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Alexandrite  作者: 宮原 ソラ
本編
31/39

30


 呪い、と、アディンセル候は仰った。

 呪いは、三十年以上も昔、ユージン様の父君の代に始まってしまったと。


 先メルトレファス公爵ローウェインは、母に王女を持っていた。

 血が濃くなりすぎることを懸念して、フェルディナンドの貴族法では、二代続けて王女が降嫁することは許されていない。だから、ローウェインの妻は高位貴族の中から選ばれることが決まっていたのだが、彼は、従妹であった美しい第一王女アレクサンドラに恋をした。

 アレクサンドラには、既に隣国に婚約者がいた。それは、王族には珍しく、政略ではない幼馴染同士の恋愛による幸せな婚姻だった。

 その彼女を、輿入れの三か月前、悲劇が襲った。

 ローウェインが王女を暴行したのだ。純潔を奪われた上に、アレクサンドラは婚約者がいる身でありながら他の男とも通じた身持ちの悪い女と、耐えがたい噂を立てられた。

 その手の話が瞬く間に広がったのは、彼女自身の人並み外れた美しさも原因の一つだった。

 ユージン様は、絶世の美女と謳われたアレクサンドラ王女によく似ている。あの美貌は、遺伝子の気まぐれなどではなく、母親から譲り受けたものだったのだ。

 手段を選ばず強引に王女を奪ったことで、王室とメルトレファス家の間には決定的な溝が生まれた。更に、ローウェインがアルムグレーンの令嬢との婚約を反故にしたことで、かの家との間にも軋轢が生じた。

 ローウェインは、身勝手で衝動的な性格の男だった。欲望を抑える術を知らず、持って生まれた高い地位身分を利用して、まさに暴君のごとく振る舞った。

 悪癖は悔い改められることが無いままに、彼は、三十一歳の若さでこの世を去った。禁制品の銃を操作中誤って暴発させ、右上半身を吹き飛ばすという、信じがたい最後だった。


 メルトレファスの権威は地に落ちた。一族の者は苦悩し、王室の政治的な介入を恐れた。彼らは王に忠誠を誓ってはいるが、開闢より続いてきた身の内側に土足で踏み込まれることを、決して良しとはしなかった。

 王家の証を持つユージン様の存在だけが、彼らの希望だった。

 およそ五十年も、王家にすら生まれなかった翠と緋の瞳(アレクサンドライト)を引き継いだ正統なる後継者。ユージン様ならばメルトレファスを守れると、六歳になったばかりの幼い子供に、過剰な期待が集中した。

 ユージン様は、未来のメルトレファス公爵として厳格な英才教育を施される傍ら、父の病的な性癖を受け継いでいないことを確認するために、宮廷に召し上げられた。実家から隔離され、そこに居た兄弟同然に育てられた子供たちからも引き離された。更に、アルムグレーンとの友好を取り戻すためのガブリエラとの契約婚が、重くその身にのし掛かる。

 十二歳になってようやくメルトレファス家に戻ると、待っていたのは、温かい歓迎の手ではなく、限りなく束縛に近い一族の異様な干渉だった。


「貴方は父のようになってはいけない。誰よりも、何よりも、立派な公爵となり、貴方が父とは違うという事を、証明しなければならない」

「貴方が何か一つでも失敗を犯したら、たちまち言われるだろう。所詮はあのローウェインの子。やはり忌まわしい血の呪縛からは逃れられなかったのだ、と」


 だから、ユージン様は、完璧な公爵様で在り続けようとしたのだ。


 夢も諦めて。

 欲しいものも我慢して。


 父親が散々振りまいた悪評を、彼自身の努力と才覚で、一つ、一つ、真正面から覆していくことを、心に決めた。

 血も生まれも関係ない。自分は、自分。

 慢心はいらない。卑屈にもならない。諫言を恐れない。けれど、弱者への慈悲だけは、身に刻む。


「俺は、絶対に、父のようにはならない……!」


 やがて、フェルディナンドを支える柱、メルトレファスの大いなる宝、そんな風に、称されるまで。

 そんな風に称されてもなお、自分を殺して……。




 まさに呪いだ。

 そう思った。

 なんて酷い。

 なんて……重い。




「貴女は、これまで何一つ我が儘を言わなかったユージンが、初めて望んだ御方なのです」

 アディンセル候は、そう言って、少し笑った。

「私たちはユージンに頼りすぎた。そろそろ解放されても良い頃でしょう。メルトレファス一族の誰も、もう、彼に、全てを擲って尽くせとは考えておりません」


 再び書斎のドアが開いた。


「叔父上?」

 そこに立っていたのはユージン様だった。訝しげな表情で、私とアディンセル候の顔とを見比べる。

 確かにおかしな組み合わせだろう。先に、アディンセル候が口を開いた。

「昔話を少しね。未来の公爵妃様に」

「昔話……」

「心配しなくても、お前がひどい腕白坊主で、家畜小屋の扉を壊して中の鶏を全部逃がしてしまった事なんて、言っていないよ」

「……覚えが無いのですが」

「まだ五歳くらいだったからねぇ」

「それはさすがに時効です」

「戻っても良いと思うのだよ。あれくらい活発で、奔放だった、本来のお前に」

 閣下が眉を顰めた。

 奇妙な沈黙が、辺りに降りる。どう答えて良いものか、閣下自身、判断が付きかねている様子だった。


「今の自分は、全てが虚構ではありませんよ」


 それが、ユージン様の導き出した答え。彼の中の、真実。

 長い長い試練の向こうに見出した……彼自身の光。


「ふりをし続けることによって、身に付くものもあります。嘘も、ふりも、全て含めて自分です。……さすがに先公爵の悪評を消すのには手こずりましたが。終わってしまえば、それも必要なことだったと思えてくるから、不思議なものです」

