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Alexandrite  作者: 宮原 ソラ
番外編
33/39

宵と光と(※マリー視点)


 遠く、祭り拍子が聞こえた。

 もちろんただの空耳だ。今の時期、王都ではどの区でも祭りなどやっていない。

(耳に残っている?)

 厳かな結婚式の讃歌。朗々と響く神官たちの祝詞。溢れんばかりの拍手に包まれて、赤い絨毯の上をしずしずと歩く。

 何度か足が縺れそうになったけれど、その度に、さり気なく背中に添えられた手がしっかりと私を支えてくれた。彼の体温を感じると不思議に心が落ち着いて、大聖堂の門を潜った時には、ほんの少し、軽口を飛ばす余裕まで生まれていた。

 舞い上がる「春告乙女」の花びらを見ながら、

(もう一度誓いたくなりますね)

 我ながら大胆な催促だ。事もあろうに、公爵閣下に、愛の言葉をもう一度囁けと言ったのだから。

 言葉の代わりに夫が返したのは、口付けだった。あの凄まじい人数の列席者の見ている前で。

 自信に満ちた彼の顔が、どうだ、俺の自慢の妻だ、文句はあるか、と、その場に居合わせた者たちに雄弁に物語っているようで、とにかく照れくさかったことを覚えている。

 閣下は、私が攫われた一件を、臭い物に蓋を被せるようなやり方では隠蔽しなかった。真実の中にもっともらしい嘘を加え、巧みに噂と情報を操作し、本来「攫われた花嫁」になるはずだった醜聞を、「夫の仕事に協力した際、彼を庇って重傷を負った勇気ある妻」という見事な美談にすり替えてしまった。

 我が夫ながら恐るべし、メルトレファス公爵閣下。

 

(ああ……また?)


 また祭り拍子が聞こえた気がして、私は急いで窓辺に近付いた。硝子戸を開く。春告乙女の花びらがふわりふわりと目の前を舞っていて、大きく身を乗り出した。

 月が明るい。明るくて、その光はどこまでも柔らかい。

 始まりの夜に、なんて相応しい春宵だろう。無数の花弁が、吹雪のように……。


「マリー!」


 腹に手が回され、ぐい、と後ろから引かれた。

 背中と頭に固い感触。洗って乾かした後、手つかずのまま下ろした髪に、夫が顔を埋めるのが感じられた。いや、まだ本当の意味では夫でないのか。

 閣下は、まだ一度も私を抱いていない。その機会は無数にあったはずなのに。だから私は、ずっと同じ屋根の下に住んでいたにも関わらず、体はいまだ青く固い蕾のままだった。


(もう大丈夫です。肩も痛くありません。好きにやっちゃって下さい!)

 と、少し前、腹を据えて訴えてみると、

(やっちゃってって……)

 ひとしきり大爆笑した後、閣下は言った。

(順を追って、な)

 式を挙げ、誓いを立て、世話になった者たちに紹介もして。

 今時そんな古くさい、と言われても、一つ、一つ、全てを終わらせて。


 それから。心行くまで……。


「……落ちるかと思った」

「もう落ちませんよ。それにここは二階だから、落ちてもたぶん大丈夫です」

「そういう問題じゃないだろう」

「ユージン様はちょっと私に対して過保護だと思います。死神にも嫌われたマリーさんを甘く見ないで下さい。ちょっとやそっとじゃ死にません、私は」

「一度黄泉の川を渡りかけたせいか、ますますお前は図太くなったな……」

「ふふふ。誉め言葉をありがとうございます」

「いや全く誉めていない」

「遠慮せず誉めて下さい。奥さんはおだてて使ってナンボです」

「それは普通旦那に対して言う文句では……」

「そんな、公爵閣下を使うなんて畏れ多い。嫌ですよ」

「構わんぞ、お前なら。好きなだけ使え。俺が許す」


 ああ、また、さらりと凄い言葉を頂いてしまった。

 公爵閣下にここまで言われるのは、幸せなのか。恐ろしいのか。


「さて。そろそろ本気で使われるとするか」

 閣下が窓を閉めた。

 足元の床に、入り込んできた無数の花びらが散っていた。

 踏ん付けたら可哀そうだなぁ、と場違いなことを考えていた時、強い腕が掬い上げるように私の体をさらった。いつもながら、男の人の力というものには驚かされる。

 重くないのだろうか。……重くないのだろうな。

 寝台の上に下ろされた。元々その目的を持って用意された寝衣は、簡単にさらりと体から滑り落ちた。

「痕が残ったな」

 私の肩の傷を見て、閣下が眉を顰める。形は全く違うけれど、同じ右肩に閣下もやはり傷がある。お揃いですよ、と、私は笑った。

「お互いに相手を守った時の名誉の負傷です。私はこの傷が誇らしいです」

「……そうか」

 今夜、私は、ようやくこの人の本当の奥さんになる。


(ああ……)


