28 裁定者(視点・クリストファー)
マリー・エメリア・ピアソンを撃ってから、七日が経った。
彼女を傷つけるつもりは無かった。私はただ、私の視界からメルトレファス公爵を排除したかっただけだ。
まさか庇って飛び出すとは夢にも思わなかったのだ。あまりにも愚かしい行動に、いっそ笑い出したい気分だった。
何が彼女を駆り立てた?
忠誠? 恋慕? いや違う。人は、そんなつまらない感情で、一つしかない命を簡単には捨てられない。それが出来るのは、安っぽい物語の中だけだ。現実はそんなものではない。
では何だ? 説明がつかない。
理解しがたい。理解したいとも思わない……。
(結局、公爵を仕留めそこなった……)
公爵はおそらく十四年前の私の罪に気付いている。決して私に声を掛けない一方で、常に射抜くような鋭い視線を向けてきた。
今思えば、それは監視の眼差しであり、隙あらば私の罪状を暴いて陽の当たらない場所に放逐してやろうという、意思の表れだったのだろう。
私はカーティスを殺していない。彼は紛れもない病死だった。
いや、深夜に様子を見に行ったのは本当だ。今思い返しても、何が目的だったのか、自分でもよくわからない。高熱に浮かされた兄の鼻と口に、あるいは枕を押し当ててやるつもりだったのかもしれない。
殺意が全く無かったと言えば嘘になる。私はカーティスが好きではなかった。もっとはっきりと、大嫌いだった。誰からも愛される穏やかな貌で、お前は庶子で責任が無くて良いよなぁ、といつも笑っていた兄が、憎くて憎くてたまらなかった。
だが、結局、その日、私は何もしなかった。
何もしなかったのに……兄は容態が急変し、あっという間に亡くなってしまった。
それからの半年間、ソフィアの相手が大変だった。私を疑い、事ある毎に責めたてた。父にある事ない事吹き込んだばかりか、ついにはカイルと結婚し自分がマードックを継ぐなどと言い出した。
幸いにしてカイルにその気は微塵も無かったようだが、マードック辺境伯の地位、という特大の人参を鼻先にぶら下げられた奴が何時心変わりするか、知れたものではない。
私は急がなければならなかった。
私自身というよりは、家の安泰のために、元凶であるソフィアを排除するより他なかった。
苦労知らずのお嬢様のソフィアにも、メルトレファスの一従者で満足しているような覇気のないカイルにも、マードックは渡せない。
私こそが家督を継ぐべきだと、自負があった。
「次官。左大臣閣下がお呼びです」
部下にそう声を掛けられた時、私は宮中の職場で次のクヴェトゥシェの使節団の日程を調整中だった。
手に持っていた書類を、思わず取り落としそうになった。
「左大臣閣下だと? 右大臣様ではなく?」
「はい。左大臣……メルトレファス公爵様です。至急とのことです」
メルトレファス公爵の至急の召喚。そう聞いただけで、動機が早くなった。
落ち着け、と、私は自らに言い聞かせた。
「わかった」
何も恐れることは無い。彼が私をどうこうする事など不可能だ。
罪は、明るみに出てこそ罪となる。十四年前のソフィアの件はもはや時効だ。とっくの昔に事故として処理されているし、今更証拠などあるはずもない。
仮に目撃者がいたとしても、どうして私を追い詰めることが出来よう? 勘違いだと笑い飛ばせばそれまでだ。第一、記憶が……古すぎる。
「後は、マグダレーナか」
これについても、憂いは無い。関わった者は二人とも始末した。男の方はマグダレーナが雇った便利屋で私とは一切関わりが無いし、マグダレーナ本人に至っては、ついに私の正体にも気付かない間抜けぶりだった。
そもそも、あの陳腐な誘拐劇は、表沙汰にならなかった。当然だろう。攫われた花嫁など、醜聞としては最悪すぎる。たとえ、拉致監禁されていた間に、宮廷人がいかにも好みそうな淫靡な行為が、無かったのだとしても。
アルムグレーンよりも何よりも、メルトレファス公爵自身が、マリー・ピアソンの名誉を守るために、その事実を完璧に隠蔽した。
左大臣執務室に向かうと、手前の秘書官室に、カイルがいた。
「お前がソフィアを手にかけたのか」
「何を言うかと思えば……」
「……血の繋がった自分の姉を」
「彼女自身は、私を弟などと思ってはいませんでしたよ。カーティスを殺したのは私だと、妄想に憑りつかれていましたしね」
「お前は一度でもまともにソフィアと話をしたことがあったのか? いや、彼女だけじゃない。カーティスにも、伯父上にも。……お前は皆に背を向け続けた。誰も、お前を、排除しようなどとは思っていなかったのに」
「私は庶子です。常に排除されるべき存在でした。貴方にはわかりませんよ。結婚した両親の長男として堂々と生を受け、公爵の乳兄弟、一の友人として、恵まれた生を安穏と送ってきた貴方にはね!」
ひどく苛々した。
それでなくともこれからメルトレファス公爵と対峙しなければならないというのに、その手前でなぜ従兄と言い争わなければならないのか。
しかも、主義主張が平行線なのは言わずもがなだ。
お前が歩み寄らなかったから悪い?
