表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Alexandrite  作者: 宮原 ソラ
本編
30/39

29


 目が覚めると、何だか色々な人に囲まれていた。

 ほとんどが、閣下が集めてくれた優秀な医療者の方たちだった。驚いたのは、その中にクヴェトゥシェ人の医師が二人いたことだ。私の弾丸摘出手術を行ってくれたのも、彼らだった。

 貴女のことは弟から伺っていました、とにっこりと微笑まれ、私の頭の中をたちまち疑問符が飛び交った。はて。クヴェトゥシェ人の医師の弟なんて知り合い、いただろうか。

「私はハーヴェル・メテル。そっちは弟のイクセルです」

 メテル。

 その姓でぴんときた。

 アルシュ・メテル。あの子か……!

 それにしても使節団の一員として来ていた彼らが、未だフェルディナンドにいるとはどういう事だろう。とっくの昔にお国に戻っているはずなのに。いや、彼らが残っていてくれたおかげで、私は命拾いをしたわけだが。

「あの最後の夜会で、ヴォルフ家の方々と親しくなりまして。私たちだけ滞在が伸びたのです」

 ヴォルフは、高名な医学者の一族だ。代々、王立救護院の院長や宮廷医を務めることが多い。

 医療先進国であるクヴェトゥシェの医師との意気投合は、なるほどあり得る話だった。ハーヴェルさんの言葉に、疑問が一気に氷解する。

「ちなみに、あの夜、貴女の足を三回も踏んだり蹴ったりしたのは、そこにいる弟です」

 ベッドの傍らのテーブルに向かい、診療録に何か書きつけていた弟医師が、顔を上げた。兄を睨む。

「……何もここでそれを暴露しなくても良かろうに」

 癖の強い黒髪に、ほとんど黒に近い藍の瞳。象牙色の肌。フェルディナンド人男性よりはやや小柄だけど、すらりとした細身の体躯。

 典型的なクヴェトゥシェ人であるその容姿には、言われてみれば見覚えがあった。私が容赦なくダンスの輪の中に放り込んだ面々の中に、確かにいた。

「思い出しました。一番激しくダンスを嫌がっていた方ですね」

「……忘れて下さい」

 その後、エミリアさんに手伝ってもらって、簡単ながら身支度を整えた。

 かなり体力が落ちてふらふらするけれど、安静にしてしっかり食事を取れば動けるようになるまでさほど時間はかからないと、彼らからお墨付きをもらうことが出来た。











 間もなく閣下が現れた。

 わずか一週間の間に、少し痩せたような、やつれたような印象を受けて、驚いた。どれほど仕事が忙しかろうと絶対に顔に出す方では無いので、私が寝込んでいる間に一体何があったのかと、たちまち不安になった。

「ほとんど休んでいらっしゃらないのですよ。日中はご公務、夜はマリー様に付ききりで」

 こっそりと、エミリアさんが教えてくれる。

 ああ……やっぱり私が原因だった。

 根が真面目な方だから、自分を庇って死にかけた、と思い悩んでしまったのかもしれない。あの場にいたのが私でなくとも、例えばカイルさんでも、同じ事をしていたに違いないのだけど。

 痛めていない方の手を、私はそろそろと掛け布から出してみた。

 撃たれた衝撃と出血で七日間も死線を彷徨っていたわりには、意外に体はよく動いた。指先に力をこめると、軋むような感覚は一瞬あったものの、頭の中で思い描いた通りにゆるく握り拳を形作ることが出来た。

 そのまま親指だけを立てて、閣下を呼ぶ。

「ユージン様」

 医師と何かを話していたユージン様が、振り返る。私は、舞台に立つ女優のように、大げさなくらい満面の笑みを浮かべてみせた。

「見ての通りです。思ったより元気みたいです、私」

 閣下と医師が、そろって顔を見合わせた。

「患者の鑑ですね」

 医師が笑えば、

「いや。妻の鑑だろう?」

 閣下もようやく相好を崩された。

「だが無理はするな。しばらくの間、大丈夫という言葉は使用禁止だ」

 わずかな動作にも疲れてしまい、だらりと下がった私の腕を、ユージン様が布団の中に戻してくれた。

「今まさに言おうとしたのに」

「お前のその言葉は当てにならん」

「ユージン様だって右腕血塗れになりながら使っていたじゃないですか」

「俺はいいんだ」

「どんな理屈ですか、それ……」

 いつの間にか、部屋の中から人の気配が消えていた。気をきかせて二人きりにしてくれたらしい。

「ユージン様、一緒に寝ませんか?」

 と、言った途端、医師の残した診療記録に目を通していたユージン様の動きが、ぴたりと止まった。瞼を閉じ、深く深く息を吐く。

「お前の言動が、時々、いまだに読めん……」

「だって。何だか寝不足の顔していますから」

「……」

「わ。すみません。私のせいですね。もう大丈夫なので、今日からゆっくりお休みください。……って、ああ、使っちゃった」

「早速言いつけを破ったな」

 何故か嬉しそうに、閣下が言った。頭のすぐ左横に手が置かれる。

「さて。罰は何にするかな……」

 私は慌てた。本当に閣下にひどい事をされるなんて思っていない。ただ、顔の距離が近くて落ち着かなかった。自分がほとんど動けないだけに、何だか捕らわれた子兎の気分だ。

「ちょ、ちょっとお待ちを。絶対安静が必要な怪我人に何する気ですか」

「この状況で出来る事なんて限られてくるだろう。触る、舐める、入れる、のどれがいい? 情けで選ばせてやる」

「何ですか。その怪しすぎる選択肢」

 非常にいかがわしい構図が脳裏に浮かんでくるのは、決して私の妄想のせいばかりではないはずだ。

「いやいやいや。どれも無理だと思います。せめて傷口閉じてからにして下さい」

「選べ」

 拒否権は無いらしい。

「あー、えー、そのぅ……。その中では触るが一番無難でしょうか」

「無難、ね」

 ふわ、と、額に手が置かれた。まだ少し熱っぽい体に、ひんやりとした指先が心地よい。そのまま軽く髪を梳いて、頭を撫でてくれた。父親が、幼い子供をあやすかのような仕種で。

 あ、あれ? 触るって……これ?

