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Alexandrite  作者: 宮原 ソラ
本編
27/39

26


 地下から地上へと上がる階段の途中に、男が一人倒れていた。

 死に顔はひどく歪んでいたけれど、私を攫った男だとすぐに分かった。

 閣下は既に見つけていたらしく、驚いた様子はない。死体の腰から細い鎖が伸びていて、その鎖の先端が鋭い刃物で断ち切られていた。

 先程、閣下があっさりと南京錠を外したのを不思議に思っていた。この男が牢の鍵を持っていたのだ。

「仲間割れ……?」

「あるいは、初めから捨て駒だったか」

 死体の胸には丸い二つの穴が空いていた。その穴から噴き出た血は既に黒く固まっていた。

 奇妙な傷だ。他に外傷はない。閣下が死体をひっくり返した。背中にも二つの穴が空いていた。

 こんな小さな傷なのに、貫通している……?

「銃だな」

 閣下が言った。

「銃? クヴェトゥシェの?」

「知っているのか?」

 ひどく驚いた顔をする。

「一般の耳には入らないよう、各国とも箝口令を敷いているはずだが」

「学院の専門指導の先生が、クヴェトゥシェ人でしたから……」

 学問の一端として見知った知識ではなかった。飲み会の席で、酔い潰れた先生を介抱している時に、酒の肴の一つとして聞かされたのだ。

 火薬を利用して、高速で鉛玉を打ち出す道具。その弾丸の速さは人の目で捉えられるようなものではなく、銃の種類によっては、顔も判別できないほど遠くにいる人間の胸板を、易々と貫けるという。

 気を付けろ、先生はそう言っていた。

 いずれあの力が世界を席巻する時が来る。理不尽に命を奪われ、運命を捻じ曲げられる人間が、後を絶たないようになるだろう……と。

「三十年ほど前に、クヴェトゥシェで開発されたけど、あまりに危険だから封印されたと……聞きました」

「表向きはな。だが、あんな便利な物、一度作られてしまったら完全に消えることは無い。当時製造されたのは三百ほどだが、いまだに闇で高値で取引されている。弾の方は後から生産された粗悪品も含めれば、数を把握するのはほぼ不可能だ」

「便利……なんですか」

「ああ。女子供でも、屈強な兵士を一撃で殺せる。自分が剣や槍しか持っていないなら、近付くことも難しい」

 ざわ、と、二の腕に鳥肌が立った。

 その恐ろしい武器を持っている人間が、ここにいる。もしかしたら同じ建物の中に。

 わざわざ閣下に一人で来いと言ったその目的を、考えないわけにはいかなかった。そして、犯人は、まだ一度も私たちを襲っていない。何処からか見ているのだろうか……。隙をついて、背中の真ん中に風穴を開けるために。

「出ましょう、閣下。何か……すごく、嫌な感じが」

「それについては同感だな」

 緊張感に、足が震えた。自分の体なのに、突然下手な作り物にすり替えられたかのように、上手く動いてくれない。

 階段を駆け上がり、ホールを横切り、そして玄関の大扉を押し開けるまでの短い距離が、永遠にも感じられた。

 閣下が常に警戒していてくれたおかげか、ついに建物内で発砲されることは無かった。


「お前を巻き込む可能性があったから、撃たなかったのかもしれない……」


 堅固な石の壁に背を預け、閣下が呟く。

 私は首を傾げた。そんな事はないだろう。私は、マグダレーナにとっては憎き恋敵だし、閣下の命を狙う輩から見れば、取るに足らない添え物だ。いずれにせよ、悪人たちに容赦されるような存在ではない。

