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Alexandrite  作者: 宮原 ソラ
本編
26/39

25


 どこか遠くで、何かが破裂するような音がした。

 その音に追い立てられるように、急速に意識が浮上してくる。

 重い瞼をこじ開けると、古めかしい石の天井が見えた。隅の方に蜘蛛の巣が張っている。壁も石造りで、唯一壁ではない面は、何故か立派な鉄格子になっていた。

 何だろう、これ。

 私は痛む頭を押さえた。まだ少し吐き気がする。手足の痺れは無い。自分の体の異常の有無を確認してから、改めて鉄格子を見た。大きな南京錠がぶら下がっている。


 どう考えても、攫われて閉じ込められている図、だった。


「な、何これ……」

 鉄格子をがたがた揺らしてみたが、びくともしない。

「ちょっと! 誰かいないの!」

 喚いていれば牢番が現れるのではないかという期待も空しく、いつまで経っても誰かが来てくれる気配は無かった。恐ろしいほどの静寂。

「誰もいないの……」

 心臓が早鐘を打ち始める。背中にどっと嫌な汗が噴き出した。

 おそるおそる見回せば、自分のいる牢が既に廃墟なのは一目瞭然だった。人はおろか生き物の影も形も見えない。そもそも息が詰まるほど黴臭く、一体何年放置されてきたか、想像したくもなかった。


「ここに閉じ込められて、そのまま行方不明、とか……」


 アルムグレーン公の姪姫が絡んでいるのなら、それもあり得ること。

 アルムグレーン公が、亡きガブリエラ様に続いてマグダレーナ嬢を閣下に嫁がせようとしていた件は、宮廷ではあまりにも有名だった。私のような世事に疎い人間ですら知っていたのだから、話は相当根深いところまで浸透していたに違いない。

 血筋的にも家柄的にも申し分のない良縁。誰もがそう認めていた。ぶち壊したのは私だ。血筋も家柄もない私が、アルムグレーンの姫から公爵様をかすめ取った……。

 それが、世間の評価というもの。


 壁の上部に、小さな明り取りの窓を見つけた。腕が一本出れば御の字の大きさだが、何か脱出の糸口は掴めるかもしれない。

 足場になりそうな物をまずは探した。ベッドの上に椅子を重ねれば、何とか手が届きそうだった。

 この手の牢はベッドが固定されているはずだが、この時は古いのが幸いした。壁に繋がっている金具が壊れているのだ。渾身の力で押すと、ぐ、ぐ、と、少しずつではあるが重い寝台は確実に移動した。

 壊れたベッドの上に、足のすり減った椅子を置く。

 安定の悪さに嫌な予感を覚えたが、ぐずぐずしていても事態は変わりそうにない。慎重によじ登り、窓の外を覗き込んだ。

 目線とほぼ同じ高さに地面があった。なるほど、今私がいるのは何処かの廃墟の半地下なのか。


(攫われてから、どれくらい時間が経ったのだろう)


 窓から見える景色は範囲が狭すぎて、判断の材料にするには少々厳しいものがあるが、まだ日暮れ前なのは間違いない。

 私が妙な薬を嗅がされたのも真昼だったから、さほど時間は経っていないということか。

 安易な考えを戒めるかのように、その時、ぐうっとお腹が鳴った。


(ちょっと。なに、この空腹感)


 極度の緊張が少しおさまってくると、体は冷静に今の状態を伝えてくれる。これはしばらく胃袋に何も入れていない時の飢餓感だ。

 加えて、よくよく考えてみれば、林で人間ひとりを気絶させ、運び出して閉じ込める、なんて芸当、一時間やそこらで出来るはずがない。

 諸々の条件を鑑みるに……。


「丸一日以上、経っている、か……」


 閣下が心配している姿が目に浮かぶ。本当に一日以上経過しているなら、きっと今ごろ死に物狂いで探していることだろう。


(申し訳ありません。これじゃ、迷惑どころの話じゃない……!)