「想像力が逞しすぎるぞ、お前は」

 くっくっ、と、閣下が笑う。

 ……やられた。またからかわれましたよ、ええ。

「じゃあ、あの、舐めるとか入れるとかも」

「舐める、はハズレかな。お前の口の中に、そこの苦い粉薬を突っ込んでやるつもりだった」

 選ばなくて良かった……。

「入れるは?」

「知りたいか?」

 閣下が、更に身を乗り出した。初めは左側にしか添えられていなかった腕が、いつの間にか右側にも増えていた。体格の良い成人男性の上半身の体重が圧し掛かり、寝具が少し沈んだ気がした。


 耳元で囁かれた低い声に、肩の傷とは無関係の違う部分が、疼いた。


「さっさと治せ。……抱きたい」


 思わず身じろぎしてしまい、痛みのあまり呻くと、不用意に動くな、と閣下に怒られた。

 いや、そんな綺麗な顔で、そんな甘い声で、そんな過激なこと言われたら、誰だってジタバタしてしまうと思うのだけど。


 ……早く治そう、怪我。











 更に十日も経過すると、屋敷内を歩き回れるほどに回復してきた。

 肩は相変わらずじくじくと痛むし、顔を洗うにも着替えるにも何をするにも動きにくくはあったが、命が助かった代償と思えば、この不便も甘んじて享受することが出来た。

 それにしても、中途半端に治ってくると、毎日が暇で暇で仕方ない。

 いっそ腕を三角巾で吊るして職場に復帰したいと閣下に申し出てみたが、にべもなく却下された。父のように絵を描く趣味でもあれば良かったのだが、私は生憎と犬猫を描き分けられないくらい絵心が無いので、どれほど時間が余っていようと、図画などというものに手を出す気にはなれないのだった。

 結果、屋敷内の書斎に閉じ籠もることが多くなった。

 膨大な書物に囲まれていると、傷の痛みも、時間の流れの遅さも、しばし忘れた。


 突然、書斎のドアが開いた。

 

 無言のまま入ってきたのは、中年の品の良い男性だった。五十歳くらいだろうか。顔には深い皺が幾つか刻まれていたが、若い時の雰囲気を維持して理想的に歳月を重ねたらしい彼に、初対面ながら私は圧倒された。

 栞を挟むのも忘れて、読みかけの本を慌てて閉じる。

 軽く会釈をする間にも、彼はどんどん近付いてきた。


「貴女が、ユージンの選んだ女性ですか……」


 ユージン。その一言に、息が止まるほど驚いた。

 閣下の名を呼び捨て。それが許されるのは、ほんの一握りの方達だけだ。言わずもがな王の一族。でも、目の前のこの方は、国王陛下でも王太子殿下でもない。

 閣下のお父様である先のメルトレファス公爵様は、閣下が六歳の時に既に亡くなっている。他に条件に合う方は……。

「アディンセル侯爵様……?」

 先メルトレファス公爵の腹違いの弟君。ユージン様の、父方の唯一の叔父上。ユージン様が十二歳で爵位を継ぐまで、公爵代理として実質メルトレファス家を支え、守り続けたという。

 紛うことなき、メルトレファス第二の実力者だ。現在もあらゆる点において強い発言力を持っている。 そう、七年前、ユージン様とガブリエラ様の縁談を最終的に纏めたのも彼だった。お世話したガブリエラ様の死を契機に、ご自分が治める領地に戻られたと伺っていたが……。

「お初にお目に……いたっ」

 挨拶をしようとスカートの側面を持ち上げようとして、肩に激痛が走った。きゅっと目をつむって痛みをやり過ごそうとしたけれど、生理的な涙が目尻に滲んだ。

「申し訳ございません」

 この方に、お前は公爵家の嫁に相応しくないと反対されたらどうなるのだろう。ユージン様のお立場が悪くなるのではないだろうか。

 不吉なことばかり考えて、胃の辺りに鉄の塊を飲んだような重苦しさを感じた。

「ああ、どうか……無理をなさらずに」

 アディンセル候が、痛めていない方の私の手を取って、座らせてくれた。

 あれ? 何だろう……優しい。


「貴女を歓迎いたします。マリー殿」


 私は大きく目を見開いた。

 咄嗟になんて返答をしたら良いのかわからない。

 代々のメルトレファス公爵妃は、王族の姫君か、もしくは大貴族の令嬢だった。家も土地もない没落貴族の娘、しかも二十代半ばに達している行き遅れの女なんて、前代未聞のはずだった。

 凄まじい風当たりの強さを想像し、また覚悟して、メルトレファスの家に入ることを私は決意したのだ。歓迎されない花嫁でも、閣下が望んで下さるなら、可能な限り傍にいようと……。

 だから、まさか、メルトレファス第二の重要人物にこんな温かい言葉を掛けてもらえるなんて、予想もしていなかった。

 私は嫌われていない。

 少なくとも、いま目の前にいるこの方は、私がここに居ることを認めてくれている……?


「貴女に……お話しておこうと思うのです。ユージンを長年縛り付けていた呪いについて。彼は、それを、決して自分の口からは言わないと思いますので」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