「そうか……」

 お前は本当に強いね、と、アディンセル候が呟いた。

「兄上は勿論、泣いてばかりいたアレクサンドラ王女にも似ていない。一体、誰の血が強く出たのやら」

「血など関係ないという見本です。私自身が」

「ああ。なるほど……」


 誰に似る必要もないと言い切った閣下だけど、私は、実は、人ではないある物の姿が頭に浮かんでいた。


 森の系を支えるような、あの大樹。身が腐るという病に侵されていてもなお、最後まで衰える様子を見せず、赤々とした果実まで付けてみせた、林檎の神木。

 力強くて、逞しくて、揺るがない。どっしりと下ろした根で大地を踏みしめ、広げた枝葉で天を支えるその雄姿が、王と民の間に在り続けようとする閣下の生き方を、思い起こさせるようで……。


「あえて言うなら、大樹でしょうか」

「なんだそれは」

「いえ。揺るぎなきものという意味で」

「どこがだ。お前に振り回されてばかりだ」

「うっ……」


 あなたたちは良い夫婦になりますよ、と笑って、アディンセル候が立ち去った。

 来た時よりも何故か少し小さく見えたその背中に、私は、恭しく礼をした。











 準備は、着々と、進められていった。


 養子縁組先としては、マードック辺境伯が選ばれた。先のマードック伯が病気療養のため引退し、新たに爵位を引き継いだのは、なんとカイルさんだった。

 五歳しか離れていない、しかも長年ユージン様の側近だったカイルさんが、書類上の話とはいえ私の義理父。全く妙な気分である。まさに事実は物語より奇なり。

「まぁ、そういうわけで、よろしく頼む。義父上」

 一人楽しそうにしているのはユージン様だ。カイルさんの心底困った顔を眺めてからかっているのだから、人が悪い。

「義父上だけは勘弁してください……」

 実は、私も一度で良いからお義父様、と呼んでみたかったのだが、何だか気の毒になって止めることにした。


 一方、本物の父からは、八年前に私と兄を学校に通わせてくれたのはメルトレファス公爵様だった、と、ようやく聞いた。その頃から援助をして頂いていたなんて露知らず、申し訳ないやら居た堪れないやら、ますます閣下に頭が上がらなくなる私だった。

 もっとも、ユージン様は、その件に関しては素気なく否定したけれど。


 自分は絵を買っただけ。

 その金額を出しても惜しくないほどに、絵を気に入っているから、援助などしたつもりはない、と。


 どんな絵ですかと聞いてみると、幻の姫と呼ばれる少女の絵だと、ユージン様は答えた。奇妙な構図の風景画ばかり描いていた父にしては珍しく、人物画であるらしい。

 目と鼻が顔から飛び出している奇怪な絵だったら申し訳ないので、せめて風景画と交換しますかと伺うと、あれ以上の傑作はない、と断固拒否された。

 そんな凄い絵なら是非とも拝見したいところだが、何故かユージン様は絵の保管場所を教えて下さらない。

 私は、未だに、「幻の姫」を見たことが無かった。











 約一か月半後、当初の予定より三十日近く遅れて、私はメルトレファス公爵妃としてユージン様の隣に立った。

 季節は、ちょうど冬から春へと遷り変わる頃。

 寒さが緩み、新しい芽が地面から顔を覗かせ、陽射しが日々高く強くなる。

 「春告乙女」とも呼ばれるフェルディナンドの象徴花が、見計らったかのように薄桃色の花を広げた。

 城を、町を、通りを飾る。どんな豪華な宝石もその艶やかさには敵わない。自然が贈ってくれた最高の賛辞であり、祝福だった。


 誓いの言葉を終え、大聖堂から出てきた時、一際強い風が吹いた。

 早咲きの花の花弁が舞い上がる。降り注ぐ。


 ひらひらと。

 ひらひらと……。


「これは凄いな」

 ユージン様が天を仰いだ。

 突き抜けるような青を背に、花びらはまだ踊っていた。

「もう一度、誓いたくなりますねぇ」

 私がのんびりと笑うと、

「ではもう一度誓うか」

 ユージン様がそれに答えた。


 そんな演出も、予定も無かったはずなのに。


 顎が持ち上げられ、触れるだけの優しい接吻が、唇の上に落された。

 列席者の間から、わっと拍手が巻き起こる。

「二世誕生もこの分だとすぐですね」

 冷やかす声も聞こえて、私は耳まで真っ赤になった。






 今日よりももっと以前、先に頂いた誓いの言葉を、思い出す。

 今ここで、私もお返ししようと、夫になった彼を見上げた。











 貴方が好きです。

 貴方を愛しています。


 貴方を


 一生かけて、幸せにします――……




次回最終話です。

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