 唐突に思い出した。祭り拍子。その意味を。

 あれは幼い私が聞いていた音だ。秋の収穫祭。どこかの貴族が別荘地にたくさんの客と楽団を呼んで、お祭り騒ぎをしていた。

 賑やかな雰囲気に釣られてうっかり足を踏み入れた私にも、その貴族の夫人は優しく、「好きな人にあげてね」と、一輪の赤い花を渡してくれた。

(好きな人の名前を、三回、花に向かって呟いてから渡すのよ。そうしたら恋が叶うから)

 だから私は、「お兄ちゃん」の名前がどうしても知りたかったのだ。

 あの日、ずっとずっと、日が暮れる寸前まで、待ち続けた。


「ユージン」


 今あるのは赤い花ではなく、白い花びらだけど。

 三回では済まないくらい、何度も何度もその名を口にした。

 繰り返し呼んで。繰り返し呼ばれて。

 初めて訪れた痛みの強さには驚いたけれど、それよりもじわじわと全身に染み渡って行く幸せな感覚の方が大きかった。

 ぴたりと重なった人肌の温もりが心地良い。繋がっていることが嬉しくて、ただ無我夢中でしがみつけば、まるで壊れ物でも扱うかのように優しく、そっと、抱き締め返してくれる。

 そんなにやわじゃないですよ、と、私はその耳元に囁いた。

「大丈夫です。もっと激しくても」

 薄闇の中で緋色の瞳が一瞬大きく見開かれた。

「あまり誘うな。お前を抱き潰してしまうかもしれんぞ」

 自分の命よりも大切な人にそこまで求められたら、いっそ本望かも知れないな、と朧な意識の片隅で考えた。

 私一人だけ雲の上に押し上げられて、全部閣下に任せっきりは申し訳なく、何か少しでも返さなければという焦りにも似た思いを巡らせて……。

 そんな余裕なんて、すぐに無くなった。

 頭の中が白く熱く溶けてゆく。

 包み込まれる闇は、以前に銃で撃たれた時のように、底知れぬ黒ではなく――……。


 今夜、私は、ようやく「お兄ちゃん」の妻になった。











 朝、在るべき温もりが隣に感じられないことから、目を覚ました。

 眠い目を擦りながら体を起こす。部屋の中にユージン様の姿はない。少し離れた所にある扉の向こうから、切れ切れに話し声が聞こえてきた。

 昨夜脱いだ薄っぺらい寝間着を再び身に付ける気にはなれず、どうしたものかと首を捻っていると、近くの椅子の上にゆったりとしたローブを見つけた。

 たぶん昨日エミリアさんが用意してくれたものだろう。程よく厚地で、着心地も良い。

 ドアに張り付いて隣室の気配を伺いたかったけれど、体があまりに辛いので諦めた。

 長時間立っていられる自信がない。腰や足の付け根が痛むのは仕方ないとしても、喉が疲れているってどういう事だ。叫びすぎたということか。

 いや考えないようにしよう。……恥ずかしすぎる。

 突然ドアが開き、戻って来たユージン様と目があった。

 ぽん、とそれはもうわかりやすく真っ赤になった私とは対照的に、ユージン様は憎らしいくらい平素と変わらなかった。

「起きていたのか。体は大丈夫か?」

「だっ……大丈夫と言いたいところですが、結構厳しいです」

 自分でも吃驚するくらい掠れた声が出た。

「……みたいだな」

 ユージン様がにやにやしている。激しくしても大丈夫、と啖呵を切ったのは私だが、ちょっと激しすぎやしないだろうか。

 反論は心の中に留めておくことにした。今は何を言っても勝てる気がしない……。

 ユージン様が窓の方に目をやった。

「すまんが、急遽城に呼ばれた。下手をすれば二、三日は帰らないかも知れない」

「え!?」

 今この時に。なんだそれ。どんな無茶ぶりだ。呼んだのは誰だ。……国王か。

 ユージン様をほいほいと呼び付けることのできる人なんて、かの御人くらいのものである。

「仕事だ。下の者では少々判断に困る案件でな……。まぁ仕方ない」

 仕事。

 本当に忙しい方なんだな、と、気の毒にすら感じてしまう。十分の一でもいいから変わってあげたいほどだ。

 カイルさんが辺境伯になったことで側近から外れてしまい、今、本当に一人で全てをこなしている状況なのだろう。弟のセルディさんが立場を引き継いだものの、凄まじく切れ味の鋭い懐刀だったカイルさんと比べると、正直、かなり頼りない。