ふざけるな。
非嫡出子の私が歩み寄ろうとすれば、それはただ、媚を売っていると思われるだけだ。
「貴方の相手を何時までもしていられるほど、私は暇ではないのですよ」
カイルの横をすり抜け、私は執務室の内扉の前に立った。
この向こうに……メルトレファス公爵がいる。
「派手にやり合ったな」
それが、公爵の第一声だった。
彼は真正面の机に向かって座っていた。天板の上に両肘を置き、ちょうど顎の前辺りで手を組んでいた。
「ここまで声が聞こえてきたぞ」
「……見た目に反して、薄いドアのようですね。付け替えをお勧めいたします」
「生憎と、適度に隣室の気配を伺えるその仕様を重宝している。気遣い無用だ」
組んだ手を解き、公爵が椅子の背もたれに身を預けた。高級な皮と木材が、ぎしりと、深みのある音を立てた。
「……ご用件は」
認めたくはないが、私はやはり、目の前のこの男が苦手だ。
彼が公爵だから、というよりは、もっと本能的なところで、蛙が蛇に睨まれるように、私は彼に畏怖を感じずにはいられなかった。
「お前のマードック廃嫡が決まった」
ごく静かな声で、公爵は言った。
「マードック辺境伯より正式に申し入れがあった。王室もこれを認めた。クリストファー・オーウェン・マードック。いや、クリストファー・サライ。昨日付けを持って、お前の貴族としての全ての身分、特権は剥奪された」
サライ、は、私の母の姓だ。マードック家に仕える、下働き女だった私の母の。
「なぜ」
信じられなかった。
理由は何だ? ソフィアの件でもマグダレーナの件でも上手くやった。彼女らに関わることで私を陥れる事など、メルトレファス公爵の力をもってしても出来ないはずだ。
いや、それよりも、父より正式に申し入れがあった? 父が息子である私を切ったのか? カーティスもいない、ソフィアもいない、残った唯一の実子であるこの私を……!?
