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Alexandrite  作者: 宮原 ソラ
本編
13/39

13


 おかしい、と思った。

 いつも厳めしい顔つきをして立っている守備兵の方がいないのだ。執務室の前は完全に無人である。

 一体どこへ消えたのか、気にならないといえば嘘になるが、だからと言って探し出す手段もない。人は居ないが扉の鍵の方はしっかり掛かっていたこともあり、厠でも行っているのだろうと考えることにして、私はひとまず部屋の中へと足を踏み入れた。

 日課の机の拭き掃除は、すぐに終わった。

 次は鉢植えの水やりだ。でもその前に、彩りを邪魔する古い葉を取り除くことにした。少々元気よく成長しすぎた観葉植物の一番上には、手が届かなかった。あの枯れた一枚が気になる……。

 明日は踏み台持参でここに来よう。ついでに鋏も持ってきて、伸びた枝をちょうどいい長さに剪定してやろうか。いや、その知識もない私がやるのは危険だな……。ここは一つ秘書官のカイルさんに頼んで、植木職人でも手配してもらおう。

 がたん、と、重い扉が開く音がした。


「おはようございます」


 閣下がいらしたのだろうと、恭しく頭を垂れる。おはよう、と、聞き慣れた声は返ってこなかった。

 不審に思い顔を上げた先には、見知らぬ男が立っていた。

 私はぽかんと口を開けた。侵入者だと気付き、大音量で悲鳴を上げようとするも、外に守備兵がいないことに遅まきながら気が付いた。この肝心な時に!

 男の方も、私に負けず劣らず面食らっている様子だった。何か、幽霊でも見るような目つきなのは何故だろう。


「……幻の姫?」


 男が言った。

 今この状況にそぐわない、詩人の諳んじる物語の題のようなその呼称に、危うく脱力しそうになった。何だ、幻の姫って。

 少なくともここには姫なんかいないぞ。いるのは色気も素っ気もない官僚の私だけだ。


「本当にいたんだ、あの絵の……」


 私の顔に張り付いた不信感など何処吹く風で、男は悠々とソファに座った。

 長い足を持て余し気味に組み、私に向かって、珈琲でいいから、と当然のごとく宣った。

 この時の私の衝撃をどう表現したらいいだろう。閣下がいらっしゃらない時にずかずか入り込んできて、勧められてもいないのにどっかりとソファに腰を下ろし、ふんぞり返って「珈琲」とは、これ如何に。使用済みの雑巾で、その図々しい性根ごと顔を拭いてやろうか。

 いやまて、ちょうど水桶があった。ばっしゃーん! と掛けてやった方が効果が高いかもしれない。

「ちょっと何なんですか、貴方は。閣下がいらっしゃらないのに勝手に座らないで下さい!」

 早く退けろと男をぐいぐい押しやった。

 男は何故か楽しそうに笑った。見た目より気が強いんだなぁ、とか、やっぱり絵じゃわからないよなぁ、とか、意味不明のことを呟いている。

 何なんだ、もー。


「マリー?」


 その時、ようやく、閣下がいらっしゃった。

 私は心底ほっとした。無礼な侵入者を指し、

「閣下がいらっしゃらない時にいきなり入ってきたんです! 勝手にソファに座るし、珈琲くれとか言うし、まったく!」

「いや、マリー……」

 閣下が頭を押さえた。

「王太子殿下だ」

「は?」

「王太子……アルベルト殿下だ」

「はぃ!?」

「なるほど、マリーというのか。いやなかなか勇敢で良かったぞ。女性の力で押しやられるとは思わなかった。ああ、そんなこの世の終わりみたいな顔をしなくても、罰したりしないから安心してくれ。久々に笑わせてもらったしな」

 私はどうも王家一門の皆様に無礼を働いてしまう体質らしい。メルトレファス公爵に続いて今度は王太子殿下ときたもんだ。この調子でいずれ国王陛下にも何かやらかすのだろうか。

 ……いや笑えない。実に笑えない。なんて恐ろしい体質だ。首が幾つあっても足りないではないか。

「もっ……申し訳ありませんでしたっ!」

「私からも謝罪いたします。これには、後で私の方からたっぷりと言い聞かせておきます故」

「だから面白かったから別にいいって。こんな時間にいきなり訪ねた俺の方にも非はあるしな」

 で、珈琲くれ、と、殿下は再び仰った。

 ……珈琲好きなんですね。確かに朝の一杯は格別だとは思いますが。

 とりあえず私はいない方が良いだろうと、一礼して退出しようとすると、他ならぬ殿下にそれを止められた。すっと目の前に一枚の手紙が差し出される。

 閣下ではなく、なぜ私?

