あれの行方
ものすごくお馬鹿な話です。
特に、公爵様のイメージを崩したくない方は、避けた方がいい危険な一本です。
どんな話でも自分はいける! という鋼の精神力をお持ちの方だけ、この先にお進み下さい。
すみません。作者はガラスの心臓なので、苦情が多いと凹んでしまいます(逃)
ある日の夕暮、ユージン様が、突然言った。
「なぁ、マリー」
「はい」
「あの下着、まだ持っているのか?」
「はい?」
あの下着とは、どの下着だろう。当り前の話だが、下着はたくさん持っている。毎日身に着けるものだから、無いと困る。
更に言うなら、ユージン様にも……それを身に着けただけのあられもない恰好を、既に披露している。
いや、夫婦だしね! いまだに実は照れくさくて死にそうだなんて、親友のヘザーにだけは漏らしたこともあるけどね!
ちなみに、彼女には、ああそう、幸せそうで何よりね、と冷たくあしらわれて終わりだった。婚約者と犬も食わない喧嘩をした直後だったらしい。
しまった、私。間が悪すぎる。
「あの下着とは、どの下着でしょうか」
真面目な顔で、私は聞いた。同じく妙に真面目な顔で、ユージン様が答えた。
「再会した時、樹の上から下りて来たお前が持っていた……色々な意味で凄い形のあれ」
ああ、なるほど。あれか。
私は遠い目をして衣装棚の奥に仕舞い込んでいるアレを思い出した。布と紐とレースの面積、どれが一番広いだろうと阿呆な事を考えた日々が、今はただ懐かしい。
「まだ持っています。ある意味、記念の一枚ですから」
捨てられない真の理由はただ一つ。あれが私の物ではないからだ。可愛らしいお嬢さんの、かっとんだ侍女の一品である。
何だか色々ありすぎて忘れていたが、そろそろ本腰を入れて令嬢を探さなければ。きっちりと侍女に返すのだ。
記念の一枚だから返したくない? いやそんな事はない。むしろ一刻も早く手離したい。あれを私の趣味だと激しく勘違いされる前に……!
「あの下着がどうしたのですか?」
「前から思っていたんだが……。お前はああいうのが好きなのか?」
前から思っていたのか!
何たる屈辱……!
「あああ、あれはっ!」
誰かの洗濯物を拾ったんです! と言おうとして、はたと思い留まった。
拾った下着を懐に入れるなんて、もしかして拾得物横領か!? すぐに届け出るべきだったのか!? 持ち主はすごく恥ずかしいだろうと、余計な気を回して持ち帰ってしまったわけだが……。
今冷静になって考えてみれば、横領どころか窃盗!?
公爵妃が下着泥棒……。いや駄目でしょう。許されないでしょう。
これは隠し通すしか……!
「そ、そうなんです。ああいう薄くてヒラヒラ、大好きで」
「……大好き?」
奇妙な沈黙が、私とユージン様の間に降りた。
「……まぁ、人それぞれだよな」
ものすごく冷静な返しが来た。
何だかいたたまれない。穿いて見せてくれ、と言われる方がまだマシだったかも。
と言うか、むしろ何で言ってくれないんだ。そんなに魅力が……。
「言って欲しかったのか。じゃあ遠慮するな。毎日でも構わんぞ」
途中からぶつぶつと声に出ていたらしい。
ユージン様が、何度見ても見飽きない貌で、にっこりと微笑んだ。自分の旦那様なのに、また改めて惚れてしまいそうだ。
「は……い? 毎日? あれを?」
「ああ、数が足りないなら、何枚でも……」
「いやいやいや結構です! いりません! あんな穿いた気のしない落ち着かないもの、一枚あれば充分と言うか。いやむしろ一枚もいらないし! いやもっと根本的に、私のじゃないし!」
「ああ、なるほど。やはりお前の物ではなかったか」
「あ」
「そうだよな。どう考えてもお前の趣味じゃないし。……で、どういう経緯で手に入れた?」
仕方なく白状すると、驚いたことに、あの謎の令嬢の正体がすぐに判明した。
ヘザーの妹だった。世間ってどれだけ狭いんだ……。
ちなみに、下着の持ち主はサヴァナさんというそうだ。ユージン様の話によると、黒い髪に黒い瞳の、かなりの美女であるらしい。
ああ、彼女なら確かに似合いそうだな、とユージン様がとんでもないことを言って、私は思わず彼の隣で渋面を作った。
どうせ私はこういう色っぽい下着が似合わないですよ。悔しいけど、ヘザーの方が似合いそうだ。ふん!