「性格、素行に問題有り、とのことだ。マードック伯爵に相応しくないばかりか、一族としても認められない。マードックの戸籍から永遠に除外する、と」
淡々と、公爵が説明する。
「貴方が仕組んだのか……!」
私はメルトレファス公爵に詰め寄った。胸ぐらを掴んでやろうとしたが、座っていたにも関わらず、公爵の方が早かった。腕を捻り上げられ、後ろ手に拘束された。
「衛兵!」
秘書官室には、カイルだけではなくいつの間にか兵も控えていたらしい。どっと押し寄せてきた彼らに、あっという間に取り押さえられた。
「閣下、お怪我は」
衛兵の一人が尋ねる。公爵はゆるゆると首を振った。
「見ての通りだ。この程度の輩に後れを取る私ではない」
衛兵が私の肩を掴む手に体重をかけてきた。耐えきれず膝が崩れ、床に跪く形になった。胸の前ですかさず槍が交差する。
更に頭に血が昇りそうだった。
これは貴族に対する扱いではない。これは、平民の、しかも罪人の扱いだ。
「おかしいとは思わないか、クリストファー」
公爵が、膝を折ったままの私の前に進み出た。
「マードック廃嫡の件を、なぜ私が直接言い渡す必要がある? 本来はマードック伯がお前にただ伝えれば良いだけの話だ。私が関わる筋合いのものではない」
私は、公爵を見上げた。
彼の瞳は、緋の時よりも、緑の時の方が、多少感情をわかりやすく映しているようだった。
揺らめいているのは、哀れみか。……怒りか。
「ここからが本番だ。クリストファー・サライ。お前は禁制とされる武器の密輸に手を出した。数は本体が三十、付属物が二千。無論証拠もここにある。……大罪だぞ、クリストファー。それこそ殺人を上回るほどの」
あまりに驚いて、咄嗟に言葉が出てこない。
公爵が私の前に一枚の紙を差し出した。かなり草臥れたその紙は、四年前、私が銃と弾丸を買った際に書いた証文だった。隅に押された拇印には、忌々しい事に、私自身、覚えがあった。
紛れもない……本物だ。
「私を確実に殺したくて、あの時、銃を持ち出したのだろうが……裏目に出たな」
連れて行け、と公爵が指示を出す。
乱暴に立たされ、引きずられながらも、私は声を嗄らして叫ばずにはいられなかった。
「彼女が生死の境を彷徨っている間に、貴方は私の粗探しをしていたわけか。……何が英邁な公爵様だ。とんだ食わせ者だ!」
マリーが倒れてから、ちょうど一週間。死んだとは聞かないが、まだ目覚めたという話もない。
そろそろ彼女の体も限界のはずだ。いつ逝っても不思議はない。
それなのに、公爵は、愛しい女の生還を傍で祈るでもなく見守るでもなく、私を貶めるためだけの理由と根拠を、この執務室で死に物狂いで探していたというわけだ。
その程度だったのか。
彼女は。
貴方にとって。
「マリーには最高水準の治療と医療者たちを与えた。祈るのも見守るのも、彼らが代わりにしてくれる。私は、私にしか出来ない事をするだけだ」
ベッドに張り付いて、手を握って嘆くばかりが、彼女を想う証ではない。
十四年前から続く悪夢を終わらせてみせるという、強い決意を、意志を、そこに感じた。
「目撃者」であるマリー・エメリア・ピアソンにとって、最大の恐怖の対象である「犯人」を、絶対に手出しできないところへ、永遠に追放するのだと。
それは、確かに、裁定者としての力を持つ、左大臣メルトレファス公爵にしか出来ないこと……。
「本当は、昼も夜も、側に居てやりたいよ」
そう聞こえた声は、実際に彼が口に出した言葉だったのか。
それとも、心の内の叫びだったのか……。
私が引き立てられ、執務室の扉を潜る寸前、息せき切って駆け込んで来た者がいた。
誰かと思えばセルディだった。カイルの一番上の弟、私の従弟。
彼は私の姿を認め、慌てて目を逸らした。公爵の前に恭しく跪き、お人払いを、と言った。
「止まれ」
公爵は逆に私を止めた。
「お前も聞きたいはずだ」
私は公爵を凝視した。何を言っているのだろう。意味が全く分からなかった。
「セルディ。構わん、話せ」
「は……」
更に深く、セルディは頭を垂れた。
「マリー様が意識を取り戻しました。医師の話によれば、峠は越えられたとのことです」
足から力が抜けそうになった。
思わずよろめいた私を、皮肉なことに取り囲んでいる騎士たちが支える。
私は強張っていた体の力を抜いた。大きな吐息が我知らず漏れた。
ああ……。助かったのだ、彼女は。
助かった彼女は、間違いなく、近いうちに公爵のものになるだろうが。
それでも。
何故だろう。
こんなに嬉しく思うのは。
涙が出そうになるほどに……。