 この先どれほどセルディを鍛えても、カイルの時のような阿吽の呼吸は得られない、と閣下が仰っていたことを、思い出す……。


(私、手伝えないかな? カイルさんの代わりに)


 それは名案に思えた。

 そうだ。私が手伝えばいいんだ。

 だって、下っ端だけど、官僚をやっていたくらいだから、ものの流れは少しはわかる。

 それどころか、下っ端だった私にしか気付けないことだって、ひょっとするとあるかも知れない。

「あの」

 ユージン様の服の袖を引っ張った。

「私、手伝いたいです。ユージン様の仕事。何か私に出来ることありませんか?」

 甘い夜の翌朝に言う事がそれか、と我ながら呆れてしまう。ユージン様でなくとも、「いいから体を大事にして、とっとと跡継ぎを産んでくれ」と、鼻であしらいたくなるような阿呆な主張である。


「……何年、もしかすると何十年か先に、外務官か書記官の長官になる気はあるか?」


 だから、ユージン様の言葉が、耳に入っては来ていても、脳に浸透するまでかなりの時間を要した。

「はい?」

「間もなく俺は……俺と王太子殿下は、本格的に内政改革に乗り出す。その中の一つに、各職種における女性登用率の増加がある。人口の半分が女性なのに、それを活かさない手はないからな」

 お前が望むなら、その先駆けになるか?

 閣下は、はっきりと、そう言った。

「私、が?」

「ただし、道は険しいぞ。何でもそうだ。初めての時は苦痛を伴う。まして子が出来たらそれどころではないだろう。だから、何年先になるかわからない。何年かかっても、辿り着けないかも知れない。……それでも」


 お前が、望むなら。

 大切に大切に、温室の中の囲われた鳥でいるよりも。

 止まり木すら必要ない、強靭な羽をもつ鳳でいることの方が、自分らしいと信じるなら。


「俺が、道を作っておいてやろう。フェルディナンド初の高位女性官僚が誕生するために。一人生まれれば、後は自然と続いてゆく」


 その日の思い付きで、こんな事を言い出すはずがない。思いつきで言い出せるほど、気軽な話でもない。

 では、この人は、ユージン様は、ずっとずっと昔から、考えていたのだろうか。

 もしかすると、八年も前から。

 変革の大波。その中から生まれる自由の気風。性別も身分も飛び越えて、何でも自ら選び取れる世の中。必要とされるのは、努力。ただそれだけ。

 そんな日が遅かれ早かれ来ることを見越していて、だから私を援助して下さったのだろうか。

 王立学院に行きたい、と言った無謀な願いを、ただ黙って聞き届けてくれた……。

「言っておくが、メルトレファスの七光りは無いと思え。俺はその辺は甘くはない。能力の無い人間に過ぎた地位はただ重いだけだからな。お前よりも優秀な女性官僚が他にいたら、名誉ある第一号はそいつのものだ」

 この容赦のないところも、実に彼らしく。

「ふっ……。面白いです。受けて立ちましょう、その挑戦。しばらくは、左大臣補佐として纏わりつ……いえ、お手伝いさせて頂きます」

 まさに売り言葉に買い言葉。

 新婚初夜の明けた朝の夫婦の会話としては、破格の色気の無さである。

 でも、何だか、とてつもなく私達らしくて、笑ってしまった。


「とりあえず行ってらっしゃいませ、ユージン様。お仕事頑張ってきて下さい」

「長くて三日かな。早ければ明日の夜までには終わるだろう」

「明日の夜ですか……」

「がっかりしたか?」

「いえ、逆です。連続したら身が持たないので、かえって良かったかと……」

「安心しろ。その分上乗せして可愛がってやるから」

「ひぇ!」

 

 凄まじい捨て台詞を残して、閣下は出かけて行った。

 左大臣補佐なんて本当に出来るのだろうかと、私はたちまち不安になった。

 能力云々よりは、体力が。足腰が……。


 まぁいいか。

 愛だけはあるから、たぶん乗り越えられるだろう。




色気あるのか無いのか……。

とりあえず仲良くやっています^^;

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