「それじゃあ、まるで、犯人が私を傷つけたくないと思っているみたいですよ」

「そう思っているのだろう。奴は全てにおいて灰色だが、お前に対する想いだけは、純粋に白だった……そんな気がする」

「何の話ですか……?」

「お前は知らなくていい」

 それ以上、閣下は何も言わなかった。

 私も、詳しく聞いても結局わからないような気がしたので、口を噤んだ。






 廃墟を取り囲む木立の陰に、やがて、無数の騎影が現れた。

 あれは何だろうと目を凝らしているうちに、騎影は土埃を上げてあっという間に近付いてきた。閣下と私を取り囲み、馬を降りた無数の騎士が、恭しく跪く。

「ご無事で何よりです、公爵様」

「周囲の様子は?」

「半径一レクト(=キロメートル)内を捜索しましたが、不審者はおりません。更に範囲を広げますか?」

「いや。周辺は引き続き警戒を。半数は建物内の捜索に入れ」

「御意」

 騎士たちが、建物の中に吸い込まれて行く。かなりの人数だ。彼らは一体どこから湧いて出たのか……。

「メルトレファスの私兵だ。俺が建物内にいる間に包囲させた」

「はぁ……」

 なるほど。一人で無謀にも突撃されたのではと肝を冷やしたが、やはり閣下は最後まで油断ならない方だった。あっぱれな用意周到ぶりである。

「心配して損しました。全然余裕じゃないですか」

「馬鹿言え。俺がどれほど焦ったかわかるか」

「すみません。さすがに今回で懲りました。しばらく大人しくしています」

「お前は、その舌の根も乾かないうちに、すぐに何かやらかすんだよな……」

 少し離れた場所で、どよめきが起きた。騎士らがひどく慌てた様子で何か叫びあっている。今にも前のめりに転びそうな勢いで、年若い騎士の一人が閣下の前に進み出た。主君に対する礼も忘れて、上ずった声で彼は叫んだ。


「アルムグレーンのご令嬢が遺体で発見されました……!」











 彼の後ろから、マントでくるんだ荷物を抱えて、また別の騎士が駆け寄ってきた。

 その荷物が何であるかは、言うまでもない。

 騎士は亡骸を地面に横たえ、それを包む布の端を掴んだ。判断を仰ぐように、主を見上げる。閣下が頷くと、さっとマントを取り払った。

 何となく、苦悶の表情を思い浮かべていたのだけれど、彼女は鬼のような形相はしておらず、喉を掻き毟ってもいなかった。幸せな夢でも見ているかのような、むしろ綺麗な死に顔だった。

 自分を襲った相手ではあるが、私は正直少しほっとした。彼女が何処の誰で、まだ十八歳の年若い娘さんであることを知っていたからかもしれない。せめて苦しまずに逝けたのなら、良かったと思う。

 閣下は黙って遺体を見下ろしていたが、やがて屈みこみ、彼女の開いたままの目を閉じてやった。短く黙祷を捧げると、他の騎士らもそれに倣った。


「……う」


 一際大きな頭痛が、その時、不意に私を襲った。


 いつの間にこんなに日が暮れていたのだろう。

 全てが、赤く、紅く、煙って見える。西の際に佇む騎士らが、一様に、切り絵のように黒く沈んでいた。皆同じ姿勢で頭を垂れている。……ただ一人を除いては。

 おかしい、と、考えている余裕など無かった。


「ユージン様!」


 両手を広げ、その不審な切り絵と閣下の間に飛び出した。さほど幅も高さもない私の体でも、少しはましな盾になれるようにと、祈りながら。

 赤い空を切り裂く大音響。

 肩に激痛が弾けた。よろけた私を閣下が支えて下さった。色々な人が何かを叫び、怒鳴っているけれど、よく聞こえない。

 ただ、自分を抱き締めていてくれる腕が心地よく、その胸に手を這わせれば鼓動はしっかりと力強く打っていて、ああ閣下は無事だ、良かったと、涙が出るほど嬉しかった。


「赤……」


 生温かいものが自分の体から溢れ出す。同じように右肩を痛め、苦痛に顔を歪めていた少年の姿を、唐突に思い出した。

 細い枝が腕を貫通していて、子供ながらにその恐ろしい光景に震えが止まらなかった。彼はそんな私の様子にすぐに気が付いたのだろう、マントで血濡れた右腕を隠して、大丈夫だから、と、少し笑った。


