なヘザーお嬢様の結婚式場で。
事故だと思って忘れて下さいと頭を下げた私に、彼は、爽やかに、かつ甘やかに見える貌で、恐ろしいことを平然と言ってのけた。
「貴女が忘れられなかった。俺と結婚を前提につきあって欲しい」
彼は、メルトレファス公爵夫人の兄だった。
マードック辺境伯の学生時代からの親友だった。(このマードック辺境伯こそ、私のお嬢様のご夫君である)
そして、王立学院の若き教授だった。爵位まで持っていた。驚くなかれ、伯爵だった……。
何を世迷言を口走っているのだろう、このお坊ちゃまは。
そう思った。
戯れに一夜寝ただけで、その後の人生の大半を共に過ごすことが出来ると本気で考えているのか。
私と彼の間には何もない。愛情も、信頼も。長い長い時を共有するに値する確かなものが、何一つない。
あるのは欲望。ただそれだけ。
そんなものは続かない。一過性のまさに火だ。それを維持するための薪炭もないのに、炎が残るはずもない。
(甘いわね……)
だから、私は、言ったのだ。
世間知らず……と言うよりは夢見がちなこの貴族の御曹司の目を、きっちりと覚まして現実に引き戻してやるために。
「おやめなさいまし。遊びで寝た女など。伯爵様は、伯爵様に相応しい清らかなご令嬢をお迎えするべきです。火は、愛情や信頼という竃木が無ければたちまち消えてしまいます。……言うまでもないことですわね」
彼は悪い人間ではない。いやむしろ誠実で好ましい男性だと思う。それがわかるからこそ、あえてがつんと世間様の一般常識を教えてやったのに。
「本気で惚れた。絶対に諦めない。俺は君がどうしても欲しい」
「……」
意外にしぶとい男だったようだ。腹立たしいほど真っ直ぐな瞳でこちらを見返してくる。
あれから五年も経っているのに、人の好みとはそうそう変わるものでもないらしい。臆面もなく「惚れた」などと口に出来る神経の太さまで、亡き人によく似ている。
寿命まで似ていたら……笑えない。あんな苦い思いは二度と御免だ。この先も一人でいい。
「……お酒、少し控えた方がよろしいかと。また私のような悪い女に捕まりますよ」
「君になら何度捕まってもいいな」
「懲りて下さい。痛い目は一度見れば十分でしょう」
「もう深酒はしないさ。酒の縁は君がいるし」
「縁などありません。気のせいです」
「気のせいじゃない。こうしてまた会った」
「そしてまた別れます。縁があるとすれば、そういう縁です」
これ以上の押し問答は無用とばかり、私は彼に背を向けた。
じゃあまた、と、当然のように声を掛けられた。何が「また」だ。返すべき言葉は一つしかない。「金輪際さようなら」
「俺もそんなに若くないんで。早く嫁が欲しい。待っても半年なんで覚悟しておいてくれ」
「たった半年で望みの伴侶を手に入れられるとお思いですか、幸せな伯爵様。そんなせっかちな貴方様には心の底からお見合いをお勧めいたしますわ」
「手強いなぁ……」
「石の花ですから」
そうかなぁ。
彼は笑った。
君は、俺が今まで見た中で、最も色鮮やかに香り高く咲き誇る、間違いなく生きた花だけど……。
謎の美女はやっぱりあの人でした。
学生時代につるんでいた三人組の中で、マリー兄が一番強引(手も早い)かも^^;