「あの」

「開けてみろ」

 と、王太子殿下に言われてしまうと従うしかない。下っ端官僚に、主に逆らうなどという選択肢は無いのである。

「招待状……でしょうか」

 夜会の招待状。しかも王家主催の。

 そんな物もらっても困るのですが。立派なカードですねとにっこり笑って、元通り封筒に仕舞い直してお返ししたら失礼だろうか。……失礼だろうな。

「クヴェトゥシェ使節団の送別会だ。お気楽な貴族の娯楽パーティーではないぞ。立派な行事だ。お前、官僚だろう? 官僚は外務官は全員出席だし、お前も花を添えるつもりで出るといい」

 花ではなく、せいぜい雑草程度の添え物にしかならないと思うのだが。見る目ないな、この王子様。人の上に立つ御方として、それじゃいかん。

 ここは一つ、やんわりと閣下に助け舟を出して頂こう……と、ちらりと視線をやるも。

「それは良いかも知れませんね」

 助けるどころか突き落すような一言に完全に沈んだ。

「いえ、あの……」

「お前はクヴェトゥシェ語が得意だろう。あちらを歓迎する意味でも、どんどんクヴェトゥシェの言葉で話しかけてやればいい」

 なぜ私がクヴェトゥシェ語が話せることをご存じなのだろう。……まぁ、これほどの方だから、部下のことはある程度把握しておられたとしても不思議はないか。

「か、官僚の制服を着て出席しても……良いのですよね?」

「それは駄目だ。夜会の形にしたのは、堅苦しい行事めいた雰囲気を消すためだ。官僚服でウロウロされたら全部ぶち壊しだ」

「うっ……」

 王太子殿下に一蹴された。

 こういう時、権力や財力の差を思い知らされる。

 公爵様と王太子殿下。このお二人にとっては取るに足らない事なのだろう……夜会なんて。

 が、しかし。しかしだ。私にとっては一大事なのだ。それこそ兄の結婚式(予定なし)、父の葬式(縁起でもない)に匹敵するほどの!

 服がない。服が。夜会に着て行けるようなドレス、そんなすぐに用意できるはずが……!

「ドレスの心配か? 少なくとも一枚はあるだろう?」

 悶々と悩んでいると、それを察してか、王太子殿下が言った。

「えっ?」

「お前の目の色と同じ……青いドレスがあるんじゃないか?」

「青い……ドレス?」

 そんなのあっただろうかと考え、はたと気付く。

 確かにある……一着だけ。実家に。

 ただし、私のものではない。亡くなった母のドレスなのだ。母が嫁ぐ直前に作らせた……三十年も前の。

 服というのは微妙に流行が変わってくるものだが、あのドレスはそれこそ百年も前から変わらない伝統的なフェルディナンドの夜会衣裳で、確かにあれなら実用に耐えうる。

 目新しさは無いけれど、他国の使者を送り出す催しの会なら、かえって良いかもしれない……。問題は、最後に袖を通してから八年も経っているから、それこそ虫が食っている可能性が無きにしも非ずで。

 というか。


「……あのぅ。あのドレスのこと、なぜご存じなのですか?」


 あれは、一度しか着ていない。

 父の絵の練習台になったとき、一度だけ。十六歳になる手前。


「ん? ああ、それは……」

「殿下! それでご用件は? まさか初めからマリーに招待状を渡すのが目的ではないでしょう」


 殿下の声を完全に遮って、閣下が口を開く。

 いつも落ち着いている閣下が、珍しく少し慌てているようにも見えた。対する殿下はなぜかニヤニヤしていらっしゃる。

 ……わからない。高貴な方々の思考回路は、きっと私の貧相な想像力では追いつかないところに存在しているのだろう。

 

「ああ、お前が夜会をサボらないように念を押しに来ただけなんだ、実は。でも今回は大丈夫そうだな。可愛い部下が同席するし」

「……人聞きの悪い。私は行事をさぼったことはありませんよ。必要性を感じない集まりに関しては、八割お断りさせていただいておりますが。貴方と一緒にしないで下さい」

「ひどい言い草だなぁ……。俺、一応、王子なんだけど」

「王太子らしく振舞っていただければ、私もそれに相応しい対応をいたします。仮病を使って会議を欠席されているうちはまだまだです」

「……いや、あれは、本当に、急に腹が痛くなってだな……」

「そうですか。実に都合よく痛くなったり治ったりする腹ですね」

「わ、わかった。謝る。もうしない……」


 つえぇ。公爵閣下。王太子殿下がびびっている。すげー……。

 まぁ、考えてみれば主と臣の形を取ってはいるものの、従兄弟同士だもんなぁ。しかも公爵様の方が、二つ三つ年上だ。そりゃあ敵わないだろう。

 負けた腹いせか、王太子殿下の去り際の台詞は、なぜか私に向けられた。

 これぞまさしく、とばっちり。


「いいか、マリー。あの青いドレスを着てこい。絶対だぞ。いいな」

「はぁ……虫が食ってなければ」

「む……! おい、ユージン。お前が責任を持って見てやれよ。いいな、これは命令だ!」

「そんなどうでもいい事に、命令権を行使されますか……」


 そして王太子殿下は、カイルさんが淹れてくれた珈琲をわずか四口で飲み干すと、慌ただしく出て行った。


 台風のような方、というのが、私の王太子殿下に対する率直な感想である。

 



子供の頃から、サボリ好きの王子を叱るのは、しっかり者の公爵の仕事だった模様。

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