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Alexandrite  作者: 宮原 ソラ
本編
22/39

閑話 手放した鳥(1話別視点・ユージン)

※ユージン視点です。


直接ストーリーに関わりないので、飛ばしても本編には影響ありません。

でも読むと彼の心の内がわかるかも?


 ディオフランシス侯爵からの大臣職引き継ぎは、予想以上に手間だった。

 内容が難しかったわけではない。もっと根本的なところで悩まされた。あの書類はどこへ失くした、この鍵はどこで落とした、受け取るべき現物が相当数行方不明なのである。

 だから、普段から整理整頓して、大切な物は決められた場所に保管するように、と……。

 思わず母親のような小言を口にしてしまったが、侯爵は全く懲りる様子がない。何が悲しくて四十歳も年上の老人に説教しなければならないのか。……空しい疲労感を溜め込むばかりの一週間だった。

 以前から内偵を進めてきた禁制物の密輸に関する調査書類が無事だったのが、せめてもの不幸中の幸いだ。それまで裁断物の中にあったりしたら、俺は本気でこの飄々とした年寄りの首を絞めていたかもしれない。


「そう怒るな、ユージン殿。世の中なるようにしかなるまいて。貴公は真面目すぎる。程よく手を抜くことも覚えなければ、いつか緊張の糸が切れてしまうぞ」

「オルタンス殿は緊張感が無さすぎます。そもそもなぜ執務室にあんな巨大な鉢植えが必要なのです? あれでは手入れの職人を入れざるを得ません。余計な人間の出入りをこれ以上増やしてどうするおつもりですか」

「可愛いじゃろ、あの植木」

「堂々として見応えのある姿だとは思いますが、間違っても可愛いなどという代物ではありませんね」

「相変わらず、美を愛でるという感覚に欠けた御仁じゃのう……」


 ともかくも引き継ぎに多少の目途が付いてきたので、俺はいったん左大臣執務室を後にした。






 現時点の自分の職場である財務官長官室に向かう途中、意外な人物を見つけた。

「クラリッサ殿?」

 オルタンス殿の孫娘だ。いつも傍に控えているはずの侍女サヴァナの姿はない。一人で立ち尽くして、そわそわと上を見たり下を向いたり、明らかに挙動不審である。

「何か……」

「メルトレファス公爵様……!」

 俺の姿に気付き、クラリッサが後ずさる。途方に暮れたような顔で天を仰いだので、俺もそれにならった。頭上の密集している枝葉の間から、足がぶら下がっているのが見えた。

 ……誰だ、宮中の庭木によじ登っている不届き者は。

「あ、危ないです。降りて来て下さい」

 クラリッサの呼びかけに反応して、ぶらぶらと動いていた足が引っ込んだ。葉を掻き分ける音と、細い枝を遠慮会釈なく折る音を響かせながら、足の持ち主が降りてくる。


(まさか)


 きっちりと纏め上げた金色の髪。晴れた空の色の瞳。襟の高い官僚服を身に付けている。袖の模様から見るに左大臣書記官だ。


(マリー?)


 子供の頃、たった三年間、秋の一時を共に過ごした。恐らくは俺の一言が引き金になって、赤い記憶を閉じ込めて消した……。

 兄のルーフレインと知り合い、親しくなってから、彼の妹があの時の少女だと初めて知った。学院に通いたがっていると聞き、そういえば好奇心旺盛な子だったと微笑ましくも感じ、ならば叶えてやろうと学費としては十分すぎる金額で、父親から絵を買った。

 それが縁で、毎月欠かさず送られてくるようになった手紙。目を通せば、手に取るように彼女の成長が見て取れる。ああ頑張っているなと嬉しく思う反面、自分の中で確実に重みを増してゆくその存在が、恐ろしくもあった。


 政略婚とはいえ、妻がいるのに、深入りしてどうする。

 誰も、彼も、不幸にしかならない。

 自分も。ガブリエラも。何も知らない……マリーも。


 卒業と同時に、蜘蛛の糸のように細かった縁が、ついに切れた。落胆と同じくらいに強く感じた、安堵。

 これでもう惑わされることはない。道は完全に違え、それぞれに異なる方を向いた。俺は、公爵として、官僚として、国のために生きて行く。彼女は、彼女らしく……自分のために歩いて行けばいい。

 終わったのだ。ようやく。そう思っていたのに……。


 なぜ、今、ここにいる?