 その笑顔に、勇気をもらう。

 私は、本当に、助けてもらってばかりだ。あの日から……いつも貴方の庇護の下にいた。


「大丈夫」


 かつて、十五歳の少年に過ぎなかった閣下が、この痛みに耐えたのだ。九つも年上の私が、無様に取り乱すわけにはいかない。

 即死しなかったのも、いま何もかも黒雲が晴れたように思い出したのも、全ては運命だったのだろう。ならば、それに抗わず、私は私の為すべき事をするだけだ。

「聞いて下さい」

 は、と、短く息を吐く。

「落馬事故、じゃないです。見ました……私。犯人」


 伝えなければ。それこそが、私の役目。私の役割。


 閣下も、カイルさんも、知りたがっていた真実。マードック辺境伯令嬢の不可解な死の真相。

 あの頃はわからなかった。子供すぎて。

 でも、今は、自分が見てしまったものの正体を、意味を、理解できる。


「あれは……あの人は」

「もういい、喋るな……!」

「いいえ。聞いて下さい」


 私の気力が続く限り。

 私は、話すのを絶対にやめませんから。


 だって、「彼」は危険すぎる。大胆で、それでいて精緻で。深淵に向かって疾駆する暴走馬のように、破滅的な生き方しか出来ない人だ。欲しいものを手に入れるためには、周りを全く顧みることなく突き進む。

 父であるマードック伯にも、従兄であるカイルさんにも、彼が手にかけた姉の亡霊にすらも、止められない。その彼が、こんな浅はかで滅茶苦茶な手段を用いてまで、ユージン様を狙ったのは……。

(ああ……そう)

 彼は怖いのだ、ユージン様が。

 怖くて怖くてたまらないから、先に動いた。まるで、追い詰められた野鼠が、敵わないと知りつつも猫科の獣に挑むがごとく。

 彼は、恐らく、今回の稚拙な誘拐劇の首謀者ではない。マグダレーナの浅知恵にただ便乗しただけだろう。その狙いはある意味成功したとも言える。私が消えれば、十四年前の真実を知る人間が、誰一人としていなくなるからだ。


「でも、クリスさん。貴方のしたことは消えないし、許されない。どんな理由があろうとも」


 最後の力を振り絞って、閣下の腕を掴んだ。


「終わらせて下さい。欠けた記憶の影に怯えるのは、もうたくさん」


 いつの間にか、指先が動かなくなっていた。痛むはずの肩の感覚も失われ、閣下の腕に縋り付いていたはずの自分の手が、ずるりと地面に落ちたことにも、気付かなかった。

 ひどく眠かった。あらゆる音が、気配が、遠かった。ただ一つ、闇だけが妙に近い。

 死ぬってこういう事なんだな、と、霞む意識の片隅で、ぼんやりと考えた。


(私にしては上出来)


 体内に潜り込んで砕けた弾丸を取り出す手術の技術が、フェルディナンドにはない。当然だ。三十年も前に他国で開発され、すぐに封じられてしまった幻の武器による負傷なんて、誰も治すことが出来ない。

 これが閣下に命中していたかと思うと……心底ぞっとする。


(ユージン様がいなければ、私は、十四年も前に既に死んでいたか、頭がおかしくなっていたか)


 恩返しをしただけだ。

 閣下の無事が、もともと無かったかもしれない私の命と引き換えと思えば、安いもの。


 彼は、フェルディナンドを支える柱で。メルトレファスの貴重な宝で。

 いや、違う。

 ただ、どうしようもなく好きなだけだ。私は。この人が。


 理由も、理屈も、全てを超えて。


 笑って、そこにいて欲しいから――……。




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