 迂闊だった。一人で出歩くな、と言われていたのに。まだ正式な発表もされていないからと、自分の置かれた立場を甘く見過ぎた。

 私はもうメルトレファスに関わる者だったのだ。誘拐犯の目的が何にしろ、あらゆる点において、もっと自重するべきだった……!

「誰か!」

 小さな窓に向かって大声を張り上げた。

 何度も何度も叫んだけど、やはり誰かが来てくれる気配はない。

 そのうちに声が枯れ、ついでに足場も崩れてものの見事に床に落ちた。

 椅子の足が折れていた。これで窓には二度と手が届かない……。


 石の床の上に座り、膝を抱え、その抱えた膝の上に頭を乗せて、私はしばらくうつらうつらと微睡んだ。

 こんな状況でもちゃんと眠気を感じる。人間って、本当に逞しい生き物だな、と、感心を通り越して呆れてしまう。


「マリー!」


 唐突に、閣下の声が聞こえた。

 空耳か。こんなに都合よく、一番会いたい人が、来てくれるはずが……。


「マリー! 返事をしろ!」


 違う。空耳じゃ……ない。


「閣下! ユージン様!」


 鉄格子の向こう側に現れたのは、紛れもなく、メルトレファス公爵様その人だった。











 信じられなかった。

 状況があまりにも目まぐるしく変わりすぎて、どうにも思考が追いつかない。

「なんで……なんで閣下がここに」

「ご丁寧に、お前の身を預かったから一人で来いと手紙が来た」

「はあっ!?」

 この時の私の驚愕を、どう言い表せば良いだろう。

 おかしな話だが、誘拐犯に捕まった時、そしてその中の一人にマグダレーナがいることを知った時、私は人生最大の危機にも関わらず、奇妙にほっとしてもいたのだ。

 マグダレーナが首謀者なら、少なくとも閣下の身に危険が及ぶことは無い。狙われているのは私だけ、と断言できる。

 彼女が欲しいのは、あくまでも公爵妃の座だ。そのためには、ユージン様が健在でいる事こそが第一の条件。

 だけど。

 それが。

「そっ……それで本当に一人で来るってどうなんですか! 何考えているんですか! 貴方はメルトレファスの宝。フェルディナンドを支える柱なんですよ! 万一御身に何かあったら……!」

「人を勝手に宝だの柱だのにするな!」

 かつてない強い口調で怒鳴りつけられ、私は思わず次の言葉を飲み込んだ。

 閣下は、またすぐにいつもの冷静な「公爵様」に戻り、大声を出して悪かった、と、わずかに目線を下げられた。

「……お前までそれを言わないでくれ」


 垣間見えた本音。

 容易にわかる過去。

 一体何人に言われ続けてきたのだろう……。


 貴方は宝です。柱です。

 最後のメルトレファス直系。

 唯一の翠と緋の瞳(アレクサンドライト)の継承者。


 かちん、と音がして、外れた南京錠が床に落ちた。閣下が大きく格子扉を押し開ける。

 両腕を掴まれ、牢から強引に引きずり出された。そんなに引っ張らなくても自力で出られますと、思わず手足をばたつかせると、有無を言わさず抱き締められた。あまりの腕の強さに驚いてしまう。

 ああ、この方はいざとなれば単身敵と戦えるだけの力を持った男の人で、自分はどれほど気丈に振舞おうとただの非力な女なのだと、じわじわと広がってくる安堵の中で実感した。

「無事で良かった……」

 黴臭い地下牢で、もしかしたらすぐ側に暗殺者がいるかもしれないこの状況で、幸せに腑抜けている暇などない。わかっているのに、駄目だった。

 一度大きくしゃくり上げると、もう涙が止まらない。ぼろぼろと次から次へと零れ落ちる。閣下の服までぐっしょりと濡らしてしまいそうだ。助け出されて、場所柄も弁えず号泣なんて、子供か、私は。

 情けない……。


「大丈夫だ。泣くな」


 また、過去と現在が交錯する。

 以前も同じ言葉を頂いた……?



 大丈夫。

 大丈夫だから。


 何があっても。



「俺が、お前を、守るから……」




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