 彼女はしばらく呆けたように俺の顔を眺めていたが、その後、後ろ手に何かを隠した。

 十五年前のことを思い出す。あの時も、彼女は、俺に見られまいとして「ある物」を背中に隠した。幾つもの小さな硝子玉だった。鳥の巣に飾ってやりたかったと、大分後になってから白状した。

 そんな物をごろごろと巣に入れられたら、鳥の方もさぞや迷惑に違いない。だから取り上げた。考えたくもないが、二十四歳にもなってまだ鳥の巣に妙な物を入れたがる癖があるのだろうか。いやまさか……。

 しかし、相手はあのマリーだ。時々、俺の想像を遥かに超えることをしてくれる。


「何を隠した?」

「何でもありません」

「何でもないかどうかは私が判断する。さっさと見せろ」

「いえ、お見せするようなものでは」


 しばらくの押し問答の後、彼女はようやく隠していた物を俺の前に広げた。


「わかりましたよ、どうぞ!」

「……」


 やはり、マリーはマリーだった。

 俺の想像を、この時も、ものの見事に超えてくれた。

 その布地の少ない下着をどう解釈すれば良いのだろう。何故、そんな物を持って木に登るという事態になったのか。


「もういい。しまえ」


 彼女はいそいそと下着を懐に仕舞った。

 嘘だろう。お前の物だったのか……。











 財務官長官室に戻り、しばらく自分の仕事をしていたが、ふと先程のことを思い出し、笑い出しそうになった。

 カイルが胡乱な目を向けてくる。黙々と仕事をしていたかと思ったら、急に口元を緩めたのだから、それは相当不審に映ったことだろう。

「これはどのように処理いたしますか?」

 いきなり思い出し笑いを始めたおかしな主人を、咎めもせず、忠実な側近は指示を求める。いつもなら、ああしろこうしろと言うところだが……ふと、カイルの好きなようにやらせてみようと考えた。

 マードック辺境伯を継ぐ可能性が皆無ではないことも考えて、カイルには可能な限り俺の仕事を手伝わせている。山のように送られてくる文書、案件に目を通すだけでも、自然と身に付いてゆくものは多いだろう。

 カイル自身は気付いていないようだが、その判断はなかなかどうして目の付け所が良い。マードック伯になるならないは別として、いずれ、俺はカイルに自分が持っている領地の一つを任せるつもりだった。


「ユージン様、一息入れましょうか」

「? 急にどうした」

「いえ。まだお顔が笑っていますので」

「……」


 何をやっているんだ、俺は。


「楽しそうですね。何か良い事でもありましたか?」

「いや……」


 良い事、なのだろうか。かなり意表を突かれた出来事ではあったが。

 常日頃の自分なら、記憶の片隅にも留めず、機械のように淡々と目の前の業務をこなすはずなのに。

 駄目だ、手につかない。いま頭の中を占めるのは、官僚服を着て木の上から降ってきた「幻の姫」のことばかり。


 なぜ今頃俺の前に現れた?

 ガブリエラという最大の頸木が無くなって、罪悪感も薄れつつある四年という歳月を経て、なぜ今頃。




 忘れていたのに。



 

 お前は、俺にとって、自由の象徴だった。手放した鳥だった。

 どこか遠くの空の下で、気ままに羽ばたいているであろう姿を思い描けば、それだけで満足できた。

 満足できたはずだったのに……。


「カイル。左大臣執務室には、妙に大きな鉢植えがあってな」

「はい」

「お前に世話を頼むつもりだったが、別の者にやらせることにした。机の拭き掃除もそいつに任せるから、お前はやらなくていいぞ」

「もう一人秘書官を入れるのですか?」

「いや。ただの掃除係だ」


 会いたい。話がしたい。


 お前はどう変わっている? それとも何も変わらないのか?

 あれから少しは大人になったか? 成長したのは外見だけで、突拍子もない行動から推測するに、中身は未だ子供のままなのか……?


 用事が無ければ執務室から出られない自分と、並の用事では執務室に入れない彼女。

 違いすぎる立場を少しでも近付けるための、手段が欲しい。


 どうしようもない。引くことも出来ない。

 この想いに……もう、歯止めはきかない。


 俺に関わることが、閉ざされた記憶の扉を叩くことになろうとも。


 それでも、俺は……。




ちょっとだけ、公爵しか知らない情報が紛れています。


また書いてみようと思っています。

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