「お前は着なれていないからな」
「世間様に、そんなにあの手の物を着なれている人はいないと思いますっ」
「そうでもないだろ」
「なんでそんな事わかるんですか」
「誰も着けなかったら、巷にあんなに薄い下着が溢れ返るわけがない」
「む」
なんだ、その反論の余地のない正論。
「し、仕方ないじゃないですか。私、そんなの持っていませんし。アレはヘザーの侍女さんの物だし」
「欲しいのか? ならすぐに手配するぞ」
「は?」
「いや、それよりもエミリアに言った方が早いか。妙なことに詳しいしな」
「いえ」
話がおかしな方向に転がり出している……!
「い、いりません! 私は綿のしっかりぼってり大きいのが好きなんですっ! 薄いのも小さいのもピラピラも……!」
「そうか。まぁ、自信がないなら仕方ないな」
と、ユージン様は、あっさりと引き下がった。
「む」
引かれると逆に腹が立つ。引かれるくらいなら攻められる方がマシだ!
「似合わないと自覚しているのに、無理強いさせることでもないし……」
「し、失礼なっ! 似合うか似合わないかなんて、やってみなければわからないじゃな……!」
「そうか。やるのか。それは楽しみだ」
「あ」
とてつもなく腹黒い笑顔を返された。
二言は無いよな、と、念まで押された。
というか、こんなわかりやすい誘導にまんまと引っかかるなんて、私、馬鹿!? あり得ない大間抜け!?
「あの、その場の勢いというか、忘れて下さいというか……」
「ほう。公爵相手に前言撤回すると?」
「……何でもないです」
こんな、どうしようもない事にだけ権力振りかざして、この人はもう……!
「三日やるから、しっかり準備しておけ」
どうしてこうなった。
私の虚しい心の悲鳴は、無論、ユージン様には、一切合財届かなかった。
翌日、とにかく例の下着の主が判明したので、私は長らく引き出しの肥やしになっていたアレを持って、彼女に会いに行った。
黒髪の美女は、女の私が見ても惚れ惚れするような艶っぽい微笑とともに、
「後学のために差し上げます」
と言った。
後学って……後学って何だ。
「大丈夫ですわ。私、新品は一度洗濯してから身に着けることにしています。それは一度も穿いておりませんから」
いや、そういうことを心配しているのではなく。
「それにしても、随分と時間を置いてから、いらっしゃいましたね……」
凄味のある美女が疑問を感じるのは、もっともなこと。
会話をしているうちに、彼女の妙に巧みな話術にはまり、昨日のユージン様との恥ずかしいやり取りまで暴露するに至った。
美女は、それは旦那様のために努力が足りません、と、ユージン様に全面同意の姿勢を見せた。
あれ? なんか私が悪者になっている?
「奥様に常に美しくいて欲しいのは、男としては当然の願いですわ。美は内面から滲み出るものではありますが、ある程度外も磨かなければ、せっかくの光も内側に籠ってしまいます」
「はぁ」
何だろう。ものすごく逆らいがたい。
「お手伝いいたしますわ。公爵妃様にお似合いで、なおかつその魅力を最大限に引き上げるご衣装、私がお選びいたします」
いや、衣装と言うか……ただの下着……で。
「肌に直接身に着けるものです。ここで妥協してはいけません」
「は、はい」
勢いに押されるまま、私はサヴァナさんの指導を受けることになった。
心の中で、今回二度目になる悲鳴を上げながら。
どうしてこうなった……。
三日後の夜、旦那様がどういう反応を示したかは……私の胸の内だけに留めておこうと思う。
単に、溺愛中の奥さんにたまには色っぽい恰好をしてほしいという、しょーもない旦那の話でした。




